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誰にも届かなかった僕の声が、君にだけ響いた。  作者: ひとひら


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第41話 おかしいと言われ続けたこの声で、それでも僕は歌い続けることにした

佐藤さんからのメールを、三回読んだ。


僕、Re:Voiceを担当してくれている彼からのメッセージは、短くてシンプルだった。


「Re:Voiceさん、以前お断りいただいたフェスから、再度オファーが届いています。

『Summer Resonance』、六月の大型野外フェスです。

今回も、顔出しなし・匿名での出演で構いません。ご検討ください」


 スマホを置いて、窓の外を見る。

 夏の空が、眩しいくらいに青かった。


「零くん、どうする?」


 隣に座っていた心音さんが、そっと訊いた。

彼女は僕の歌の原点であり、今も一番近くで支えてくれている存在だ。


「……わからない」 


 以前と同じ答え。

 でも、胸の奥の感触は、少し違った。

 以前は「怖い」だけだった。


 今は——

 怖い、けれど。


「前は、断ったね」


「うん」


「あの時と、今は違う?」


 心音さんの問いが、静かに刺さった。


 僕はしばらく考えた。


 フェスのステージ。

 たくさんの人が、僕の声を聴きに来る。

 顔も名前も出さなくていい。

 それでも——

 声だけで、あの場所に立てるだろうか。


「……怖い。今でも、怖い」


「うん」


「でも」


 言葉が、少しずつ形を持つ。


「逃げてるだけなのかな、って。ずっと思ってた」


 心音さんは何も言わず、続きを待っていた。


「あのファンレター……声を否定された人からの手紙。あの人に届けるなら、僕はもっと大きな場所で歌わなきゃいけない気がする」


「……零くん」


「声だけでも、届けられる場所があるなら。今の僕にできることを、やりたい」


 言葉にした瞬間、胸の奥で何かが決まった。

 怖さは消えていない。

 でも、それより大きな何かが、静かに育っていた。



 翌日、佐藤さんに電話をかけた。

 震える指で、発信ボタンを押す。


「佐藤さん、フェスの件ですが」


『はい』


「……受けます」



 一瞬の沈黙。


『本当ですか』


「はい。顔出しなし、匿名で。それでも構わないなら」


『もちろんです。Re:Voiceさんが出てくれるだけで、十分です』


 電話を切った後、手が少し震えていた。


 怖い。やっぱり、怖い。

 でも——


「決まりだね」


 心音さんが微笑んだ。


「うん」


「一緒に準備しよう」


 その言葉に、胸の奥の緊張が、少しだけ和らいだ。



 それから一ヶ月、僕たちは準備に没頭した。

 セットリストを考え、アレンジを練り直す。

 夜。

 心音さんが差し出すお茶の温もり。

 深夜に弾くギターの音が、静かな部屋に広がる。


「零くん、この曲順どう思う?」


「……うん、いいと思う。でも、最後はやっぱり『春風のメロディー』にしたい」


「なんで?」


「最初の曲だから。この曲があるから、今の僕がいる」


 心音さんが、静かにうなずいた。


「じゃあ、それで行こう」



 本番前日の夜。

 眠れなかった。

 天井を見つめながら、明日のことを考えていた。


 たくさんの人が来る。

 僕の顔は見えない。

 声だけが、届く。

 それでいい。

 今の僕には、それだけで十分だ。


「零くん、眠れてる?」


 心音さんの声が、暗闇の中でそっと届く。


「……眠れない」


「そうだと思った」


 彼女の手が、僕の手をそっと握った。温かかった。


「怖い?」


「うん」


「でも、出るって決めたよね」


「……そうだね」


「なら、大丈夫」


 根拠なんてない言葉だった。

 それでも、不思議と胸に沁みた。


「……ありがとう」


「明日、全部、声に乗せてきて」



 僕は目を閉じた。

 夏の夜風が、カーテンをゆっくりと揺らしていた。




当日の朝、目が覚めた瞬間から、手が冷たかった。

 今日が、本番だ。


「零くん、起きてる?」


「……うん」


 心音さんのトーストを焼く音が、キッチンから聞こえる。

 いつもと同じ朝。

 でも、空気の重さが、まるで違った。


「食べられそう?」


「……少しなら」


 テーブルに座り、トーストを口にする。

 味は、よくわからなかった。


「緊張してる?」


「してる」


「それでいいよ」


 心音さんが、コーヒーカップを両手で包みながら言う。


「緊張するってことは、本気ってことだから」


 その言葉を、胸の奥にそっとしまった。



 会場に着いたのは、開演の三時間前。

 スタッフに案内され、楽屋に通される。

 廊下の向こうから、他のアーティストの音出しが聞こえてくる。

 プロの空気が、肌を刺すように漂っていた。

 ここは、本物の舞台だ。


「Re:Voiceさん、よく来てくださいました」


 マネージャーの佐藤さんが出迎える。


「今日の演出、確認しましょう」


 モニターに映し出されたステージの図面。

 スモーク、逆光、紗幕。

 顔が見えないための、すべての仕掛け。


「ステージに出る時は、すでにスモークが焚かれています。お客さんには、シルエットしか見えません」


「……わかりました」


「声だけで、勝負してください」


 その言葉が、静かに胸に響いた。



 リハーサルの時間。

 ステージに立つと、客席の広さが目に入った。

 今は誰もいない。

 でも、数時間後には、何千人もの人がそこにいる。

 マイクの前に立ち、軽く声を出す。


「……」


 音が、広い空間に溶けていく。

 思ったより、遠くまで届いた。


「Re:Voiceさん、いい感じです」


 音響スタッフの声が、モニター越しに届く。

 もう一度、深呼吸をした。


 大丈夫。

 声は、届く。



 本番まで一時間。

 楽屋で、僕は壁にもたれて目を閉じていた。

 心音さんが隣に座っている。


「零くん、あのファンレター、持ってきたよ」


「え?」


 彼女が、折り畳まれた一枚の紙を差し出した。

 あの手紙だった。

 以前、見知らぬ誰かから届いた一通。

声を否定され続けてきたというその人は、それでも僕の歌に救われたと書いてくれていた。


「不器用な声でも、誰かの心に届く」


 声に出して読むと、胸が熱くなった。


「この人のために歌う、って思ってみたら?」


「……うん」


「この人だけじゃなくて、同じ痛みを持ってる人、きっとあの客席にもいる」


 そうかもしれない。

 いや、きっとそうだ。


「……行ってくる」


「うん。全部、声に乗せてきて」



 ステージ袖で、出番を待つ。

 スモークの白い煙が、ゆっくりと広がっていく。

 歓声が、波のように押し寄せてくる。


 怖い。

 やっぱり、怖い。

 でも——


 足が、一歩前に出た。

 スモークの中を歩く。

 強い逆光が、背後から突き刺さる。

 自分の影が、紗幕に巨大に映し出されるのが見えた。

 客席からは、僕の顔は見えない。

 シルエットだけが、揺れている。


 マイクの前に立つ。

 会場が、静まった。

 深呼吸。

 目を閉じる。

 心音さんの顔を思う。

 あの手紙の言葉を思う。


 そして——

 歌い始めた。


 最初の一音が、会場に溶けた瞬間。

 客席がざわめいた。

 CDで聴いていたはずの声が、生では全く違った。

 透明で、高くて、深い。

 男とも女とも判断できない、どこか人間離れした響き。


「Re:Voiceって……男?」


「女性じゃないの?」


「どっちでもないみたい……」


 そんな囁きが、客席のあちこちで漏れた。

 でも、次の瞬間には全員が黙った。

 声に、飲み込まれるように。


 数曲歌い終えた後、僕はマイクを握り直した。

 スピーチをするつもりは、なかった。

 でも、言葉が、自然に溢れてきた。


「……少し、話させてください」


 会場が静まり返る。


「僕の声は、かつて誰かに『変だ』と言われ、『おかしい』と言われた声です」


 自分の声が、広い会場の隅々まで届いていく。


「僕はその声と一緒に、自分の心を、未来を、完全に閉ざしてしまいました。自分なんて、いなければいいと、何度も……そう思いました」


 会場の空気が、張り詰めたものに変わるのが分かった。


「でも、ある人に言われたんです。『あなたの声は、本当に綺麗な声だね』って。……その一言で、僕の世界は、完全に変わってしまいました」


 心音さんの名前は出せなかった。

 けれど、僕が「誰か」という光によって救われたという事実は、剥き出しの言葉となって会場の隅々にまで染み渡っていった。


「今はまだ、皆さんに全てを見せる勇気がありません。でも……いつか、この境界線を越えて、ありのままの僕を伝えられる日が来ることを、僕は願っています」



 静寂。

 誰かが、泣いていた。

 その声が、静けさの中でひとつ、またひとつと広がっていく。


 それから——

 大きな拍手が、波のように押し寄せてきた。


 最後の曲は、「春風のメロディー」。

 イントロが流れた瞬間、会場のあちこちで歓声が上がる。


 この曲を、知っていてくれる人たちがいる。

 待っていてくれた人たちがいる。


 僕は、ただ歌った。

 怖さも、不安も、全部声に乗せて。

 あの手紙の言葉も。

 心音さんの「綺麗だ」という一言も。

 義理の両親の「すごいね」という遠い言葉も。

 全部、全部、声にして。


 歌い終わった瞬間、会場が揺れた。

 シルエットのまま、僕は深く頭を下げた。

 スモークの中を、ステージ袖へ戻る。

 逆光が遠ざかる。

 歓声が、まだ続いていた。


 楽屋に戻ると、心音さんが立っていた。

 目が、赤かった。


「……大丈夫? 泣いて」


「泣いてない」


「泣いてる」


「……少しだけ」


 僕は思わず笑った。

 そして、彼女に抱きついた。


「どうだった?」


「よかった。すごく」


 心音さんの声が、震えていた。


「零くんの声、あの会場全部に届いてたよ」


 その言葉が、胸の奥まで沁みた。

 涙が、自然に溢れた。



 その夜、SNSは僕の声だけでなく、僕の「言葉」に対する書き込みで溢れた。

『誰なんだろう』という単なる好奇心は、

『彼が抱えてきた痛みを知りたい』

『彼を支えたい』

『私も、同じだった』

という、強い共感に変わっていた。


 画面を見つめながら、僕は思った。


 届いた。

 声だけで、顔も名前も出さないままで。

 それでも、確かに——

 届いた。


「零くん、見て」


 心音さんがスマホを差し出す。

 あるコメントに、指が止まった。


『Re:Voiceのスピーチ、泣いた。私も昔、声が変だって言われてた。でも今日、初めて、自分の声を好きになれた気がする』


 胸の奥で、何かが静かに満ちた。


「……この人に、届いた」


「うん」


「来てよかった」


「うん」



 夏の夜空に星が瞬いていた。

 遠くから、フェスの余韻が風に乗って届く。

 顔も名前も、まだ出せていない。


 でも——

 いつか、必ず。

 その日のために、また歌い続ける。






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