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誰にも届かなかった僕の声が、君にだけ響いた。  作者: ひとひら


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第22話 踏み出した先──心音さんの家族と僕の一歩

その日の朝は、いつもより少し静かだった。

心音さんの部屋。

窓から差し込む冬の光が、テーブルの上を淡く照らしている。


トーストの焼ける香り。

湯気の立つスープ。

そのすべてが、まるで朝の祈りのように穏やかだった。



「ねえ、零くん」


心音さんがカップを置き、少し真剣な表情で言った。


「今日ね、お父さんのお墓参りに行こうと思うの」


「……そうなんだ」


僕は手を止め、彼女を見た。

その瞳には、寂しさと優しさが同じ色で溶け合っていた。


「お父さん、音楽が好きだったから。

零くんが歌を投稿したこと、報告したくて」


その言葉に、胸がじんと温かくなる。

心音さんは、いつも僕をまっすぐに想ってくれる。

その想いを、亡き父へと繋げようとしている。


「……あの」


少し躊躇いながら、僕は言葉をこぼした。


「よかったら、僕も一緒に行っていい?」


心音さんが小さく目を見開く。

驚きと嬉しさの混じった表情だった。


「……本当に?」


「うん。ちゃんと挨拶したいんだ。

心音さんを、こんなに優しい人に育ててくれたお父さんに」


少しの沈黙のあと、心音さんは微笑んだ。

冬の光のように静かで、温かい笑顔だった。


「……ありがとう。一緒に行こう」




霊園は、街の外れの小高い丘の上にあった。

バスを降りて、冬枯れの木々の間を歩く。

風が冷たく頬を撫でるたび、僕は息を白くした。

それでも、隣にいる心音さんの存在が、不思議と温かかった。


「この霊園ね、景色がきれいなんだ。お父さん、静かな場所が好きだったから」


心音さんの横顔。

その表情には、寂しさと穏やかさがゆっくりと溶け合っていた。


やがて、ひとつの墓石の前で彼女が立ち止まる。


「お父さん、来たよ」


心音さんが静かに語りかける。

その声は柔らかく、少しだけ震えていた。


「今日はね、大切な人を連れてきたの」


彼女が僕の方を見る。

僕は深く息を吸って、墓石の前に立った。


「……初めまして。水無月零といいます」


声がわずかに震える。

けれど、ちゃんと伝えたかった。


「心音さんには、本当にお世話になっています。

僕が声を失って、生きる意味も分からなくなっていたとき……

心音さんが、そばにいてくれました」


風が吹き、枯葉が舞う。

空は高く、どこまでも透き通っていた。


「まだ完全には立ち直れていません。

でも、少しずつ前に進めています。

それは、心音さんのおかげです」


胸の奥が熱くなって、言葉が滲む。


「……ありがとうございます」


僕は深く頭を下げた。


心音さんが、そっと僕の肩に手を置く。


「お父さん、零くんね、歌を投稿したんだよ」


彼女が微笑みながら言う。


「零くん、少しずつ声を取り戻してるの。

お父さんが好きだった音楽を、大切にしてくれてるんだよ」


その言葉に、胸が詰まった。

心音さんは涙を浮かべながら、でも笑っていた。


「だから……見守っててね。零くんのこと」


冬の風が吹き抜ける。

沈黙の中、空だけが静かに広がっていた。

言葉では届かない想いが、確かにそこに流れていた。




帰り道。

夕陽が傾き始めた丘を、僕たちは並んで歩いた。


「お父さん、きっと喜んでるよ」


「……そうかな」


「うん」


心音さんは空を見上げ、微笑んだ。


バス停のベンチに腰を下ろす。

冬の風は冷たいけれど、心音さんの隣はあたたかい。


「ねえ、零くん」

「ん?」


「……よかったら、私の実家に行かない?」


少し驚いて、彼女を見た。


「実家……?」


「うん。ここから歩いて10分くらいなの。

お母さんに零くんの話をしたらね、会いたいって」


頬を染めながら、心音さんは視線を逸らす。

その仕草が、少し照れくさくて愛しかった。


「……行きたい」


僕は小さく頷いた。


「本当に?」


「うん。ちゃんと挨拶したい」


心音さんの顔がぱっと明るくなる。

冬の光が、その笑顔をやわらかく包み込む。


「ありがとう。じゃあ、行こう」


こうして僕たちは、霊園から続く坂道を歩き出した。

冬枯れの木々を抜け、住宅街へ向かって。


そこには、心音さんが育った場所。

そして、僕にとって新しい「家族」が待っていた。



心音さんの実家は、駅から徒歩10分ほどの静かな住宅街にあった。

古い街並みが続く坂道を歩くと、冬枯れの風が頬を撫でる。

隣にいる心音さんは、少し緊張した様子で足元を見ていた。


「この辺、全然変わってないなあ」


心音さんが微笑む。


「心音さん、ここで育ったんだね」


「うん。高校卒業するまでずっと」


やがて、ひとつの木造二階建ての家の前で立ち止まる。

玄関先には、小さな花壇。

冬でも緑が残っていて、優しい空気を漂わせている。


「ここが、私の実家」


心音さんが少し緊張した声で言った。

その横顔を見て、僕も自然と背筋が伸びる。


「じゃあ、行こう」


心音さんがインターホンを押す。


数秒後、明るい声が響く。


「はーい!」


ドアが開くと、そこには心音さんによく似た、優しそうな女性が立っていた。


「心音、おかえりなさい」


「ただいま、お母さん」


お母さんの視線が僕に向く。

少し驚きの色を浮かべ、目を見開く。


「あら……あなたが、零くんね」


「は、初めまして。水無月零です」


僕は慌てて頭を下げる。


「まあ……心音からは聞いてたけど、本当にお人形さんみたいに綺麗な子ね」


お母さんが優しく微笑む。


「お、お母さん……」


心音さんが慌てて口を開く。


「だって本当のことじゃない。こんなに整ったお顔立ちの子、なかなかいないわよ」


僕は顔が熱くなる。


「さあさあ、そんなところで立ってないで。入って」


お母さんが微笑みながら、僕たちを家の中へ招き入れてくれる。


廊下を進むと、制服姿の少女が現れた。


「お姉ちゃん、帰ってきたの?」


「ただいま、結音」


「え……」


結音と呼ばれた少女は、僕を見て驚きの表情を浮かべる。


「この人が……」


「そう。零くん」


心音さんが紹介する。


「零くん、私の妹の結音。高校二年生」


「は、初めまして。水無月零です」


僕は深く頭を下げる。

結音ちゃんは顔を真っ赤にし、俯いたまま小さく頷いた。


「まあまあ、立ち話もなんだから。リビングに行きましょう」


お母さんが微笑み、僕たちを案内する。


リビングは温かい空間だった。

古い家具が並び、壁には家族の写真が飾られている。

柔らかな日差しが差し込み、冬の冷たさを包み込んでいた。


「水無月さん、座って。お茶入れるわね」


お母さんがキッチンへ向かう。

僕と心音さんはソファに腰を下ろし、結音ちゃんは少し離れた椅子に座った。


「お姉ちゃん、お墓参り行ってきたの?」


結音ちゃんが尋ねる。


「うん。零くんも一緒に」


「そうなんだ……」


結音ちゃんは少し寂しそうに微笑むが、すぐに僕を見つめた。


「あの、水無月さん? お姉ちゃんから話聞いてます。歌、投稿したんですよね」


その言葉に僕は少し驚く。


「……うん」


「すごいと思います。私、Re:Voiceの『名前のない歌』聴きました」


結音ちゃんの声が少し恥ずかしそうに震える。


「あの……すごく心に残る歌でした。声も、すごく綺麗で……」


そこへお母さんがお茶を運んできた。


「結音の言う通りよ。私も聴かせてもらったの。水無月さん、本当に素敵な声ね」


僕は驚いて顔を上げる。


「え……お母さんも……?」


「ええ。心音が教えてくれたから。透き通るような、でもどこか切ない声。

その声で歌えることは、本当に才能よ」


お母さんの言葉には温かさと真剣さが混じっていた。


「水無月さんと出会えて、心音も救われてるんだと思うの」


お母さんが優しく微笑む。


僕は心音さんを見る。

彼女は小さく笑って、頷いた。


「零くん、これからもよろしくね」


結音ちゃんか静かに言う。


「お姉ちゃんのこと、支えてあげてください」


「……僕が、支える?」


「はい。お姉ちゃん、強がってるけど、実は寂しがり屋だから」


お母さんと結音が笑う。

その柔らかな笑い声に包まれ、僕の胸に春のような温もりが流れた。


窓の外、冬の日差しは優しく降り注ぎ、僕は初めて「家族」という居場所を感じていた。


温かな笑い声と、香ばしいお茶の匂い。

それだけで、僕の胸の奥に少しずつ力が戻ってくるようだった。


心音さんの家族は、何も飾らず、ただ優しく僕を迎え入れてくれた。

初めて触れる「本当の居場所」。

それは、冷たい冬の中でそっと差し込む陽だまりのように、僕の心を溶かしていった。


「零くん……」


心音さんがそっと僕の手を握る。

その温もりに、僕は自然と微笑む。



窓の外、冬の日差しは少しずつ傾き、淡い金色に街を染めていく。

僕の心には、確かな希望の芽が生まれていた。


──もう、声を失ったままじゃない。

僕は、少しずつ、確かに歩き出している。


そして、その先には、まだ見ぬ新しい日々が待っている。





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