第94話 日暮れまでに
「王城に知らせを、今すぐ」
レオの声に、リリアンは既に踵を返していた。
「衛兵隊に緊急の照会を出します。ですが──正式な出動命令が下りるまで、早くても数刻はかかるでしょう」
「数刻じゃ遅い。日暮れには着いてしまう」
「わかっています。ですが、根拠のない訴えで王家の兵を動かすことはできません。今回のような込み入った事情なら、なおのこと」
レオは奥歯を噛んだ。分かってはいる。だが、目の前で「商品」と呼ばれる人々が館に運び込まれようとしているというのに、悠長に手続きを待つことなどできない。
「キット」レオはしゃがみ込み、少年の目線に合わせた。「今夜の荷馬車、詳しいことをもう少し教えてくれないか。何時頃、どこから来るのか」
キットは怯えながらも、記憶をたどるように話し始めた。
「いつも……裏の門から。日が完全に沈んで、明かりが灯る前くらい。見張りが増えるから、その時間は」
「裏門の場所は?」
「館の東側。森に面してる方」
ミアが素早く紙に書き留めていく。
「キット、あなたは今から、どうするの? 館に戻れば危ないんじゃ」
キットは俯いた。
「戻らないと……サリーさんの息子たちみたいに、いなくなった子もいる。逃げたら、何をされるか」
その言葉に、レオの胸が締めつけられた。目の前のこの少年もまた、館という檻の中に囚われている一人なのだ。
「キット、聞いてくれ」
レオは少年の肩に手を置いた。
「今夜、僕らは館に向かう。証拠を集めるだけじゃない、今度は──止めに行く」
「止める……?」
「今夜運ばれてくる人たちを、このままにはしない。それに、お前のことも」
キットの目に、驚きと、それ以上に何か縋るような光が浮かんだ。
「でも、若様は……向こうには、大人が何人も」
「それでも、だ」
レオは立ち上がり、ミアを見た。
「兄上たちに知らせを出そう。西方から戻る道中なら、ちょうど間に合うかもしれない」
「伝令は?」
「伯爵家の早馬を借りる。母上に頼めば、きっと」
エレノアは、事情を聞くなり顔色を変えたが、すぐに使用人へ指示を飛ばした。
「馬を二頭、すぐに用意なさい。行き先はミルバンク方面──ガイウス様たちを追ってちょうだい」
「母上、ありがとうございます」
「礼はいいから、あなたたちも無茶はしないで頂戴。......本当に、危ないことなの?」
レオは一瞬迷ったが、母に嘘をつく気にはなれなかった。
「危ないと思います。でも、行かなきゃいけない」
エレノアはしばらくレオの顔を見つめた後、静かに息を吐いた。
「──前世の記憶だとか、そういう難しい話は、私にはよくわからないけれど。あなたが辺境に行ってから、ずっと変わっていくのを見てきたわ。臆病だった子が、こんなに強くなって」
「母上……」
「行きなさい。ただし、必ず帰ってくること。それだけは約束して」
「はい、必ず」
馬が伯爵邸の門を飛び出していく。レオはその後ろ姿を見送りながら、ミアと視線を交わした。
「私たちは?」
「僕らは、日暮れ前に灰の館の近くまで行く。今夜、あの裏門を見張る」
「二人だけで?」
「エマにも声をかけよう。今回は──陽動じゃなく、本当に止めなきゃいけない」
西日が傾き始めていた。日暮れまで、もう幾ばくもない。




