第93話 赤い布
翌朝、レオとミアは伯爵邸の中庭で、落ち着かない時間を過ごしていた。
「キット、気づいたと思う?」
ミアが三度目の同じ問いを口にする。レオは苦笑しながら答えた。
「わからない、としか言えないな。でも──待つしかない」
「レオ先生でも、待つのは苦手なんだ」
「教師をやってると、待つのには慣れてるつもりだったんだけどな。生徒の答えを待つのと、これは、ちょっと違う」
そう言いながらも、レオの視線は何度も邸の門の方へ向かっていた。もし紙片がキットの手に渡っていたら、彼はどう動くだろうか。危険を冒してまで、合図を出してくれるだろうか。
昼過ぎ、リリアンが記録保管所から戻ってきた。表情には、疲労と、それでも隠しきれない興奮の色が浮かんでいる。
「レオさん、ミアさん。閲覧制限の件、少し進展がありました」
「本当ですか」
「グレイフィールド家の記録そのものには、依然として制限がかかっています。ですが──四年前の『火災』の消火に当たった記録が、別の部署に残っていました。当時の消防隊の報告書です」
リリアンは持参した書類を机に広げた。
「報告書によれば、火元は書庫の一角。ですが、焼失した範囲が不自然に限定的だったと記されています。まるで、特定の棚だけを狙ったかのように」
「つまり、証拠隠滅のための、意図的な火災……」
「断定はできませんが、その可能性は高いかと。それと、もう一つ」
リリアンは別の紙を取り出した。
「消防隊員の一人が、当時の聞き取りで気になる証言を残しています。『火災の直前、館の使用人らしき若い男が二人、慌てて裏口から出ていくのを見た』と」
レオとミアは思わず顔を見合わせた。
「若い男が二人……まさか」
「ダニエルとフィン、ですか」
「証言だけでは確定できません。ですが、時期は一致します。四年前、彼らが姿を消したのと同じ頃です」
ミアの表情が強張った。
「じゃあ、ダニエルとフィンは……その火災に、何か関わってた、ってこと?」
「あるいは」レオが低く呟いた。「証拠を消す作業を、無理やりやらされていたのかもしれない。契約書にあった『労役』の内容が、それだったとしたら」
重い沈黙が落ちた。もしそうだとすれば、二人の若者は、自分たちを縛る証拠そのものを、自らの手で燃やさせられていたことになる。あまりにも残酷な仕打ちだ。
「彼らが今どこにいるのか、それだけでも……」
ミアの声が震えていた。レオはその肩にそっと手を置いた。
「見つけよう。必ず」
その時、庭の外から、使用人の一人が慌てた様子で駆けてきた。
「レオ様! 門のところに、市場で見かけた少年が……!」
レオとミアは同時に立ち上がった。門へ急ぐと、そこには息を切らしたキットが立っていた。手には、小さな赤い布切れを握りしめている。
「合図、見た……お前らの字、読めた……ダニエルが少しだけ、教えてくれてたから」
キットは肩で息をしながら、震える声で続けた。
「今夜、また若様が戻る。それだけじゃない──今度は、西の方から新しい荷馬車が来るって、聞いた。『商品』を運んでくるって」
「商品……?」
キットは頷き、声を落とした。
「人だよ。前にもあった。荷馬車の荷台に、縛られた人が乗せられてるの、見たことがある」
レオの背筋に、冷たいものが走った。西方──ガイウスとノアが向かった、まさにその方角だ。
「いつだ、それは」
「今夜。日暮れ、後……」
レオはミアと目を合わせた。時間がない。証拠集めどころではない。今夜、灰の館で何かが起ころうとしている。
「ミア、リリアンさんに知らせを。それと──兄上たちに、急いで連絡を」
「間に合う?」
レオは拳を握りしめた。
「間に合わせるしかない」




