第9話 恋文を届けたい若者
寺子屋に通う顔ぶれが十人を超えた頃、新しい生徒がまた一人、加わることになった。
「あの……レオ様。ちょっと、相談したいことが」
そう切り出したのは、村の若い青年、カイルだった。歳は二十歳前後、村では働き盛りの若者として知られている。だが、その日の彼は、いつもの威勢の良さが鳴りを潜め、どこか落ち着かない様子だった。
「相談?」
「……その、字を、教えてほしいんです」
「もちろん構わないが、何かきっかけが?」
俺が尋ねると、カイルは顔を赤くしながら、しばらく言い淀んだ。
「──隣のソルヴィン村に、想ってる娘がいるんです」
その言葉に、隣で作業をしていたミアとノアが、思わず顔を見合わせた。
「その娘、去年、行商の護衛で立ち寄った時に知り合って。それからずっと、気になってて」
「それで、手紙を?」
「はい。でも……向こうの娘は、少しだけ字が読めるらしくて。手紙で気持ちを伝えたいって思ったんですけど、俺は自分の名前すら、ろくに書けなくて」
カイルはそう言って、恥ずかしそうに頭をかいた。
「口で伝えりゃいいだろって思うかもしれませんけど……次に会えるのが、いつになるか分からないんです。だから、手紙なら、いつでも届けられるかなって」
その不器用な動機に、俺は思わず頬が緩むのを感じた。前世でも、似たような理由で勉強を頑張り始める生徒を、何人か見たことがある。恋というのは、時に何よりも強い原動力になるものだ。
「わかった。一緒に頑張ろう」
その日から、カイルも寺子屋の一員に加わった。ただ、彼の場合、他の子供たちと一緒に基礎から学ぶのは、少々気恥ずかしいものがあったらしい。
「なあ、先生。子供らと一緒にやるのは、ちょっと……」
「贅沢は言えないぞ、カイル」
からかうようにノアが茶々を入れると、カイルは顔を赤くして黙り込んだ。それでも、彼の学ぶ意欲は本物だった。畑仕事の合間、休憩時間、寝る前のわずかな時間まで使って、一心に文字を覚えていった。
「──『あなたのことを、いつも考えています』」
一月ほど経ったある日、カイルは自分で書いた一文を、恐る恐る俺に見せてきた。文字はまだぎこちなく、時折崩れてもいたが、確かに、意味の通じる文章になっていた。
「これで、いいでしょうか」
「十分すぎるくらいだ」
「本当に……ちゃんと、伝わりますかね」
不安そうなカイルに、俺は頷いた。
「言葉というのは、上手さより、込めた気持ちの方が伝わるものだ」
その言葉に、カイルは少し安堵したように息を吐いた。
数日後、カイルは自分で書いた手紙を懐に、隣村ソルヴィンへと向かう行商の一団に同行させてもらうことになった。村を出る朝、彼は寺子屋に立ち寄り、俺たちに深々と頭を下げた。
「──ありがとうございました。皆さんのおかげで、自分の言葉を、自分の手で届けられます」
「上手くいくといいな」
「はい。……何て返事が来るか、正直、怖いですけど」
そう言って笑うカイルの表情は、初めて訪れた時とは比べ物にならないほど、晴れやかだった。
その姿を見送りながら、ミアがぽつりと呟いた。
「わたしたちが教えていることって、ただ文字を覚えるだけじゃないんですね」
「どういうことだ?」
「誰かの気持ちを、届ける手伝いをしているんだなって。エマさんはお母さんの言葉を受け取れるようになったし、カイルさんは自分の気持ちを届けられるようになった。……文字って、人と人を繋ぐものなんだって、最近よく思うんです」
その言葉に、俺は静かに頷いた。
前世では、ただ試験の点数を上げるための手段として、文字や知識を教えることが多かった。だが、ここでは違う。一つひとつの学びの裏に、それぞれの人生と、それぞれの想いがある。
「──そうだな。文字は、人と人を繋ぐ」
呟くように言ったその言葉が、これから先の自分の指針になる気がした。
半月ほど経った頃、カイルが村に戻ってきた。その手には、一通の返事が握られていた。
「先生! 読んでください、返事が来たんです!」
興奮した様子で駆け込んできたカイルに、俺は思わず笑ってしまった。
「いや、自分で読めばいいだろう」
「そうでした……!」
慌てて手紙を開き、たどたどしくも一文字ずつ読み進めるカイルの顔が、次第に真っ赤に染まっていく。読み終えた頃には、彼は満面の笑みを浮かべていた。
「──なんて書いてあったんだ?」
「……それは、内緒です」
そう言って照れ笑いを浮かべるカイルの姿に、寺子屋中が温かい笑いに包まれた。




