第8話 ミア、教える側への一歩
ガレットが孫のトビーと並んで文字を学び始めてから、寺子屋に通う顔ぶれは、着実に増えていた。
十人近くにまで膨れ上がった生徒たちを前に、俺は一つの壁にぶつかっていた。
──手が、足りない。
年齢も理解の速さもばらばらな子供たちを、一人で見て回るのには限界がある。ミアやノアのように早くに覚えた子は手持ち無沙汰になり、逆にまだ文字を覚え始めたばかりの子は、置いていかれてしまう。
「レオ様、こっちも見てほしいです」
「先生、この字、合ってる?」
四方から声がかかる中、俺は目まぐるしく納屋の中を動き回っていた。前世でも、似たような状況はよくあった。理解度がばらばらの生徒たちを、一人でどう見るか。あの頃も、結局は良い答えを出せずじまいだった。
そんな中、ふと視線を向けると、ミアが自然な様子で、一番年少の子供たちの輪に加わっているのが目に入った。
「ほら、この字はね、こう書くと覚えやすいよ。『と』は、鳥が羽を広げて飛んでるみたいでしょ」
「ほんとだ! 覚えやすい!」
小さな子供たちに囲まれながら、ミアは楽しそうに、それでいて丁寧に文字を教えていた。俺が思いつきもしなかった覚え方を、いつの間にか自分なりに編み出していたらしい。
「──ミア、いつの間にそんなことを」
作業の合間に声をかけると、ミアは少し照れくさそうに笑った。
「レオ様の教え方を見ているうちに、自然と。小さい子には、絵と結びつけて覚えてもらう方が早いなって、気づいたんです」
「才能があるな」
「才能だなんて、そんな。ただ、自分が教わってきたことを、思い出しながらやってるだけです」
謙遜しながらも、ミアの表情には、確かな手応えが見えた。
その日を境に、俺はミアに、年少の子供たちを見てもらう役割を頼むようになった。最初は本人も戸惑っていたが、日を追うごとに、その教え方は洗練されていった。厳しすぎず、甘やかしすぎず、子供それぞれの理解の速さに合わせて、言葉を選んでいる。
「ミアの教え方、俺より上手いかもしれないな」
ある日、俺が半分本気でそう言うと、ミアは驚いたように目を丸くした。
「そんなこと、あるはずないです。レオ様がいなかったら、わたしはまだ、自分の名前も書けなかった」
「教わったことを、次の誰かに繋げられるのは、才能だ。俺には、それがなかなかできなかった」
「……嬉しいです。そう言ってもらえると」
ミアは少し俯きながら、それでも隠しきれない笑みを浮かべていた。
数日後、村の外れに住む、体の弱い老女──名をベサニーという──のもとへ、ミアが一人で通うようになったことを、俺は後から知った。
「あのおばあさん、寺子屋まで通うのが大変だからって。だから、わたしが代わりに、家まで行って教えてるんです」
「一人で?」
「はい。おばあさん、若い頃に商家に嫁いだことがあって、少しだけ文字に触れたことがあるらしくて。でも、ほとんど忘れてしまったから、思い出したいって」
ミアはそう言いながら、少し誇らしげな顔をした。
「レオ様が全部を一人で背負う必要は、ないと思うんです。わたしにできることは、わたしがやりたい」
その言葉に、俺は胸の奥が温かくなるのを感じた。前世では、一人で全てを抱え込み、結局はどの生徒にも十分に向き合えなかった。だが、ここでは違う。ミアという存在が、俺の手の届かない場所に、光を届けてくれている。
「ありがとう、ミア」
「お礼を言うのは、わたしの方です」
ミアはそう言って、まっすぐに俺を見つめた。
「レオ様が来てくれなかったら、わたしはずっと、諦めたまま生きていたと思います。学ぶことなんて、自分には関係ないんだって。……でも今は、誰かに学ぶ喜びを伝えられることが、こんなに嬉しいなんて、知りませんでした」
その夜、寺子屋を出た後、ベサニーの家からの帰り道でミアと並んで歩きながら、俺はふと思った。
──一人で始めたこの試みは、もう、俺だけのものじゃなくなってきている。
ミアが、ノアが、エマが、ガレットが。それぞれの場所で、それぞれのやり方で、学びの輪を広げ始めている。それは、前世では決して見ることのできなかった光景だった。
「レオ様、何を考えてるんですか」
「……いい仲間に恵まれたな、と思って」
「仲間、ですか」
ミアは少し驚いたように、それから嬉しそうに笑った。
「はい。わたしも、そう思います」
夜空の下、村の灯りは、少しずつその数を増やし続けていた。




