第76話 出立前の一手
カーライルの馬車が村を発つという知らせが広場に流れると、レオはすぐに動いた。このまま彼を行かせてしまえば、ダニエルとフィンの手がかりは再び闇に沈む。だが、証拠と呼べるものはまだ、筆跡の重なりと徽章の意匠だけ。真正面からぶつかれば、言い逃れされて終わりだ。
「ノア、時間を稼げるか」
「稼ぐって、どうやって」
「監査という名目で来ているなら、監査らしく振る舞ってもらう。こちらから“協力的な村”を演じて、帳簿の全記録を確認してもらう――時間はかかるはずだ」
ミアがすぐに意図を汲み取った。
「その間に、私たちは別の裏を取る、ってことね」
「ああ。エマ、あの筆跡の照合、もう一度別の書類でも試せるか」
「村の古い取引記録なら、書記小屋に残ってるはずです」
一同はすぐに動き出した。レオとミアはカーライルのもとへ向かい、村長は「せっかくの調査です、ぜひ全ての帳簿をご確認ください」と、丁重に、しかし執拗に足止めを申し出た。
「これはこれは……随分と協力的な村ですね」
カーライルは笑みを崩さなかったが、その目の奥にわずかな苛立ちが滲むのをレオは見逃さなかった。
「不正の被害に遭った村ですから。二度と同じ目に遭いたくない一心です」
レオの言葉に、カーライルは小さく頷いた。
「ごもっとも。……では、少しだけお付き合いいたしましょう」
その間、エマとノアは書記小屋にこもり、過去十年分の取引記録を一枚一枚めくっていた。
「あった」
エマが声を上げたのは、日が傾き始めた頃だった。四年前――ダニエルとフィンが姿を消した年の記録に、同じ重ね書きの跡が残っていた。しかも今回は、下に透ける文字がより鮮明だった。
「『C・カーライル』……いや、待って」
エマは灯りに紙を透かし、目を凝らした。
「これ、『カーライル』じゃない。『代理人・カーライル』って書いてある」
「代理人……?」ノアが眉をひそめる。「つまり、カーライルって名前自体が、誰かの名代ってことか」
その時、ノアがふと、村長から預かった徽章を取り出し、記録の隅に描かれた小さな印と見比べた。
「エマ、この印……徽章の裏の『W.G.』と、形が似てないか?」
エマは息を呑んだ。記録の片隅に描かれていたのは、簡略化された紋章──だが確かに、徽章のものと同じ意匠だった。
「これ、誰かの家紋よ。しかも、ただの商人の印じゃない……貴族の家紋の略式表記だと思う」
ノアとエマは顔を見合わせた。組合でも、子爵家でもない。W.G.という頭文字を持つ、名も明かさぬ貴族の影が、四年前からこの村に伸びていたことになる。
外では、カーライルが村長の丁寧すぎる引き止めに、少しずつ苛立ちを隠せなくなっていた。
「村長殿、そろそろ日も暮れます。続きはまた後日、改めて──」
「おや、もうお帰りに? まだ半分も終わっておりませんが」
村長の飄々とした態度に、カーライルの笑みがわずかに強張った。その一瞬の隙を、レオは見逃さなかった。
「カーライル様。最後に一つだけ、お伺いしても?」
「……何でしょう」
レオは静かに、しかしまっすぐにカーライルの目を見た。
「W.G.という印に、心当たりはございますか」
その瞬間、カーライルの表情から完全に笑みが消えた。




