第72話 見知らぬ紋章
馬車が村の広場に停まると、御者台から降りてきたのは仕立ての良い外套を纏った初老の男だった。腰の低い物腰だが、目つきだけは値踏みするように鋭い。
「これは失礼。突然お邪魔してすみません。私、こういう者です」
差し出された名刺には「王国商業監査院・特別調査官」の肩書きと共に、エドマンド・カーライルという名前が記されていた。村長の顔から強張りが消えない。
「調査官殿が、こんな辺境の村に何のご用でしょうか」
村長の声にわずかな警戒が滲む。カーライルは笑みを崩さぬまま、周囲をぐるりと見回した。
「先の内務省調査で、グリンウォード交易組合の不正が国王陛下の裁定により明るみに出たのはご存知でしょう。あれを受けて、我々監査院は組合と取引のあった全国の村・街を巡回し、被害の実態を洗い出しています。この村も、帳簿上、組合との取引記録が残っておりましてね」
レオはミアと視線を交わした。表向きの理由は筋が通っている。だが、村長のあの反応──「組合の人間じゃない、もっと厄介な筋」という言葉が、頭の片隅で引っかかっていた。
「調査にはもちろん協力いたします。ただ、失礼ですが、こちらの帳簿の件はご存知でしたか」
レオはノアがまとめた差分の記録を差し出した。カーライルはそれを一瞥すると、僅かに眉を動かした。
「ほう……これはあなた方が?」
「はい。搬入担当者の名前も特定してあります」
「なるほど、なるほど。噂に違わぬ手際だ」
カーライルの口調は穏やかだったが、その「噂」という言葉に、レオはかすかな違和感を覚えた。まるで──こちらの動きを、来る前からすでに知っていたかのような。
その夜、村長の家に呼ばれたレオとミアは、ようやく本当の事情を聞かされることになった。
「カーライルという名は、監査院の記録には確かにある」村長は声を落とした。「だが、私が恐れているのは別の話だ。数年前、この村にも似たような『調査官』を名乗る男が来た。あの時、村の若い衆が二人、彼について行ったきり戻ってこなかった」
「戻ってこなかった……?」
ミアの声が強張る。
「表向きは『王都で働き口を紹介する』という話だった。だが、便りの一つも来ない。生きているのか、死んでいるのかすら分からんのだ」
納屋の外で、風が木々を揺らす音がやけに大きく聞こえた。レオは静かに帳簿を握りしめた。
「村長、その時の男の特徴、覚えていますか」
村長は少し考え込んでから、ゆっくりと頷いた。
「右目の下に、小さな傷があった」
翌朝、村の広場でカーライルと言葉を交わしたとき、レオはさりげなく彼の顔に目をやった。右目の下──そこには何もなかった。だが、外套の襟を直す仕草の中で、彼の右手首に、古い火傷のような痕が一瞬だけ覗いた。
灯りが照らすのは、いつも希望だけとは限らない。時に、隠されていた影の輪郭を、静かに浮かび上がらせることもある。




