第71話 小麦粉の重さ
ブライアーウッド村に来て三日目。村外れの小さな納屋を借りて始めた青空教室には、まだ大人の姿はまばらだった。
「先生、また来たのか」
そう言いながらも、農夫のドナルドは毎朝欠かさず顔を出す。表向きは「暇だから見てるだけだ」と言い張っているが、ノアが配る紙切れを一枚も見逃さず、隅の方でこっそり指をなぞっている。
「ドナルドさん、それ数字ですよ。読めてます」
ノアがからかうと、ドナルドは慌てて紙を懐にしまい込んだ。
「べ、別に読めてるわけじゃねえ。形を覚えてるだけだ」
「それを『読める』って言うんですよ」
エマが横から笑いながら口を挟む。ドナルドは何も言い返せず、ただ耳を赤くして農具の手入れに戻った。
そんな空気が少しずつ和らいでいく中、ミアは村の共同倉庫の帳簿に目を通していた。ここへ来る前、村長から「収穫の記録がどうも合わない」と相談を受けていたのだ。
「レオ、ちょっとこれ見て」
差し出された帳簿を覗き込むと、小麦粉の受け渡し量と、実際に配給された量の間に、毎月わずかながら差があった。数字にすればほんの数キロ。だが、それが半年、一年と積み重なれば──。
「これ、誤差じゃないですね」
ノアがすぐに紙とペンを取り出し、月ごとの差分を書き出していく。ソルヴィンでの一件以来、彼のこうした作業はすっかり手慣れたものになっていた。
「差はいつも同じ人物が搬入を担当した月に出てる。名前は──」
ノアが指さした欄に書かれていたのは、聞き覚えのない名だった。だが村長の反応は違った。彼は帳簿を見た瞬間、顔から血の気が引いていく。
「まさか……あの男が、まだ」
「村長、心当たりが?」
レオが尋ねると、村長は言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「グリンウォードの組合が潰れたと聞いて、正直、ほっとしていた。だが……あの男は組合の人間じゃない。もっと厄介な筋の人間だ」
納屋の外で、遠くから馬の蹄の音が聞こえた気がした。ミアが窓の外に目をやる。夕暮れの街道の向こうに、見覚えのない紋章をつけた馬車が一台、村へと向かってくるのが見えた。
「レオ……あれ」
村長の顔がさらに強張るのを見て、レオは静かに帳簿を閉じた。
灯りを広げる旅は、まだ始まったばかりだった。




