第67話 監査の波紋
公聴会から数日、王都には早くも噂が広がり始めていた。
「グリンウォード交易組合に、王家の監査が入ったらしい」
「バロウズ侯爵家も、無関係ではいられないという話だ」
宿舎の窓から王都の街並みを眺めながら、レオはそうした噂の断片を耳にしていた。
「レオ様、カーライル卿からの使者が参りました」
ノアの声に、レオは振り返った。案内された使者は、一通の書状を差し出した。
「監査の中間報告について、内務省より正式な通達がございます」
レオはその場で書状を開いた。ミア、ノア、エマ、そしてガイウスも、固唾を呑んで見守っている。
「……エルバン、ソルヴィン以外にも、同様の手口による被害が、少なくとも六つの村で確認されたそうだ」
レオの声に、皆が息を呑んだ。
「六つも……」
エマが、驚きと同時に、深い憂いの表情を浮かべた。
「それだけ多くの村が、僕らと同じように苦しんでいたということだね」
ガイウスが、書状の続きに目を通しながら唸った。
「監査はさらに、組合の資金の流れにも及んでいるようだ。バロウズ侯爵家への不自然な資金移動の疑いについても、調査が進められているという」
「侯爵家への資金移動……つまり、組合はバロウズ侯爵に上納金のようなものを渡していたということですか」
ミアの問いに、ガイウスは頷いた。
「その見返りに、侯爵は組合を政治的に庇護していたのだろう。もしこれが立証されれば、単なる商取引上の不正では済まなくなる。貴族の権力濫用にまで発展する話だ」
事態は、レオたちが想像していた以上の規模へと広がりつつあった。
その日の午後、宿舎に思わぬ来客があった。
「失礼する」
現れたのは、王都の書店を営むという初老の商人だった。名をフレデリックと名乗った彼は、緊張した様子で切り出した。
「レオ殿とお見受けする。此度の公聴会の噂を耳にし、居ても立っても居られず参上いたしました」
「どのようなご用件でしょうか」
「実は、手前どもも、かつてグリンウォード交易組合との取引で、不当な扱いを受けたことがございます。当時は泣き寝入りするしかありませんでしたが、此度の件で、真実が明らかになるならばと思い、当時の記録をお持ちしました」
フレデリックが差し出したのは、古びた帳簿だった。
「これは……」
ノアが受け取り、目を通す。
「十年以上前の取引記録ですね。しかも、書式が今回の証文とほぼ同じ……」
「組合の不正は、今に始まったことではなかった、ということか」
ガイウスが、険しい表情で呟いた。
フレデリックは、深く頭を下げた。
「レオ殿。手前のような小さな商人には、これまで声を上げる術がございませんでした。ですが、此度の公聴会を機に、多くの被害者が声を上げ始めております。どうか、この記録も、監査のお役に立てていただければと」
「ありがとうございます、フレデリックさん。必ず、カーライル卿に届けます」
フレデリックが帰った後、レオは静かに帳簿を見つめた。
「これは、始まりに過ぎないのかもしれない」
「レオ様……」
ミアが心配げに声をかける。レオは、深く息を吐いた。
「エルバンとソルヴィンで見てきたことは、氷山の一角だったんだ。組合の不正は、もっと長い年月、もっと広い範囲に及んでいた」
その言葉に、部屋の空気が重くなった。だがレオの目には、恐れよりも強い決意が宿っていた。
「でも、だからこそ、ここで止まるわけにはいかない」
数日後、内務省から正式な呼び出しがあった。カーライル卿の執務室に通されたレオたちを待っていたのは、思いがけない報告だった。
「監査の結果、グリンウォード交易組合の不正取引は、過去十年以上にわたり、王国内の少なくとも九つの村・街で確認された」
カーライル卿の言葉に、レオは唖然とした。
「九つも……」
「うむ。バロウズ侯爵家への資金移動についても、証拠が固まりつつある。近く、正式な裁定が下されることになろう」
カーライル卿は、レオを見据えた。
「レオ殿。此度の件、貴殿の存在なくしては、決して表沙汰にはならなかったであろう。エルバン村での小さな寺子屋が、これほど大きな不正を暴く端緒になろうとは、正直、儂も予想しておらなんだ」
「僕は、ただ村人たちに文字を教えただけです」
「それこそが、大きな力だったのだ」
カーライル卿は、静かに続けた。
「知は、それ自体が力を持つ。読み書きができぬ者は、どれほど不当な扱いを受けても、それに気づくことすらできぬ。貴殿が村人たちに与えたのは、単なる文字ではなく、自らを守る力そのものだったのだろう」
その言葉に、レオは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「此度の功績、王家としても正式に評価する意向だと聞いておる。近く、正式な沙汰があるだろう」
カーライル卿の執務室を出た後、ガイウスがレオの肩に手を置いた。
「レオ、お前は本当に、大きなことを成し遂げたな」
「まだ終わっていません、兄さん。バロウズ侯爵やダレンへの正式な裁定、それに、まだ声を上げられていない村々への支援も必要です」
レオの言葉に、ガイウスは微笑んだ。
「その通りだ。だが、少しは自分の成果を誇ってもいいのではないか」
レオは、少し照れくさそうに笑った。
「そうですね。……でも、これは僕一人の成果じゃありません。ミア、ノア、エマ、村の皆、バートラム村長、レイナ、ジョセフさん──みんなの力があったからこそです」
窓の外、王都の空には、夕暮れの光が柔らかく差し込んでいた。
エルバン村の小さな寺子屋から始まった物語は、今や王国全体を揺るがす、大きなうねりへと成長していた。
だが、バロウズ侯爵とダレンへの最終的な裁定、そしてまだ見ぬ他の被害者たちへの支援──物語は、まだその終着点に辿り着いていなかった。




