第64話 父との再会
アルダート伯爵家の屋敷は、王都の貴族街でもひときわ壮麗な佇まいを見せていた。エルバン村での暮らしにすっかり馴染んでいたレオにとって、その豪華さはどこか他人事のように感じられた。
「坊っちゃま、お帰りなさいませ」
門をくぐると、家令が恭しく出迎えた。だがその視線は、ガイウスにではなく、レオに向けられていた。かつて「無能」として遠ざけられた四男が、今やこうして正面から屋敷に戻ってくるとは、家令自身も予想していなかったのだろう。
「父上は在宅か」
ガイウスが問うと、家令は頷いた。
「はい。旦那様は書斎にて、ガイウス様のお戻りをお待ちです」
「レオも一緒だ、と伝えてくれ」
家令の表情に、わずかな緊張が走った。
「……承知いたしました」
ミア、ノア、エマの三人は、客間で待つよう案内された。レオとガイウスだけが、書斎へと向かう。
長い廊下を歩きながら、レオは自然と昔の記憶を思い出していた。魔力測定の日、父の失望した顔、そして辺境への追放を告げられた日のことを。
「レオ、緊張しているか」
「……少しだけ」
「正直でよろしい。俺も緊張している」
ガイウスがそう言って苦笑した。かつての冷ややかな長男の面影は、もうそこにはなかった。
書斎の扉の前で、ガイウスがノックをする。
「父上、ガイウスです。レオも一緒です」
「……入れ」
低く重々しい声が返ってきた。扉を開けると、書斎の奥、重厚な机の向こうに、**ハインリク・フォン・アルダート**伯爵が座っていた。
数年ぶりに見る父の姿は、記憶にあるよりもいくらか老けて見えた。だがその眼光の鋭さは、変わっていなかった。
「レオか」
ハインリクの視線が、レオに向けられる。かつての失望と侮蔑の色は、そこにはなかった。代わりにあったのは、値踏みするような、慎重な眼差しだった。
「父上、ご無沙汰しております」
レオは静かに一礼した。
「聞いておるぞ。エルバンでの一件、そしてソルヴィンでの一件も。ヴォルフ子爵から、正式な書状が届いておる」
ハインリクは、机の上に置かれた書状を指し示した。
「魔力なしの四男が、辺境の村で寺子屋を開き、村を組合の不正から救った、と。……にわかには信じがたい話だったが、子爵直々の書状となれば、疑う余地もあるまい」
「はい。事実です」
レオは、目を逸らさずに答えた。
ハインリクはしばし沈黙し、やがて低く呟いた。
「儂は……お前を辺境へ送った時、正直、二度と目にすることはないと思っておった。魔力なしがこの家門で生きていく道など、あるはずがないとな」
その言葉には、かつての冷酷さが滲んでいた。だが、続く言葉には、明らかに違う響きがあった。
「だが、お前は魔力とは全く違う力で、一つの村を、いや、二つの村を変えて見せた。それも、王家の関心を引くほどの規模でな」
ハインリクは、レオを真っ直ぐに見据えた。
「レオ。此度、王都で公聴会が開かれると聞いた。グリンウォード交易組合の不正を告発する場になるとも」
「はい、その通りです」
「知っておるか。グリンウォード交易組合とは、我がアルダート伯爵家も、過去に取引がある」
その言葉に、レオとガイウスは思わず顔を見合わせた。
「父上、それは……」
「案ずるな、ガイウス。不正な取引ではない。だが、公聴会でこの組合の悪事が明るみに出れば、少なからず、我が家門の名にも影響が及ぶ可能性がある」
ハインリクは、重々しい口調で続けた。
「それでもなお、お前は公聴会で証言するつもりか、レオ」
書斎に、重い沈黙が落ちた。ガイウスが息を呑んで、弟の答えを待つ。
レオは、しばし目を閉じた後、静かに、しかし確固たる声で答えた。
「はい。証言します」
「理由を聞こう」
「エルバンとソルヴィン、二つの村で、僕は多くの人々が組合によって不当に苦しめられてきたのを見てきました。証文を読めないがゆえに騙され、家族を引き裂かれ、それでも声を上げられずにいた人々を」
レオの声に、力が籠っていく。
「アルダート伯爵家の名に傷がつくことを、恐れないわけではありません。でも、それを理由に真実を語らなければ、僕がエルバンで教えてきたことすべてが、嘘になってしまいます」
書斎に、再び沈黙が落ちた。
ハインリクは、しばらくレオを見つめていたが、やがて──かすかに、口の端を上げた。それは、レオが記憶する限り、父が自分に向けたことのない表情だった。
「……そうか」
ハインリクは、椅子から立ち上がった。
「ガイウス、レオ。よく聞け」
「はい」
「アルダート伯爵家は、此度の公聴会において、お前たちの証言を支持する。組合との取引があったことは事実だが、不正には一切関与しておらぬ。堂々と、真実を語ればよい」
「父上……!」
ガイウスが驚きの声を上げる。ハインリクは、静かに続けた。
「儂も、伯爵として、この家門を長年守ってきた。だが、正直に言えば、真に家門を強くするものが何なのか、見誤っていたのかもしれぬ」
彼は、レオを見据えた。
「魔力ではない、知恵と正義によって村を変えたお前の姿は、この家門にとって、決して恥ではない。むしろ──」
ハインリクは、珍しく言葉に詰まりながらも、続けた。
「誇るべきものかもしれぬ」
レオは、思いがけない父の言葉に、胸が熱くなるのを感じた。
「ありがとうございます、父上」
「礼などいらぬ。ただ──」
ハインリクは、いつもの厳しい表情に戻りながら言った。
「公聴会では、決して隙を見せるな。組合側も、必死の反撃を仕掛けてくるはずだ。お前の証拠と証言、それを揺るぎないものとして貫き通せ」
「はい、必ず」
書斎を出た後、ガイウスがレオの肩に手を置いた。
「レオ、これで公聴会に向けて、伯爵家という後ろ盾も得られた。心強いはずだ」
「はい。……正直、父上がこう言ってくださるとは、思っていませんでした」
「俺もだ。だが──」
ガイウスは、微笑みながら続けた。
「エルバンで俺の価値観が変わったように、父上もまた、ヴォルフ子爵からの書状や、お前の噂を通じて、少しずつ変わっていたのかもしれん」
夕暮れの光が差し込む廊下を歩きながら、レオは静かに胸に手を当てた。
家族との再会は、想像していたよりもずっと、穏やかな形で幕を閉じた。
しかし、本当の戦いは、まだこれからだった。
公聴会という、王国全体を揺るがしかねない対決が、目前に迫っていた。




