第61話 旅立ちの朝
王都行きの日取りが決まってから、エルバン村は慌ただしくも充実した日々を過ごしていた。
「証拠の写しは、これで全部揃いました」
ノアが、丁寧に整理された書類の束を布で包みながら報告する。ソルヴィン村での十九件の証拠に加え、エルバン村での組合とのやり取りの記録も加えられ、その厚みは以前とは比べ物にならないほどになっていた。
「よくここまでまとめたね、ノア」
「レオ様に教わった帳簿のつけ方のおかげです。それに──」
ノアは少し誇らしげに続けた。
「これを見た人が、誰でも分かるように整理したかったんです。字が読めない人にも伝わるように、図や記号も入れて」
レオはその書類をめくりながら、感心したように頷いた。ノアの成長は、もはや教え子という枠を超え、村の未来を担う一人の大人としての風格を漂わせていた。
出発前日、村の広場では、村人総出でのささやかな壮行会が開かれた。
「レオ様、これを」
ベサニーが、震える手で小さな包みを差し出した。
「王都への長旅じゃ。体に気をつけてな。これは儂が作った干し肉じゃ。道中の腹の足しにしておくれ」
「ベサニーさん、ありがとうございます」
カイルも歩み寄り、レオの肩を叩いた。
「レオ様のおかげで、俺は想い人と文で想いを伝えられるようになった。王都でも、その調子で頑張ってくれ」
村人たちが次々とレオたちに声をかける。エルバン村がこの一年あまりで築き上げてきた絆の深さが、その一つ一つの言葉に滲んでいた。
ドノヴァンが、旅立つ娘・ミアの前に立った。
「ミア。お前がここまで成長するとは、正直、思ってもいなかった」
「お父さん……」
「村長として、そして父親として、お前を誇りに思う。王都でも、堂々と胸を張ってこい」
ミアは目を潤ませながら、力強く頷いた。
「はい、お父さん。行ってきます」
ガレットが、杖をつきながらレオに歩み寄った。
「レオ様。王都という場所は、この村とは比べ物にならんくらい、複雑な思惑が渦巻いておるじゃろう。だが──」
彼は、いつものように厳しくも温かい目でレオを見つめた。
「儂らがここで学んだことは、どこへ行っても変わらん。何が書かれ、何が書かれておらんか。それを見抜く目を、決して曇らせるでないぞ」
「はい、ガレットさん。忘れません」
出発当日の朝、村の入り口には、レオ、ミア、ノア、エマ、そしてガイウスを乗せた馬車が並んでいた。バートラムからの文によれば、ソルヴィン村からもレイナ、ジョセフ、そしてバートラム自身が別途王都へ向かう手筈になっているという。
「では、行ってまいります」
レオが村人たちに向かって深く一礼すると、村人たちから温かい拍手が沸き起こった。
「気をつけてな!」
「王都でも、エルバンの誇りを忘れるな!」
「無事に帰ってくるんじゃぞ!」
様々な声が飛び交う中、馬車はゆっくりと動き出した。
車窓から、レオは遠ざかっていく村の風景を見つめた。文字かるたから始まった小さな学び舎が、村全体を変え、そして今、その物語は王都という新たな舞台へと向かおうとしている。
「レオ様」
隣に座るミアが、静かに口を開いた。
「なんだか、不思議な気持ちです。あの村で、ただ文字を覚えたかっただけの自分が、こうして王都に向かうことになるなんて」
「僕も同じ気持ちだよ」
レオは微笑んだ。
「でも、これは始まりに過ぎない。王都でどんな戦いが待っていようと、僕らがこれまで大切にしてきたことは変わらない」
ノアが、証拠の書類を大切に抱えながら頷いた。
「事実を、正しく伝える。それだけです」
エマも、母の形見の手紙をそっと胸に当てながら微笑んだ。
「お母さんも、きっと見守ってくれています」
馬車は、朝日に照らされた街道を、王都へ向けて進んでいく。
ガイウスが、静かに窓の外を見つめながら呟いた。
「王都には、俺たちの父上──アルダート伯爵もいる。この件、伯爵家にとっても、決して他人事ではないはずだ」
その言葉に、レオの表情がわずかに引き締まった。魔力なしとして見放された実家との再会も、この旅の中で避けられないものになるかもしれない。
「兄さん、父上は今回の件について、何か知っているんでしょうか」
「分からん。だが、王都に着けば、いずれ分かることだ」
馬車の車輪が、乾いた土を踏みしめる音が続く。
エルバン村、そしてソルヴィン村で紡がれてきた小さな物語が、王国という大きな舞台に向けて、新たな一歩を踏み出した瞬間だった。




