第56話 嵐の前
視察を二日後に控えた夜、村は不穏な静けさに包まれていた。
「レオ様、様子がおかしいです」
ノアが息を切らして駆け込んできた。
「取り立て役の男たちが、村の周りを完全に取り囲むように配置についています。それに、街道の方角から新たに馬車が何台も来ているとの報告が」
レオは眉をひそめた。
「数は?」
「バルトさんの情報だと、少なくとも十人以上。中には見慣れない武装した男たちも交じっているそうです」
穏やかならぬ気配に、集会所に集まっていた村人たちの間にも緊張が走った。
「まさか、力ずくで何かを……」
バートラムの声が震える。レオは首を振った。
「いや、それは考えにくい。子爵の視察を目前に、村に直接手を出せば、かえって組合の不正を証明することになる。もっと巧妙な手を打ってくるはずです」
「では、何のための増員だ」
「圧力でしょう。証言する村人たちを萎縮させ、視察当日に村人たちの声が上がらないようにする」
レオの読みは、翌日には現実のものとなった。
朝、村の広場に組合の男たちが整列し、あからさまな威圧を見せつけるように立ち並んだ。武器こそ携えていないが、その体格と数だけで十分な威圧感があった。
「あれを見て、証言を撤回すると言い出す者が出るかもしれません」
エマが不安げに呟く。
「そうならないよう、僕らにできることをやろう」
レオは村人たちを集会所に集め、静かに語りかけた。
「皆さんの証言は、既に文書として記録されています。今この場で誰かが怖気づいても、記録そのものが消えることはありません。バートラム村長が村としてまとめた証拠は、既に十九件。これは、皆さん一人ひとりの声が積み重なった結果です」
村人たちの表情に、わずかながら安堵の色が浮かんだ。
「それに、もう一つ。これを見てください」
レオが取り出したのは、エマが集めた子供たちの手記だった。
「これは、証文でも記録でもありません。でも、子爵様の心に一番届くのは、こういう『生きた言葉』かもしれません」
村人たちがその手記を回し読みしていく。拙い文字で綴られた願いの数々に、大人たちの目にも涙が浮かんだ。
その日の午後、村はずれの道でレオは思わぬ人物と出くわした。
「バルトさん」
行商人のバルトが、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「レオ様、大変なことが分かりました。街道で聞き込みをしていたら、モーガンという辺境伯家の代理人について、妙な噂が」
「妙な噂?」
「モーガンは、正式にグレイシャー辺境伯から派遣された代理人ではないかもしれない、という話です。辺境伯家の紋章入りの書状は持っているものの、辺境伯本人の署名がない」
レオの目が鋭くなった。
「つまり……モーガンの権限そのものが、怪しいということか」
「はい。もしそうだとすれば、辺境伯領への編入話そのものが、組合が独断で進めている可能性が」
「バルトさん、これは重要な情報だ。すぐにガイウス様に伝えて、辺境伯家に直接確認を取ってもらえないか」
「承知しました!すぐに手配します」
バルトが駆け去るのを見送りながら、レオは静かに拳を握った。
もしモーガンの権限が偽りであれば、この編入話そのものの正当性が根底から崩れる。
視察まで、あと一日。
村と組合、双方にとって、最後の一手が交錯しようとしていた。
その夜、レオはバートラムと二人、村はずれで静かに語り合っていた。
「レオ殿、明日には全てが決まる。儂は……正直、まだ怖い」
「怖くて当然です。この村の未来がかかっているんですから」
「だが、儂はもう逃げぬと決めた。レイナやジョセフ、そしてこの村の子供たちのために」
バートラムは、遠くに揺れる取り立て役の松明を見つめながら、静かに言った。
「五年前、儂は組合の援助に縋った。今度は、儂自身の頭で、村を守る道を選ぶ」
レオは頷いた。
「明日、僕らがすべきことは変わりません。証拠を示し、村人たちの声を届ける。それだけです」
夜空に、雲が重く垂れ込め始めていた。
まるで、明日訪れる嵐を予告するかのように。




