第54話 組合長、参る
翌日の昼、ソルヴィン村の広場に、豪奢な馬車が到着した。
馬車から降り立ったのは、グリンウォード交易組合長・ダレンその人だった。エルバン村での視察で大失態を犯した男とは思えぬほど、その顔には余裕の笑みが浮かんでいた。傍らには、グレイシャー辺境伯家の代理人・モーガンが控えている。
「これはこれは、バートラム村長。ご健勝そうで何よりです」
ダレンの声は柔らかいが、その目は村の隅々まで値踏みするように動いていた。
「ダレン殿……何用でこちらへ」
バートラムが警戒を滲ませながら応じる。
「なに、大した用事ではありません。ただ、辺境伯領への編入について、村の皆様のご意向を直接伺いたく参った次第です。ひと月という期限も、もう目前ですからな」
ダレンの視線が、バートラムの後方──集会所の方向へ移った。教室の窓からこちらを窺う子供たちの姿に気づいたのだろう。その口元がわずかに歪んだ。
「聞くところによると、この村にも『学び舎』ができたとか。エルバンの真似事のようですな」
「真似事ではありません」
バートラムがきっぱりと言い返す。
「村の子供たちが、自らの意志で学んでいるのです」
「ほう。それは結構なことです」
ダレンは表面上、穏やかに頷いた。だがその言葉の裏には、明確な警告が潜んでいた。
「ですが村長。学びというものは、時に村の『和』を乱すこともある。エルバンでは、そのせいで随分と混乱があったと聞き及んでおりますぞ」
その時、広場に姿を現したのがレオだった。
「混乱ではなく、真実が明らかになっただけです」
レオの声に、ダレンの視線がゆっくりと動いた。
「これはこれは……アルダート伯爵家のご子息、レオ殿ではありませんか。エルバンの一件は、実に印象深く記憶しております」
その口調には隠しきれない苦々しさが滲んでいた。
「お互い様です。あの日のことは、僕もよく覚えています」
レオは臆することなく、真っ直ぐダレンを見据えた。
「今日はソルヴィン村に何をしにいらしたんですか。編入の意向確認、というのは建前でしょう。本当の狙いは、村人たちに諦めさせることでは?」
広場が一瞬、静まり返った。ダレンの表情がわずかに強張ったが、すぐに笑みを取り戻す。
「若い方は、いつも直截的でよろしい。……ですが、事実を申し上げましょう。ソルヴィン村は、これまでどの領地からも見放されてきた土地です。飢饉のときに手を差し伸べたのは誰だったか、村長はよくご存知のはずだ」
バートラムの顔が苦渋に歪む。ダレンはその隙を逃さず続けた。
「ヴォルフ子爵領への編入とやらを画策しているようですが、果たして子爵殿が本気でこの辺境の村を守ってくれるでしょうか。我々は違う。五年前も、そしてこれからも、この村を支え続ける用意がある」
「支えるという名目で、証文を書き換え、村人を借金漬けにして──それのどこが『支える』ことなんですか」
レオが鋭く切り込んだ。
「十八件の証拠が既に揃っています。証文の後からの改竄、根拠のない延滞条項の追加、証人の署名すら知らぬ間に使われていたケースもある。これがあなた方の言う『支援』の実態です」
ダレンの笑みが、初めて完全に消えた。
「……十八件、ですか」
「ええ。そしてこれは、ヴォルフ子爵閣下にも既にお伝え済みです。五日後、子爵ご自身がこの村を視察されます」
その場に緊張が走った。モーガンが初めて口を開いた。
「子爵殿が、直接……?」
「はい。証拠と、村人たちの意思を、ご自身の目で確かめるために」
レオの言葉に、ダレンはしばし沈黙した。だがその瞳の奥には、怒りとも計算ともつかぬ光が宿っていた。
「……面白い。よろしい、それならば我々も、その視察に立ち会わせていただきましょう」
「望むところです」
「レオ殿、貴殿は本当に厄介な御仁だ。エルバンだけでなく、この村まで引っ掻き回すとは」
「引っ掻き回しているのは、僕ではなくあなた方です」
レオは一歩も引かなかった。
ダレンはしばらくレオを睨みつけていたが、やがて踵を返した。
「モーガン殿、今日はこれで失礼しましょう。五日後、また参ります」
「……承知した」
馬車が土煙を上げて去っていく。その後ろ姿を見送りながら、バートラムが低く呟いた。
「レオ殿……向こうは、必ず何か仕掛けてくるぞ」
「はい。おそらく、五日後までの間に」
レオは村の入り口に残った取り立て役の男たちに目をやった。彼らの数は、いつの間にか五人に増えていた。
「村の守りを固めましょう。証拠だけじゃなく、村人たちの心も」
夕暮れの空に、不穏な赤が滲んでいた。
視察までの五日間──それは、静かな戦の始まりだった。




