第53話 残された十日間
ヴォルフ子爵視察までの十日間は、ソルヴィン村にとって息をつく間もない日々となった。
「証拠は今、十八件まで揃いました」
ノアが証拠の一覧表を広げながら報告する。彼の字は以前とは比べ物にならないほど整然とし、日付、証人、内容が几帳面に整理されていた。
「でも、レオ様。ジョセフさんの件があってから、新しく証言してくれる人が減っています。みんな、自分や家族が人質にされることを恐れて……」
「分かってる」
レオは頷いた。証拠集めは足踏み状態にあった。ジョセフの「一時帰還」という組合の一手は、村人たちの心に確実に楔を打ち込んでいた。
「量より質だ。今ある証拠を、誰が見ても揺るがない形に固めよう。それに──」
レオは教室に集まった子供たちを見渡した。レイナ、そして最近教室に加わり始めた数人の子供たち。彼らの目には、恐れよりも強い意志が宿っていた。
「証拠を出す村人の名前を、必要以上に表に出さない方法を考える。ノア、証言をまとめる際に、複数の証言を統合して『村全体の総意』として提示できないか」
「なるほど……個人を特定されにくくするんですね」
「うん。それに、バートラム村長が村長としての立場で証拠を取りまとめれば、個々の村人が矢面に立つ必要も減る」
バートラムが力強く頷いた。
「儂が矢面に立とう。この村の村長として、儂には村人を守る責任がある」
その言葉に、集会所にいた村人たちの表情がわずかに和らいだ。
一方、エマとミアは、視察に向けた別の準備を進めていた。
「レオ様、これを見てください」
エマが差し出したのは、村の子供たちが描いた絵と、拙いながらも自分の言葉で綴った文章の束だった。
「子供たちに『寺子屋でどう変わったか』を書いてもらいました。数字や証文だけじゃなく、子爵様に村の『今』を感じてもらえたらと思って」
レオはその文章を一枚一枚めくった。
『じがよめるようになって、おかあさんのてがみをよめました』
『もう、だまされたくないです』
『おとうさんがかえってきて、うれしいです。でも、もうだれもさらわれてほしくないです』
拙い文字の一枚一枚に、村の子供たちの切実な願いが込められていた。
「……これは、どんな証文よりも雄弁だ」
レオは静かに呟いた。
ミアが隣で頷く。
「エルバンでの視察のときも、証拠だけじゃなくて、村人たちの『声』が子爵様の心を動かしました。ここでも、きっと同じはずです」
視察を五日後に控えたある日、村に緊迫した空気が走った。
「レオ様! 大変です!」
ノアが息を切らして駆け込んできた。
「取り立て役の男たちが、村の入り口に新しく三人加わりました。それに──」
「それに?」
「ダレンが、村に向かっているという噂が」
レオの表情が引き締まった。
「ダレン本人が……直接来るのか」
ノアが頷く。
「バルトさんの情報網によると、モーガンという辺境伯家の代理人も一緒だそうです。視察の五日前というこのタイミングで来るということは……」
「子爵の視察を前に、既成事実を作ろうというわけだ」
レオは奥歯を噛みしめた。辺境伯領への編入が既に決定事項であるかのように振る舞い、村人たちの心を諦めへと追い込む──それがダレンの狙いに違いなかった。
「バートラム村長に報告を。それと、ガイウス様にも急ぎ文を」
「はい!」
窓の外、遠くの街道に土埃が上がっているのが見えた。
ダレンの一団が、ソルヴィン村へと迫っていた。
視察までの猶予は、あとわずか五日。
均衡はいよいよ崩れようとしていた。




