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識字率0%の辺境で、元教師の無能転生者が学校を作ることになった件  作者: 菊池まりな


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第5話 働きながら学びたい少年

 ダレンたちの一団が村を去ってから、数日が経った。


 表面上は何も変わらないまま、寺子屋──と呼ぶにはまだ小さすぎるその場所には、相変わらずミアとノア、そして数人の子供たちが通ってきていた。だが、その中で一人、最近姿を見せなくなった子がいることに、俺は気づいていた。


「ノア、最近来ないな」


「……たぶん、畑の仕事が忙しいんだと思います」


 ミアがそう答える表情には、少し曇りがあった。


「ノアの家、お父さんが去年怪我をして、それからずっと大変だって。ノアが一番上の子供だから、弟や妹の分まで働かないといけなくて」


 そうか、と俺は思った。ノアの反抗的な態度の裏に、そういう事情があったとは知らなかった。


 翌日、俺はノアの家がある方角へと足を向けた。畑仕事の合間を縫って様子を見に行こうと思ったのだ。案の定、畑の畝の間で、小さな体を懸命に動かして鍬を振るうノアの姿があった。


「──よう」


 声をかけると、ノアはびくりと肩を震わせ、それから気まずそうに顔を背けた。


「……なんだよ、先生。こんなとこまで」


「最近、来ないから。心配で」


「別に、心配される筋合いねえよ。俺は……」


 言葉を濁しながら、ノアは鍬を振るう手を止めなかった。額には汗が滲み、まだ幼さの残る手のひらには、痛々しい豆の痕が見える。


「父ちゃんが、足を悪くしてさ」


 しばらくの沈黙のあと、ノアがぽつりと言った。


「だから、俺がやらねえと。畑仕事しねえと、飯が食えねえんだ。弟たちの分も」


「文字の勉強は?」


「……そんなの、今の俺には贅沢だろ」


 吐き捨てるような口調だったが、その声には、隠しきれない悔しさが滲んでいた。俺はしばらく黙って、ノアの手元を見つめていた。


「──手伝おうか」


「はあ?」


「畑仕事。俺にもできることくらいはある」


 ノアは呆気に取られたような顔をした後、鼻で笑った。


「貴族様が畑仕事なんて、できるわけないだろ」


「やってみないと分からないだろう」


 そう言って、俺は上着を脱ぎ、近くに転がっていた予備の鍬を手に取った。実際のところ、前世でも家庭菜園程度の経験しかない。慣れない作業に、最初はぎこちない動きしかできなかった。それを見て、ノアが思わず噴き出す。


「下手くそかよ、先生」


「悪いな、素人だ」


「いや、それにしたって……」


 呆れながらも、ノアは俺の隣で鍬の使い方を教え始めた。皮肉なものだ、と俺は思う。教える立場だったはずの俺が、逆に教わっている。


 作業をしながら、ふと思いついたことがあった。


「なあ、ノア」


「なんだよ」


「畑仕事をしながらでも、覚えられる方法があったら、どうする」


「……そんな都合のいい話、あるわけねえだろ」


「作ってみせる」


 ノアが訝しげにこちらを見た。俺は畝に転がっていた小石を拾い上げ、地面に文字を書き始めた。


「休憩のたびに、一文字ずつ。地面に書いて、覚えて、消す。それだけなら、時間はほとんど取らない」


「そんなんで、覚えられるのかよ」


「試してみればいい」


 半信半疑のまま、ノアは俺の隣にしゃがみこんだ。休憩の合間、地面に書かれた文字を、ノアはたどたどしくなぞる。最初は数分でまた仕事に戻っていたが、それを何度か繰り返すうちに、少しずつ文字の形を覚えていった。


「──お、これ、"みず"だろ。この前、ミアが覚えてたやつ」


「正解」


「ちぇ、俺だって、それくらい……」


 そう言いながらも、ノアの口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。


 その日から、俺は時折ノアの畑仕事を手伝いながら、休憩の合間に文字を教えるようになった。仕事の邪魔にならない程度に、少しずつ、着実に。ノアは相変わらず口では「別に大したことじゃねえ」と言い続けていたが、休憩のたびに自分から地面に文字を書くようになっていた。


「──先生」


 ある日の夕暮れ、畑仕事を終えた帰り道、ノアがぽつりと口を開いた。


「なんで、そこまでしてくれるんだよ」


「別に、大したことはしてない」


「大ありだろ。貴族様が畑仕事手伝ってまで、俺に文字教える理由なんて、ねえじゃねえか」


 俺は少し考えてから、答えた。


「学びたい気持ちを、諦めてほしくないからだ」


 ノアが、驚いたようにこちらを見た。


「働かなきゃいけない事情があるのは、仕方のないことだ。でも、それと学ぶことを諦めることは、別の話だと思う」


「……」


「時間がないなら、時間がなくてもできるやり方を、一緒に考えればいい」


 ノアはしばらく黙り込んでいたが、やがて、ぼそりと呟いた。


「──俺、字が読めるようになったら、家の帳面、つけてみたいんだ」


「帳面?」


「うちの畑の、収穫の記録とか。父ちゃん、いつも頭の中だけで覚えてて、たまに忘れて損してるみたいだから」


 その言葉に、俺は小さく頷いた。


「いいな、それ」


「……別に、大したことじゃねえよ」


 そう言いながらも、ノアの足取りは、来た時よりも少し軽くなっているように見えた。


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