第47話 境界の村
「統治の空白地帯……」
レオは呟きながら、その言葉の重みを噛みしめていた。宿に戻り、事情を知ったミアたちの表情も一様に硬くなった。
「つまり、この村には、頼れる領主がいないってことですか」
ミアの問いに、レオは頷いた。
「バートラム様の話では、ヴォルフ子爵領とグレイシャー辺境伯領、どちらの境界線も曖昧なまま、長年放置されてきたらしい。徴税の記録も、どちらの台帳にも正式には載っていないそうだ」
「だからこそ、組合がやりたい放題……」
エマが唇を噛んだ。エルバン村の時は、最終的にヴォルフ子爵という上位の権威が介入し、組合の不正を裁く形で決着がついた。だがここには、その裁定を下す者がいない。
「じゃあ、俺たちだけで何とかするしかないってことか」
ノアが腕を組んで唸る。レオは首を振った。
「いや、方法はあるはずだ。統治者がいないなら、村人たち自身が、自分たちの力で立ち向かうしかない。エルバンでやってきたことの、原点に戻るだけだ」
翌日から、レオたちはバートラムと協力し、村全体の証文を洗い出す作業に取りかかった。大人向けの授業に集まった村人たちに、まずは自分の証文を持ち寄ってもらうことから始めた。
「うちのも、見てもらえますか」
「私のも、確かめてほしい」
最初は数人だったが、噂が広がるにつれ、証文を手にした村人たちが次々と集会所を訪れるようになった。ノアとエマが中心となり、一件ずつ丁寧に内容を確認し、後付けの条項や不自然な筆跡がないか、リストにまとめていく。
「これで、七件目です」
エマが疲れた声で報告する。同じ手口の後付け条項が、次々と見つかっていた。
「筆跡を照合すると、同一人物の手によるものだと分かる箇所もあります。おそらく、組合の書記が、定期的に村を回って書き換えていたのでしょう」
「これだけ揃えば、十分な証拠になる」
レオは集まった書類の束を見つめながら言った。だが、その先に立ちはだかる問題は依然として残っていた。
「証拠を揃えても、それを裁く場所がない」
ミアの言葉に、部屋の空気が沈んだ。その時、集会所の入り口から声がかかった。
「その点なら、心当たりがございます」
振り返ると、そこに立っていたのはガイウスだった。エルバン村から遠路はるばる、単身でソルヴィンまで足を運んできたのだという。
「兄上……!なぜここに」
「お前が旅立ったと聞いて、放っておけなくなってな」
ガイウスは涼しい顔で言ったが、その表情にはどこか照れが滲んでいた。
「境界の村の問題は、実は貴族の間でも度々議論に上る話だ。統治権の空白は、時に思わぬ火種になる。父上──アルダート伯爵家の書庫に、かつての境界線確定の記録が残っているはずだ」
「境界線確定の記録?」
「グレイシャー辺境伯領とヴォルフ子爵領の境界について、数十年前に一度、王国の裁定機関が調査に入ったことがある。結論は曖昧なまま終わったらしいが、その記録が残っていれば、少なくとも『どちらの管轄に訴えるべきか』の糸口にはなるだろう」
レオの目に、光が戻った。
「兄上、それを確認していただけますか」
「もちろんだ。だが、それだけではない」
ガイウスは懐から一通の書状を取り出した。
「お前たちがここに来ていると聞いて、王都に伝手のある知人にも一報を入れておいた。境界地域の不正契約の問題は、王国法上でも見過ごせない案件になり得る。もし証拠が十分に揃うなら、貴族領を跨いだ特別調査を要請することも、不可能ではない」
「そこまで……」
ミアが驚いた顔でガイウスを見つめた。ガイウスは少し気まずそうに視線を逸らした。
「勘違いするな。お前たちのためというより……エルバン村で見た光景が、忘れられなかっただけだ。文字を覚えた老人が涙を流す姿を、私はこの目で見た。あれが偽りでないなら、この国のどこかで同じ搾取が続いているのを、黙って見過ごすわけにはいかない」
その言葉に、レオは胸が熱くなるのを感じた。かつて「魔力なしは家の恥」と言い放っていた兄が、今、目の前で違う言葉を紡いでいる。
「兄上、ありがとうございます」
「礼はまだ早い。証拠固めは、これからが本番だ」
その夜、バートラムを交えた話し合いの場で、ガイウスがもたらした情報が共有された。境界線確定の記録、王都への訴えの可能性──これまで手詰まりだった状況に、一筋の光明が差し込んだ。
「もし本当に、王国レベルでの調査が入るなら……」
バートラムが震える声で言った。
「グリンウォード交易組合にとっては、エルバン村どころではない大きな痛手になるでしょう」
「同時に、向こうも黙ってはいないはずです」
レオは真剣な面持ちで続けた。
「ここまで事が大きくなれば、組合も本腰を入れてくるでしょう。ダレンが『この程度で終わる組織ではない』と言い残していたのを、忘れてはいけません」
集会所の窓の外、夜空に星々が瞬いていた。エルバン村での戦いを超える、より大きな対立の輪郭が、今、はっきりと姿を現し始めていた。




