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識字率0%の辺境で、元教師の無能転生者が学校を作ることになった件  作者: 菊池まりな


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第46話 バートラムの選択

 翌朝、レオは証文の写しと、ノアがまとめた矛盾点の一覧を携えて、再びバートラムの屋敷を訪れた。今度は、ミアとノアも同行させた。証拠を突きつけるなら、村の中から立ち会う者がいた方がいいという判断だった。


「後付けの条項……ですと?」


 バートラムは差し出された書類に目を通すなり、表情を強張らせた。筆跡の違いを指で辿り、日付の矛盾を確認するその手が、かすかに震えている。


「私は……これは、知りませんでした」


「信じていいのですか」


 ノアが率直に問いかけた。バートラムはノアをまっすぐに見返した。


「疑われて当然でしょう。ですが、これは誓って言えます。私が立ち会ったのは、あくまで最初の証文の締結時のみ。その後、組合の担当者が個別に村人の家を回り、『更新の確認』と称して書類を扱っていたのは事実です。まさか、そこで条件を書き換えていたとは……」


 バートラムの声には、隠しきれない動揺があった。


「三件、同じ手口が見つかっています。おそらく、他にもあるでしょう」


 レオが静かに告げると、バートラムは書類を握りしめたまま、長い沈黙に沈んだ。


「……レオ様。正直に申し上げます。私は、組合との関係を切れないと思い込んでいました。飢饉の記憶が、私を臆病にさせていた。ですが、これは看過できることではない」


 顔を上げたバートラムの目には、これまでとは違う光が宿っていた。


「村長として、この件を正式に調査いたします。村人たちに、自分の証文を確認するよう呼びかけましょう」


「それには、文字を読む力が必要になります」


 ミアが穏やかに、しかし確信を持って言った。


「寺子屋を、大人の方にも開放してはいかがでしょうか。急がず、できる範囲から」


 バートラムはミアを見つめ、それから小さく頷いた。


「……分かりました。夕方以降、大人向けの時間を設けましょう。私自身も、学ばせていただきたい」


 村長自らが学びの場に加わるという申し出に、レオたちは驚きを隠せなかった。


「バートラム様も、ですか」


「恥ずかしながら、私も満足に字が読めるわけではないのです。仲介の際は、いつも組合の書記が用意した書類に、言われるがまま署名してきました。今思えば、それこそが、この構造の根なのかもしれません」


 その日の夕刻、集会所には予想を上回る大人たちが集まった。噂を聞きつけたサラをはじめ、これまで遠巻きに様子を窺っていた村人たちが、恐る恐る足を運んできたのだ。


「本当に、今からでも学べるのか」


 年配の男が半信半疑に尋ねる。レオは頷いた。


「エルバン村では、六十を超えた方も、亡き奥様の手紙を読めるようになりました。遅すぎるということはありません」


 その言葉に、集まった人々の間にざわめきが広がった。


 授業が始まると、バートラムは村長という立場を脇に置き、他の村人たちと並んで木箱の前に座った。慣れない手つきで文字をなぞる村長の姿に、最初は戸惑っていた村人たちも、次第に肩の力を抜いていった。


「村長様も、俺たちと同じか」


 誰かがぽつりと呟いた小さな笑いが、集会所に広がる。緊張していた空気が、わずかに和らいだ瞬間だった。


 授業の後、レオはバートラムと二人、集会所の外で立ち話をした。夕闇が村を包み始めている。


「今日、初めて気づきました」


 バートラムが静かに言った。


「私は、村を守っているつもりで、実は一番、判断する力を失っていたのかもしれない。組合の言うことを鵜呑みにするしかなかったのは、私自身が、その中身を確かめる術を持たなかったからだ」


「それに気づかれただけで、大きな一歩です」


「レオ様、一つ、お願いがあります」


 バートラムは真剣な眼差しをレオに向けた。


「この村の証文、すべてを、正式に見直したい。もし本当に、組織的な不正があるのなら、村として組合に対して声を上げる必要がある。ですが、それには……」


「エルバン村の力を借りたい、ということですね」


「ええ。ドノヴァン殿や、ヴォルフ子爵領での前例が、大きな後ろ盾になるはずです」


 レオは頷いた。だが同時に、一つの懸念が胸をよぎった。ソルヴィン村はヴォルフ子爵の領地ではない。ここでの戦いが、エルバン村のときと同じように収まる保証はどこにもなかった。


「一つ、確認しておかなければならないことがあります。ソルヴィン村を治めているのは、どなたなのでしょうか」


 その問いに、バートラムの表情が、再びわずかに曇った。


「……それが、複雑な事情がありましてな。この村は、正式にはどの貴族領にも属さない、いわば境界の村なのです」


 思わぬ答えに、レオは息を呑んだ。


「境界の村……?」


「ヴォルフ子爵領とグレイシャー辺境伯領、その狭間に位置する、いわば統治の空白地帯です。だからこそ、組合のような組織が、より自由に力を振るえる土壌があったのかもしれません」


 夜風が、二人の間を静かに吹き抜けていった。エルバン村とは異なる、新たな壁の存在を、レオは確かに感じ取っていた。


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