第45話 証文の中の罠
寺子屋が開いてから五日が経った。生徒の数は五人から十二人にまで増え、レイナの上達は誰よりも目覚ましかった。かるたの単語をほとんど覚え、簡単な文なら自力で読めるようになっていた。
「レオ先生、これ……お父ちゃんの証文、読んでみていい?」
授業の後、レイナが遠慮がちに尋ねてきた。
まだ完璧とは言えないが、基礎はしっかりと身についている。レオは頷き、サラが持ってきた証文の写しを取り出した。
「一人で全部は難しいかもしれない。一緒に読んでいこう」
レイナは震える指で、一文字ずつ、ゆっくりと文字をなぞっていく。
「か……し……つけ……きん……。貸し付け金、五十ゴールド」
「そうだ、よくできたな」
隣で見守っていたサラの目に、涙が滲んだ。
「あの子が、あの証文を、自分で……」
読み進めるうちに、レイナの手が止まった。
「これ……なに? へん、さい……きげん……。あ、ここ、なんか、おかしい」
レオが覗き込むと、そこには小さな文字で追記された一文があった。返済期限に関する条項の脇に、後から書き足されたと思われる注釈だ。
「延滞一日につき、元本の一割を追加徴収する、か」
レオの声が低くなった。ミアが息を呑む。
「一割……? それは、あまりにも……」
「異常な利率だ。しかも、この書体、明らかに本文とは違う筆跡で追記されている」
サラの顔から血の気が引いた。
「知りませんでした……。証文を交わした時、こんな条項があったなんて」
「バートラム様は、これを知っていたのでしょうか」
エマの問いに、レオは首を振った。
「分からない。仲介者として立ち会っただけで、細部までは把握していなかった可能性もある。だが……」
もし意図的に後から追記されていたのだとすれば、それは村人を意図的に返済不能な状態へ追い込むための罠に他ならない。エルバン村で見た、水増しされた不利益契約の手口と、根は同じだった。
「これを、証拠として使えないか」
ノアが身を乗り出した。
「筆跡が違うってことは、後から書き足された証拠になるだろ。エルバンの時も、帳簿の矛盾を突いて組合を追い詰めたじゃないか」
「ただ、慎重にやる必要がある」
レオは冷静に応じた。
「証拠を突きつけただけでは、相手はしらを切るだけだ。それに、バートラム様との約束もある。性急に事を進めれば、レイナの父親のような立場の人たちが、かえって危険にさらされるかもしれない」
サラが不安げに口を挟んだ。
「もし、組合に知られたら……主人に、何か……」
「大丈夫です」
ミアがサラの手を取り、静かに、しかしはっきりと言った。
「エルバンでも、同じように怖い思いをした人がたくさんいました。でも、一人で抱え込まず、みんなで知恵を出し合ったから、乗り越えられたんです。サラさんも、一人じゃありません」
サラの目から、堪えきれなくなった涙がこぼれた。
その日の夜、レオたちは集めた情報を整理するため、宿の一室に集まった。ノアが持ち込んだ古い帳面には、これまで確認できた村人たちの証文の写しと、それぞれの矛盾点が几帳面に書き留められている。
「三件、同じような後付けの条項が見つかった」
ノアが報告する。
「全部、筆跡が違う。しかも、追記されてる時期がバラバラだ。契約から半年後とか、一年後とか」
「つまり、村人が返済を進めている最中に、こっそり条件を変えられていたということか」
レオの言葉に、部屋の空気が張り詰めた。
「これは、単なる不当契約というより……計画的な収奪の仕組みですね」
エマが震える声で言った。
「返せそうになったら条件を厳しくして、永遠に借金地獄から抜け出せないようにする……」
「エルバンでダレンが口を滑らせた『上納金』の話を思い出すな」
レオは静かに呟いた。
「組合の収益は、識字率が上がれば崩壊する情報格差の上に成り立っている。ここソルヴィンでも、その構造は同じだ。むしろ、より巧妙に、より深く根を張っている」
ミアが証文の束を見つめながら、決意を込めて言った。
「なら、私たちがすべきことは変わりません。一つひとつ、事実を明らかにしていくこと。エルバンでやってきたことと、同じです」
レオは頷いた。だが同時に、胸の奥に小さな不安がよぎっていた。エルバン村での組合との対立は、最終的にヴォルフ子爵という上位の権力の判断に委ねられた。だがソルヴィン村には、そうした後ろ盾がまだない。
「明日、バートラム様にこの証文の件を伝えよう。信頼できるかどうか、もう一度確かめる必要がある」
窓の外、月明かりが証文の束を静かに照らしていた。小さな追記の一文が、まるで村全体を縛る鎖のように、そこに横たわっていた。




