第30話 組合からの回答
ヴィンセントが去ってから三日後、村に組合からの正式な回答が届いた。
「先生、来ました」
朝一番に、緊張した面持ちのドノヴァンが寺子屋に駆け込んできた。手にした封筒には、グリンウォード交易組合の紋章が捺されている。
村人たちが寺子屋に集まる中、ドノヴァンが封を切り、レオと共に内容を確認していく。ミアが横で、大事な箇所を書き取っていった。
「……なるほど」
読み進めるうちに、レオの表情が徐々に険しくなっていった。
「先生、どうでした?」
「水車小屋の使用権取り消しについては、一旦保留にする、とあります」
その言葉に、村人たちの間に安堵の空気が広がりかけた。だがレオは、それを制するように続けた。
「ただし──条件付きです」
「条件、とは」ガレットが眉をひそめた。
「『村における教育活動を、今後は組合の監督下に置くこと』。具体的には、組合が指定する『教材』のみを使用し、内容についても事前に組合の承認を得ること──そう書かれています」
寺子屋に、重い沈黙が落ちた。
「それって……」ミアが声を震わせた。「実質、教える内容を組合に検閲させろ、ということですよね」
「その通りだ」
レオは反論書の写しを手に取りながら、静かに続けた。
「つまり組合は、俺たちが『何を学ぶか』を、自分たちの都合の良いように差配したいということだ。もし本当にこの条件を飲めば──」
「行商人が村を騙す時に都合の悪い知識は、教えられなくなる、ということですね」
トビーが、まだ幼さの残る声で、しかし的確にその本質を言い当てた。レオは頷いた。
「その通りだ、トビー。契約書の読み方も、疑問を持つ力も、組合にとって都合の良い形にしか教えられなくなる。それでは、俺たちがこれまでやってきたことの意味がなくなってしまう」
ノアが拳を握りしめた。
「ふざけんな……! 水車小屋を人質に取って、俺たちの学びを乗っ取ろうってのか!」
「落ち着け、ノア」レオはそう言ったが、その声にも隠しきれない苛立ちが滲んでいた。組合のやり口は、これまでの妨害とは比較にならないほど、露骨で悪質だった。
村長ドノヴァンが、深く息を吐いた。
「レオ先生。正直に言ってくれ。この条件を飲まなければ、水車小屋はどうなる」
「取り消しは、恐らく本当に実行されるでしょう。今度は根拠らしきものも、体裁として整えてくるはずです」
「では──飲むしかない、ということか」
その言葉に、村人たちの間に重苦しい空気が満ちた。冬を目前に控え、水車小屋を失うことは村の生活に直結する痛手だ。だが、学びの自由を差し出すことは、この数ヶ月で村人たちが積み上げてきたものの根幹を、自ら手放すことに等しい。
レオは、しばし目を閉じた。
前世で何度も、似たような場面に立ち会ったことがある。教育の現場が、外部の都合によって捻じ曲げられそうになる瞬間──そのたびに感じた、無力感にも似た苛立ち。
だが今のレオは、あの頃とは違う。
「──待ってください」
レオは、ゆっくりと目を開いた。
「この条件、もう一度よく読んでみましょう。『組合が指定する教材のみを使用し、内容についても事前に組合の承認を得ること』──これは、水車小屋の使用権『継続』の条件として書かれていますが、そもそも」
レオは、もとの水車小屋契約書を取り出した。
「もとの契約書のどこにも、『使用権の継続条件として、村の教育内容に組合が介入できる』などという条項は存在しません。組合は今、まったく別の要求を、水車小屋の話にすり替えて突きつけてきているんです」
村人たちが、はっと顔を上げた。
「つまり」ドノヴァンが確認するように言った。「これもまた、法的な根拠のない、いわば──脅しに過ぎない、ということか」
「その可能性が高いです。ただ、根拠がないからといって、組合が実際に取り消しを強行してこないとは言い切れません。ここが厄介なところです」
寺子屋の中に、緊迫した沈黙が流れた。誰もが、次の一手をレオに──そして自分たち自身に、問いかけていた。
やがて、それまで黙って話を聞いていたガレットが、ゆっくりと口を開いた。
「なあ、先生よ」
「はい」
「儂ら村人だけで、この件、決めちゃいかんか」
その言葉に、レオは老農夫を見た。ガレットの目には、これまでにない強い光が宿っていた。
「先生に頼りきりじゃあ、いかんと思うんじゃ。儂らが、儂らの頭で考えて、儂らの答えを出す──それこそが、この数ヶ月で先生が儂らに教えてくれたことのはずじゃ」
村人たちの間に、静かな、しかし確かなどよめきが広がった。ミアが、はっとした表情でガレットを見つめている。
レオは、しばし言葉を失った。それから、深く頷いた。
「──その通りです、ガレットさん」
レオは一歩下がり、村人たちに向き直った。
「これは、俺が決めることじゃない。この村が、これからどう生きていくかという話です。皆さんで、話し合ってください」
村長ドノヴァンが、村人たちを見渡した。
「よし。それでは──」
寺子屋の中に、これまでとは違う種類の静けさが満ちていく。それは怯えの沈黙ではなく、自分たちの未来を、自分たちの言葉で決めようとする者たちの、覚悟の沈黙だった。




