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識字率0%の辺境で、元教師の無能転生者が学校を作ることになった件  作者: 菊池まりな


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第29話 次男の来訪

 村の入り口に立つ男は、洗練された旅装に身を包み、辺境には不釣り合いなほど整った身なりをしていた。従者を二人従え、値踏みするような視線で村の様子を眺めている。


「本当に、ずいぶんとくたびれた村だな」


 その声を聞いた瞬間、レオの記憶が確信に変わった。次男ヴィンセント──家督こそ継げないものの、社交界での成り上がりに執着し、常に損得勘定で動く兄。


「……ヴィンセント兄さん。なぜ、ここに」


 レオが声をかけると、ヴィンセントは振り返り、口元に人当たりの良い笑みを浮かべた。だがその目の奥には、レオがよく知る、抜け目のない光が宿っている。


「やあ、レオ。息災そうで何よりだ」


「答えになっていません」


「相変わらず、可愛げのない返しをするな」ヴィンセントは肩をすくめた。「なに、単純な話だ。お前の噂が、実家にまで届いた。それで、自分の目で確かめに来ただけさ」


 村人たちが、警戒を露わにした視線をヴィンセントへと向けている。ドノヴァンが一歩前に出た。


「失礼ですが、こちらの御方は」


「これはこれは、村長殿でいらっしゃいますか」ヴィンセントは芝居がかった仕草で一礼した。「私はヴィンセント・フォン・アルダート。レオの兄です」


その名乗りに、村人たちの間に緊張が走った。子爵の視察の直後、今度はレオの実家の人間がやってきた──その意味を、誰もが測りかねている様子だった。


「兄さん」レオは努めて冷静に言った。「ここは今、村にとって大事な局面です。何のご用件か、はっきり言っていただけますか」


「せっかちだな、相変わらず」ヴィンセントは苦笑した。「なに、大したことじゃない。お前がここでやっていることが、なかなか興味深い成果を上げていると聞いてな。実家としても、少々見過ごせなくなってきた、というだけの話だ」


「見過ごせない、とは」


「識字率四割超え。ヴォルフ子爵家直々の視察。グリンウォード交易組合との緊張関係──」ヴィンセントは指を折りながら並べ立てた。「これだけの話題性があれば、王都でも噂になるのは時間の問題だ。その時、アルダート伯爵家がどういう立場を取るか、というのは、なかなか重要な問題でね」


 レオは、兄の言葉の裏にある思惑を、すぐに察した。


「──つまり、俺の成果を、家の評判のために利用したい、ということですか」


「利用、とは人聞きが悪いな」ヴィンセントは涼しい顔で言った。「協力、と言ってほしいものだ。何なら、こちらから支援を申し出てもいい。お前一人でやるより、伯爵家の後ろ盾があった方が、色々とやりやすくなるだろう?」


 その提案に、村人たちの間に微妙な動揺が広がった。伯爵家の支援──それは確かに、組合や子爵との対立において、大きな力になり得る話だった。


 だが、レオは即座には答えなかった。


「兄さん。伯爵家の支援というのは、具体的にどういう形になるんですか」


「そうだな……たとえば、この村を『アルダート伯爵家が公式に支援する教育事業』として王都に喧伝する。名目上、お前はアルダート家の名代としてここで活動している、という体裁を整える。悪い話ではないだろう?」


 ミアが、心配そうにレオを見た。ガレットも、腕を組んだまま、油断のない目でヴィンセントを見つめている。


 レオは、少しの間、沈黙した。


 支援そのものはありがたい。だが、「アルダート伯爵家の事業」という体裁を取ることは、この村の学びが、村人たち自身のものではなく、貴族の権威の下に組み込まれることを意味する。それは、レオがこれまで大切にしてきたもの──村人たちが自分の力で、自分たちの人生を切り開いていく、その根本と相容れないもののように思えた。


「兄さん」レオは静かに、しかしはっきりと言った。「ありがたい申し出ですが、お断りします」


 ヴィンセントの笑みが、わずかに固まった。


「……ほう? 理由を聞かせてもらおうか」


「この村の学びは、村人たち自身のものです。誰かの名代として、誰かの体裁のために行っているわけではありません。もし伯爵家の名の下に置かれれば、それは村人たちの成果ではなく、アルダート家の成果ということになってしまう」


「随分と青臭いことを言う」ヴィンセントは目を細めた。「お前、自分の立場が分かっているのか? 魔力なしの落ちこぼれが、実家の後ろ盾なしに、貴族社会や商業組合を相手取ろうというのだぞ」


「分かっています」レオは兄の目を真っ直ぐ見返した。「だからこそ、断ります」


 沈黙が流れた。ヴィンセントは、しばらくレオを値踏みするように見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……まあいい。今日のところは、お前の意向を尊重しよう。だが、レオ」


 ヴィンセントの声が、わずかに低くなった。


「グリンウォード交易組合は、お前が思っているより厄介な相手だ。もしこの先、本当に手に負えなくなった時は、実家を頼れ。それだけは覚えておけ」


 その言葉には、これまでの軽薄な調子とは違う、わずかな真剣さが滲んでいた。


 ヴィンセントは踵を返し、従者を連れて村を去っていく。その後ろ姿を見送りながら、ミアがぽつりと呟いた。


「先生……本当に、断って良かったんですか」


「ああ」レオは頷いた。「この村の力は、村人たち自身のものだ。それを誰かの体裁のために差し出すわけにはいかない」


 だが、レオの胸の内には、兄の最後の言葉が小さな棘のように残っていた。


──グリンウォード交易組合は、お前が思っているより厄介な相手だ。


 その言葉が、単なる脅しではなく、何らかの確かな情報に基づいたものであるような、そんな予感がしてならなかった。


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