第28話 反論書、村の総力戦
その日の夜、寺子屋には村中の大人たちが集まっていた。狭い部屋にぎっしりと人が詰め込まれ、灯した蝋燭の炎が壁に大きな影を揺らしている。
「よし、それじゃあ始めるぞ」
レオは黒板代わりに使っている板の前に立った。数ヶ月前まで、この村には「みんなで話し合う」という習慣そのものがほとんどなかった。文字が読めなければ、複雑な議論を記録することも、共有することもできなかったからだ。
だが今は違う。
「まず、通達書のどこが問題なのか、みんなで洗い出しましょう」
ミアが紙とペンを手に、書記役を買って出た。彼女の隣にはエマも座り、二人で村人たちの発言を丁寧に書き取っていく。
「儂から言わせてもらえば」ガレットが真っ先に口を開いた。「『契約の趣旨に反する行為』ってのが、そもそも曖昧すぎる。何をもって『趣旨に反する』と言うんじゃ」
「それ、俺も気になってました」トビーが祖父に続いて発言した。まだ幼さの残る声だが、その口調はしっかりしている。「もとの契約書には、そんな抽象的な条項、なかったですよね」
「よく気づいたな、トビー」レオは頷いた。「実はそこが、この反論の核心になる部分だ」
レオは以前に村人たちと読み解いた、もとの水車小屋契約書の写しを取り出した。
「もとの契約書には、使用権の取り消し事由として『使用料の不払い』『設備の故意による損壊』の二つしか明記されていません。今回の通達書にある『契約の趣旨に反する行為』という文言は、もとの契約のどこにも存在しない条項です」
村人たちの間に、小さなどよめきが広がった。
「つまり」ドノヴァンが確認するように言った。「組合は、存在しない条項を後付けで持ち出して、使用権を取り消そうとしている、ということか」
「その可能性が高いです」
「なんて汚いやり方だ」サラ──ノアの母──が思わず声を上げた。「うちらが子爵様の前で恥かかせたから、それで腹いせに……」
「サラさん」レオは彼女を落ち着かせるように言った。「感情的になる気持ちはよく分かります。でも、この反論書では、感情ではなく事実だけを積み重ねることが大事です」
その言葉に、村人たちは互いに顔を見合わせ、深呼吸をするように気持ちを整えた。
「よし」ドノヴァンが仕切り直すように言った。「レオ先生、反論の骨子を教えてくれ」
レオは板に、簡潔な箇条書きを書き始めた。
「一、もとの契約書に存在しない条項を根拠とした取り消しは無効であること。二、具体的な違反行為が一切明記されていないこと。三、これまで村は使用料を期日通りに支払い続けてきた実績があること」
「三つ目は、俺が証明できます」
声を上げたのは、ノアだった。少年は懐から、小さな帳面を取り出した。それは、レオに教わった簡単な帳簿のつけ方で、この数ヶ月、水車小屋の使用料の支払いを一つ一つ記録してきたものだった。
「俺、水車小屋の管理を手伝ってるんで、支払いの記録、全部つけてたんです。これ、証拠になりますか」
レオはその帳面を手に取り、目を通した。几帳面な字で、日付と金額が丁寧に記録されている。
「──十分すぎるほどだ、ノア」
ノアは照れくさそうに頭をかいたが、その顔には確かな誇らしさが浮かんでいた。数ヶ月前、「勉強なんて腹の足しにもならない」と口を尖らせていた少年が、今や村を守る証拠を自らの手で作り上げている。
「よし」レオは村人たちを見渡した。「この帳面と、契約書の条項比較を添えて、正式な反論書を作りましょう。今度は俺たちから、組合に問いを突きつける番です」
深夜まで続いた話し合いの末、村人たちは一枚の反論書を書き上げた。その文面には、感情的な非難は一切なく、ただ淡々と、事実と論理だけが積み重ねられていた。
だが翌朝、その反論書を送り出す準備をしていた矢先──村の入り口に、見慣れぬ一団の姿が現れた。
先頭に立つのは、身なりの整った、若い貴族風の男。その顔立ちには、どこか見覚えがあった。
ミアが、はっと息を呑んだ。
「先生……あの人、もしかして」
レオもまた、その姿に目を見開いていた。記憶の中の顔と、目の前の男の顔が、静かに重なっていく。
「……ヴィンセント兄さん」




