第25話 静けさの中の予兆
子爵の馬車が見えなくなってからも、村人たちはしばらくその場を動かなかった。誰もが、たった今起きたことの重みを噛みしめているようだった。
やがて、村長ドノヴァンが大きく息を吐き出した。
「……終わった、のか」
「終わった、というより」レオは正直に答えた。「一つの山を越えた、というところだと思います。子爵様は完全に納得したわけではありません。組合との話し合いが、これから始まるはずです」
ガレットが杖にもたれかかりながら、しわがれた笑い声を上げた。
「まあ何にせよ、今日この場で『学校ごっこ』と一喝されて終わらんかっただけでも、上出来じゃろうよ」
その言葉に、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。ノアが、大きく息を吐きながらへなへなとその場に座り込んだ。
「あー……マジで、心臓止まるかと思った……」
「よく頑張ったな、ノア」
レオが少年の頭に手を置くと、ノアは照れくさそうに顔を背けた。だが、その口元には確かな誇らしさが浮かんでいた。
「べ、別に。当たり前のこと言っただけだし」
「当たり前じゃないさ」ミアが横から口を挟んだ。「あんな緊張した中で、あそこまではっきり言えたの、すごいと思う」
「う、うるせえな……」
ノアは真っ赤になりながら、それでも嬉しそうに笑った。周囲の子供たちからも、ようやく笑い声が上がり始める。緊張が解けた反動か、広場は一気に賑やかさを取り戻していった。
だが、その輪の外側で、レオは一人、先ほどの子爵の言葉を反芻していた。
──お前の噂、実家にも届いておるようだぞ。
あの言葉が、意味することは一つしかない。父ハインリクか、あるいは兄ガイウスの耳に、辺境での自分の動きが届いているということだ。
「先生」
気づけば、ミアがすぐ隣に立っていた。心配そうな顔で、レオを見上げている。
「さっきから、ずっと難しい顔してる」
「……分かるか」
「そりゃ分かるわよ。この数ヶ月、ずっと先生のこと見てきたんだから」
その言葉に、レオは思わず小さく笑った。ミアの観察眼は、いつの間にか随分と鋭くなっている。
「実家からの噂ってやつ、気になる?」
「正直に言えば、な」レオは夕暮れ始めた空を見上げた。「俺を辺境に追いやった家族が、今さらどんな反応をするのか──想像がつかない」
家督を継ぐ長男ガイウスは、魔力至上主義を体現するような人物だった。魔力を持たぬレオを、「家の恥」とまで言い切ったこともある。そんな兄が、辺境での自分の動きを聞きつけて、どう出るのか。
「まあ」ミアは肩をすくめた。「何が来ても、村のみんなで乗り越えればいいんじゃない? 今日みたいに」
その言葉に、レオは少し驚いて彼女を見た。数ヶ月前、人間不信気味で「学んでも無駄」と諦めていた少女は、もうどこにもいない。
「そうだな。その通りだ」
広場では、ノアが得意げに子爵とのやり取りを再現し、それを見ていたトビーやエマが笑い転げていた。ガレットが呆れたように、しかし温かい目でその様子を眺めている。
この光景こそが、この数ヶ月でレオたちが積み上げてきたものの答えだった。
だが、その平穏な光景の裏で──王都に程近いアルダート伯爵領の屋敷では、ちょうどその頃、一通の報告書が長男ガイウスの手元に届けられていた。
「グレンモア地方、エルバン村。識字率、四割超え……ですと」
ガイウスは執務机の上で、報告書を睨みつけていた。その傍らには、次男ヴィンセントの姿もある。
「へえ」ヴィンセントが興味深げに書類を覗き込んだ。「あの落ちこぼれの四男坊が、随分と面白いことをしているようですね、兄上」
「……くだらん」
ガイウスは短く吐き捨てたが、その指先は、報告書の文字を強く押さえつけていた。
「魔力なしが、何をしたところで……」
そう呟く声には、しかし、隠しきれない動揺の色が滲んでいた。




