第18話 返書、そして新しい教材
村長ドノヴァンの署名入りの返書が組合へ送られてから三日。まだ何の返事もない、緊張した空気が続く中で、意外なところから騒動が持ち上がった。
「先生! 大変だ、大変だ!」
朝一番に納屋へ駆け込んできたノアが、息を切らせながら叫んだ。
「どうした、組合から何か言ってきたのか」
レオが身構えると、ノアは首を振り、代わりに何やら得意げな顔で麻袋を掲げた。
「違う違う! 見てくれよ、これ!」
袋の中身は、木片に文字を彫った小さな駒だった。よく見ると、それぞれに単語らしきものが刻まれている。
「これは……かるたの駒か?」
「そう! 俺が自分で作ったんだ。父ちゃんの畑仕事手伝いながら、暇な時間に彫ってさ」
ミアが横から覗き込んで、思わず吹き出した。
「ノア、これ……字、間違ってるよ」
「え?」
「『麦』のつもりで書いたんだと思うけど、これじゃ『表』になってる」
ノアの得意げな顔が、みるみる赤くなった。
「う、うるせえ! 似たようなもんだろ!」
「似てないよ。全然違う字だよ」
その場に居合わせたガレットが、駒を手に取ってしげしげと眺め、堪えきれないように笑い出した。
「こりゃあいい。トビー、お前の分も間違ってるぞ。これ、『山』のつもりが『出』になっとる」
「じいちゃんだって、この間『村』を『材』って書いてただろ!」
「なっ……あれは書き間違えただけだ!」
祖父と孫の言い合いに、納屋中がどっと沸いた。数日続いた緊張の中で、久しぶりに聞く笑い声だった。
レオはその様子を眺めながら、ふと思いついたことを口にした。
「──そうだ。この間違い、逆に使えるかもしれない」
「え?」
「みんなで、わざと間違った字を集めて、どこが違うか当てっこするゲームにしよう。似た形の字を見分ける練習になる」
「先生、それ、俺のせいでできたんだけど」
ノアが不満げに言うと、レオは笑って肩を叩いた。
「ノアのおかげだよ。ありがとう、いい教材ができた」
「なんか納得いかねえ……」
ぶつくさ言いながらも、まんざらでもなさそうなノアの様子に、ミアがくすくす笑った。
その日の授業は、急遽「間違い探しかるた」に変更された。ノアが彫った不揃いな駒が並べられ、子供たちは「これは合ってる」「これは間違ってる」と大騒ぎしながら文字を見比べていく。
「先生、これ、『犬』のつもりが『大』になってる!」
「先生、こっちは『先生』のつもりが『牛』になってるよ!」
「牛って呼ぶのやめてくれ……」
レオが苦笑いする横で、エマが涙を拭うほど笑っていた。数日前、契約書の一文一文に神経を尖らせていた同じ人物とは思えないほどの、屈託のない笑顔だった。
「先生」
授業の合間、ミアがそっと隣に来て言った。
「こういう時間、大事だね。ずっと張り詰めたままじゃ、みんな疲れちゃう」
「そうだな」
レオは頷いた。前世、生徒たちに教えていた頃も、真面目な授業ばかりでは誰もついてこなかった。息を抜く時間があるからこそ、次の踏ん張りが利く。
「組合からの返事、まだ来ないな」
「うん……」
ミアの表情に、わずかな緊張が戻った。だが、彼女はすぐに首を振り、笑みを浮かべ直した。
「でも、今は今、笑っておこう。先生がいつも言ってるでしょ。『積み上げるしかない』って」
「よく覚えてるな、そんなこと言ったっけ」
「言ったよ、何回も」
ミアの軽口に、レオは思わず笑った。
その笑い声を掻き消すように、納屋の外から、けたたましい馬の蹄の音が近づいてきた。
子供たちの笑い声が、ぴたりと止む。
窓の外を見やったガレットの顔が、みるみる強張った。
「先生……あれは」
村の入口に姿を現したのは、これまでの行商人の荷車とは明らかに違う、立派な紋章を掲げた馬車だった。




