第17話 村議、灯りの下で
夜、納屋には村中の灯りが集められていた。
蝋燭や油皿の火が、壁一面に貼られた組合からの契約書の写しを淡く照らし出す。普段は子供たちの声で賑わうこの場所に、今夜は大人たちがぎっしりと詰めかけていた。
「それじゃあ、始めます」
レオが声を上げると、ざわめきが静まった。
「今日ここに集まってもらったのは、組合から届いた契約書について、みんなで中身を確かめるためです。一人で読むより、大勢の目で読んだ方が、見落としが少なくなる。それは、この間の授業でも話した通りです」
村長ドノヴァンが一歩前に出て、書状を掲げた。
「まず、字が読める者は、読めない者に読み聞かせてやってくれ。一文ずつでいい」
その言葉を合図に、納屋のあちこちで小さな輪ができた。ミアがベサニーの隣に座り、一語ずつ丁寧に読み上げていく。ガレットはトビーと並んで、自分の目で文面を追いながら、時折孫に確認するように問いかけていた。
「ここ、『独占的に買い取る』ってあるが……値段の話がどこにもねえな」
ガレットの声に、周りの数人が頷いた。
「本当だ。うちの畑でも、去年は麦一俵いくらで売れたか、みんな覚えてるだろ。それが書かれてねえってことは……」
「後から組合の言い値にされる、ってことだよなあ」
古参の農夫が苦い顔で呟いた。
反対側の輪では、エマが声を震わせながら、ある一文を読み上げていた。
「『識字率が一定の基準を下回った場合、奨励金を支払う』……これ、さっき先生が言ってた通りだ。字を覚えるのをやめれば、金をくれるって書いてある」
「冗談じゃない」
ノアが吐き捨てるように言った。
「せっかく覚えたのに、金のために忘れろって言われてるようなもんじゃねえか」
納屋の空気が、少しずつ怒りを帯びていくのをレオは感じていた。だが、それは決して悪い兆候ではない。かつて、行商人に言われるがまま契約書に印を押していた村が、今は自分たちの言葉で、自分たちの怒りを語っている。
一通り読み合わせが終わると、村長ドノヴァンが皆を見回した。
「それじゃあ、聞かせてくれ。この契約、どうする」
「断るしかねえだろう」
真っ先に声を上げたのは、ガレットだった。
「こんな、言葉の裏に罠を隠したような話、素直に受けられるか」
「けどよ」
別の農夫が不安げに口を挟んだ。
「断ったら、組合はもっと強硬な手を打ってくるんじゃないか。子爵様の紋章まで入ってるんだろう。俺たちみたいな百姓が、逆らって済む話なのか」
その言葉に、納屋の中が再びざわついた。ミアが立ち上がる。
「あたしたちは、逆らってるわけじゃない。ただ、内容がおかしいから、指摘してるだけです」
「そうは言うがな、ミア……」
「先生」
ミアはレオに視線を向けた。
「ただ突き返すだけじゃなくて、何がおかしいか、はっきり書いて返すことはできないかな。あたしたちが、ちゃんと読んで、理解した上で断ってるんだって、組合にも子爵様にも、わかるように」
その提案に、レオは目を見開いた。ただ拒否するのではなく、指摘した上で拒否する。それは、村が「文字を読める者たちの集団」として、初めて相手に対等な立場で言葉を返すということだった。
「いい考えだと思う」
レオは頷いた。
「価格が明記されていない点、識字率と奨励金の関係が逆転している点──この二つを明確に指摘した返書を作りましょう。それなら、組合側も『内容を理解した上で断られた』と分かるはずです」
村長ドノヴァンが、深く息を吐いた。
「……わかった。それで行こう」
「返書は、村長さんの名前で出すのがいいと思います。でも、書くのは村のみんなで」
「みんなで、か」
ドノヴァンは、納屋を埋め尽くす村人たちの顔を見渡した。誰もが、灯りの下で真剣な表情を浮かべている。
「先生。あんたが来る前は、こんな夜が来るなんて、考えたこともなかった」
その夜、村人たちは夜が更けるまで、一文一文を吟味しながら、返書の文面を練り上げていった。ガレットが言葉の強さを主張すれば、エマが丁寧な言い回しを提案し、ノアが「もっと短くていい」と茶々を入れて笑いが起きる。
灯りの下に集まった村は、もう、誰かに言われるまま従うだけの村ではなかった。
しかし、その夜が明けた後──この毅然とした返書が、組合と、その背後にいる領主の逆鱗に触れることになるとは、この時のレオはまだ知らなかった。




