第14話 行商人の正体
数日後、村の入口に一台の荷車が現れた。
「先生、あの荷車……」
ミアが緊張した面持ちで指差す先に、見覚えのある姿があった。派手すぎない身なりに、如才ない笑み。だが荷台の隅に描かれた印は、間違いなくグリンウォード交易組合のものだった。
「ダレンさんではないですね」
「うん。前に会った人とは別の人」
荷車から降りてきたのは、四十絡みの男だった。人当たりの良さそうな笑みを浮かべ、村人たちに気さくに声をかけながら、荷を広げ始める。塩、油、鉄製の農具──そして、小瓶に入った薬草油。
「これは効くよ、旦那。魔力を強めたい子がいるなら、飲ませてやりな」
男の声が、風に乗ってレオの耳にも届いた。ガレットが少し離れた場所から、鋭い目でその様子を窺っている。事前に取り決めていた通り、彼はさりげなく村人たちの間に紛れ、話に聞き耳を立てていた。
レオは深呼吸をしてから、あえて堂々と男に近づいた。
「商人さん。いいものを売っているようですね」
「おや、こんにちは。あんたが噂の……先生さんかい?」
男の目に、一瞬だけ探るような色が浮かんだのをレオは見逃さなかった。
「ええ。この村で、読み書きを教えています」
「そりゃあ、ご立派なことだ。だがね、先生さん」
男はわざとらしく声を潜めた。
「余計なお世話かもしれんが、気をつけた方がいい。字を覚えるってのは、体に負担がかかるもんでね。特に魔力の弱い子供は……」
「魔力が抜ける、という話ですね。ガレットさんから聞きました」
男の笑みが、一瞬だけ強張った。
「ああ、その通りだ。あちこちの村でそういう話を耳にするよ」
「どちらの村で聞かれたんですか?」
「え……」
「魔力を持つ子が生まれにくくなった、という具体的な事例です。どの村の、誰の話でしょうか。俺も教育に携わる者として、もしそれが本当なら、寺子屋をすぐにでも閉じるべきだと思っています」
男は、答えに詰まった。
「……いや、そこまで詳しくは、わしも人づてに聞いた話でね」
「では、その油を売るのに、根拠のない噂を使ったということでしょうか」
村人たちの視線が、じわりと男に集まり始めていた。ガレットが一歩前に出る。
「おい、あんた。この間の荷車と同じ印だな。……前に来た組合の人間とは、どういう関係だ」
男の顔から、笑みが完全に消えた。
「……知らんな。俺はただの流しの行商人だ」
「流しの行商人が、組合の荷車を借りるのか?」
ガレットの追及に、男は苛立ったように舌打ちした。
「──勘弁してくれ。俺は言われた通りに商売してるだけだ。噂を流せとも、油を売れとも言われちゃいるが、それ以上のことは知らん」
「言われた通り、というのは?」
レオが静かに尋ねると、男は自分の失言に気づいたように口をつぐんだ。だが、周囲を囲む村人たちの視線に耐えかねたのか、やがて観念したように肩を落とした。
「……組合の人間だよ。名前は言えん。だが、この村で妙な動きがあるから、ちょいと火消しをしてこいと言われたのは本当だ」
「火消し?」
「読み書きが広まると、商売がやりにくくなる。それだけの話だ。俺はただ、頼まれた仕事をしただけさ」
男はそう吐き捨てると、荷車に飛び乗り、逃げるように村を後にした。
残された村人たちの間に、重い沈黙が広がった。
「……やっぱり、組合の仕業だったんだね」
ミアが呟いた。その声には、安堵と、そしてこれから始まるであろう対立への緊張が入り混じっていた。
ガレットが腕を組み、レオを見た。
「先生。これで、噂がでたらめだってことはわかった。だが……」
「はい。噂が嘘だとわかっても、組合が本気で寺子屋を潰しにかかっているということも、はっきりしました」
レオは村人たちを見回した。不安げな顔、怒りに満ちた顔、様々な表情がそこにはあった。
「今日はっきりしたのは、二つです。一つは、魔力が抜けるという話には何の根拠もないということ。もう一つは──俺たちがやっていることを、脅威に感じている人たちがいるということです」
その言葉に、村人たちの間にざわめきが広がった。
「先生よぉ」
古参の男の一人が、しわがれた声を上げた。
「そりゃあ、脅威に感じられてるってことは……俺たちのやってることは、間違ってねえってことじゃねえのか」
その言葉に、誰からともなく小さな笑いが漏れた。張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。
ノアが人混みをかき分けて前に出てきた。
「先生。明日から、また寺子屋行っていいか。母ちゃんにも、ちゃんと話す」
「ああ、もちろんだ」
トビーもガレットの陰から顔を出し、小さく頷いた。
夕暮れの中、村人たちが三々五々家路につく中、レオはミアと並んで納屋への道を歩いていた。
「先生。組合、これで諦めると思う?」
ミアの問いに、レオは首を振った。
「いや。むしろ、これは始まりに過ぎないと思う」
噂という搦め手が失敗した以上、次に組合が打ってくる手は、もっと直接的なものになるはずだ。レオの脳裏に、契約書という言葉がよぎった。
「これからは、もっと『使える』知識を教える必要があるかもしれない」
「使える知識?」
「契約書の読み方だ。もし組合が正面から仕掛けてくるなら、村の人たちには、自分たちの権利を自分たちで守る力が要る」
ミアは一瞬驚いた顔をしたが、やがて強く頷いた。
「あたし、手伝う」
夕日に染まる村の道を、二人はしばらく無言のまま歩き続けた。灯りは、まだ消えていない。だが、その灯りを守るための本当の戦いは、まさにこれから始まろうとしていた。




