第111話 灯りが繋いだもの
坑道からの救出劇の翌朝、ミルバンク村は不思議な静けさに包まれていた。
歓声も涙もひと晩のうちに出尽くしてしまったのか、村人たちは互いの顔を見ては、まだ夢の続きを疑うような表情を浮かべていた。
「……本当に、終わったんですかね」
村長ハロルドが、レオの隣でぽつりと呟いた。右手には、まだ使い慣れない筆記具が握られたままだった。あの夜、世話役を足止めするために書いた偽の交渉文書──その筆跡は震えていたが、もう二度と誰かを欺くためではなく、村を守るために使われたものだった。
「終わりというより、始まりだと思います」
レオは正直にそう答えた。坑道に囚われていた十五人──ミルバンク、ホロウ、グレンの三村にまたがる被害者たちは、いずれも王都から派遣された医官の手で手当てを受けている。だが彼らの体の傷は癒えても、心の傷や、奪われた歳月そのものは、簡単には元に戻らない。
リナは、救出された父の手をずっと離さずにいた。父親のほうも、変わり果てた姿を見られることを恥じるように顔を伏せていたが、リナが躊躇なく駆け寄ったことで、その硬い表情が少しずつほどけていった。
「父さん、あたし……字、書けるようになったよ」
リナは地面に木の枝で、覚えたばかりの文字を書いてみせた。たどたどしい線だったが、そこには確かに「おかえり」という言葉が刻まれていた。父親はしばらく黙ってその文字を見つめ、それから声を殺して泣いた。ノアが少し離れた場所で、それを見て小さく笑いながら鼻をすすっていた。
「……俺が教えたんだぜ、あれ」
得意げに言うノアに、ミアが「あんたも半年前は自分の名前しか書けなかったでしょ」とからかい、周囲にわずかな笑いが戻った。悲しみと安堵が同居する、不思議な朝だった。
一方、衛兵隊の隊長からは、捕縛した世話役と坑道の実行犯の尋問が進んでいるという報告が入った。だが、ガイウスの表情は晴れなかった。
「奴らは末端に過ぎない。灰の館で見つかった証拠と、ここでの証言を照らし合わせても、指示系統の上──本当の意味での“依頼主”には、まだ辿り着けていない」
ガイウスは、王都から届いたばかりの書状を広げた。エドマンドの取り調べでも、彼自身が「上」から命令を受けていたことは認めているが、その「上」の正体については、頑なに口を閉ざしているという。
「灰の館は、あくまで西方三村への足がかりに過ぎなかった、ということですね」
レオの言葉に、ガイウスは頷いた。
「地下書庫にあった記録の中に、まだ解読できていない暗号のようなものがあった。おそらく、真の黒幕へと繋がる手がかりだ。王都の解析班に預けてある」
その言葉に、その場の空気が少しだけ引き締まった。目の前の危機は去った。だが、物語はまだ終わっていない。
夕刻、レオたちはホロウ・グレン両村の代表者とも顔を合わせた。彼らは一様に、突然の救出劇に戸惑いながらも、深く頭を下げた。
「うちの村にも、寺子屋を開いてもらえないだろうか」
グレン村の代表者が、恐る恐るそう切り出した。「字さえ読めていれば、俺たちも、もっと早くあの世話役の噂に気づけたかもしれない」
レオは頷いた。旅はまだ続く。エルバン村から始まった小さな灯りは、ソルヴィン、ブライアーウッド、そして西方三村へと渡ってきた。その灯りが、次はどこへ向かうのか──。
「王都の解析班から、何か分かり次第すぐに知らせが来る。それまでは、俺たちにできることをやろう」
ガイウスの言葉に、レオ、ミア、ノアはそれぞれ頷いた。
翌朝、ミルバンク村の広場には、簡素な寺子屋の看板が新しく掛けられた。文字を覚えたリナが、誰よりも先にその下に座り込み、父親に隣に座るよう手招きをしていた。
灯りは、また一つ増えた。
けれど、灰の館の奥に潜む本当の闇は、まだ何も語っていない。




