第109話 迎えの日
伝令が到着した翌日の朝、村に緊張が走った。
「世話役の馬車が、街道に見えたって……!」
村人の一人が、青ざめた顔で駆け込んできた。ハロルドの顔から、一気に血の気が引いた。
「捜査団は、まだ到着していないんですよね」
ミアが不安げにガイウスを見た。
「ああ。伝令によれば、到着は今日の夕刻。……間に合わない」
レオの心臓が、大きく跳ねた。世話役が先に来てしまえば、リナが連れ去られてしまう。
「どうする、ガイウス」
ノアが険しい表情で詰め寄った。
「捜査団の到着を待てないなら、俺たちだけでも、リナを守らなきゃならねえだろ」
ガイウスは一瞬、目を閉じて考えを巡らせていたが、やがて口を開いた。
「……時間を稼ぐ」
「時間を?」
「世話役の男を、村の中で足止めする。捜査団が到着するまで、何としても」
「どうやって」
「それを、今から考える」
その時、レオの脳裏に、ある考えが浮かんだ。
「ガイウス様。……村長のハロルドさんに、協力してもらいましょう」
「村長に?」
「はい。あの男は、これまで、村長との『取引』を通じて、次の標的を指名してきました。……なら、その取引の場を、俺たちが利用できないでしょうか」
レオは、頭の中で急いで計画を組み立てていった。
正午過ぎ、荷馬車が村の広場に到着した。御者台から降り立った男──右腕に鎖の刺青を持つあの男は、以前と変わらぬ酷薄な笑みを浮かべていた。
「村長、約束の日だ。娘を出してもらおうか」
ハロルドが、震える足取りで前に出た。
「その……お待ちください。娘の母親が、
体調を崩していまして。せめて、明日まで」
「知ったことか。予定は予定だと言ったはずだ」
男が苛立たしげに声を荒げる。ハロルドはそれでも、必死に食い下がった。
「どうか、どうか一晩だけ……」
「くどい」
男が一歩踏み出した、その時。
「その依頼、少し待ってもらえないか」
ガイウスが、村の入り口から姿を現した。貴族らしい佇まいで、堂々と男の前に進み出る。
「……なんだ、お前は」
男の目に、警戒の色が浮かんだ。
「通りすがりの旅の者だ。……だが、面白い話をしていたようだからな。娘を連れて行く、とは、穏やかではない」
「関係ない者は引っ込んでいろ」
「関係なくはない。この村には、少々世話になっていてね。……村長、この男との『取引』とは、一体何の話だ?」
ガイウスがハロルドに水を向けると、ハロルドは戸惑いながらも、演技を続けた。
「そ、それは……鉱山の、労働者の手配で……」
「なるほど。労働者の手配、ね」
ガイウスが男に向き直った。
「随分と手荒な手配の仕方だな。年端も行かぬ娘を、脅して連れ去ろうというのか」
「口を挟むな。お前には関係のない話だ」
男の声に、明らかな苛立ちが混じり始めた。ガイウスは、あえて挑発するように、話を長引かせていく。
「関係ないとは言えないな。この国では、正当な理由なく人を拘束することは、重罪のはずだが」
「……お前、何者だ」
男の警戒が、いよいよ強まった。手が、腰の得物に伸びかける。
その瞬間だった。
村の入り口から、複数の馬蹄の音が響いた。
「捜査団だ……!」
村人の誰かが叫んだ。
土煙を上げながら現れたのは、王都から派遣された衛兵隊と、その先頭に立つ、見覚えのある紋章の旗だった。
男の顔から、一瞬にして余裕が消え失せた。
「くそ……!」
男が荷馬車に飛び乗り、逃げようとしたが、既に衛兵隊が村の入り口を塞いでいた。
「観念しろ」
先頭の騎馬から降りた指揮官が、鋭い声を放った。
「お前が、西方三村を含む複数の村から、不当に人員を集めていた組織の一員であることは、既に把握している。……その右腕の刺青、灰の館で押収された記録にも一致するものだ」
男はしばらく、逃げ場を探すように視線を彷徨わせていたが、やがて力なく肩を落とした。
「……終わりか」
「ああ、終わりだ」
衛兵たちが男を取り押さえる中、レオはようやく、詰めていた息を吐き出した。
「ガイウス様、無茶をしましたね」
ミアが呆れたような、けれど安堵の滲む声で言った。
「無茶は承知の上だ。……だが、あの男を村の中に足止めするには、あれくらいの挑発が必要だった」
ガイウスは、少し疲れた様子で微笑んだ。
「それに、レオの案が良かった。ハロルドとの『取引』の場を利用する、というのはな」
「村長さんの演技力も、大したものでしたよ」
レオがそう言うと、離れた場所で腰を抜かしそうになっているハロルドが、力なく笑った。
「演技も何も……本当に、生きた心地がしませんでした」
その言葉に、緊張が解けたのか、周囲から小さな笑いが漏れた。
指揮官がガイウスの元へ歩み寄ってきた。
「ガイウス様。捕縛したこの男から、鉱山跡地に関する詳細な尋問を行います。……その後、坑道への突入も準備を進めます」
「頼む。……中には、まだ囚われている人々がいる」
「承知しております」
指揮官が力強く頷いた。
レオは、広場の隅で母親に抱きしめられているリナの姿に目をやった。恐怖に強張っていたその顔に、少しずつ安堵の色が戻り始めていた。
「先生……!」
リナが、こちらに気づいて駆け寄ってきた。
「大丈夫だったか」
「うん……うん!」
リナは涙を浮かべながら、何度も頷いた。
「これで、お父さんも……」
「ああ。必ず、助け出す」
レオはそう約束しながら、坑道の方角に目を向けた。西の山並みの向こうに、まだ果たされていない救出が、静かに待っていた。




