第107話 廃坑への道
夜明け前、まだ村が眠りについている時間に、レオとミア、ガイウスの三人は村を発った。
「日が暮れる前には戻る。……何かあれば、無理をせず引き返せ」
出発の直前、ノアが不満げに言った。本当は自分も同行したかったのだろうが、村に残ってエマと共に寺子屋を続け、村人たちの様子を見守る役目を任されていた。
「わかってる。お前は、村の方を頼む」
レオがそう言うと、ノアは渋々ながら頷いた。
「リナのこと、ちゃんと見といてやってくれよ」
「ああ、約束する」
三人は、山道を北へと進んだ。ガイウスが事前に集めていた地図を頼りに、獣道に近い細い道を辿っていく。
「にしても、貴族様が直々に、こんな山道を歩くとはな」
ミアが軽口を叩くと、ガイウスは苦笑した。
「昔の俺なら、こんな道は絶対に歩かなかっただろうな」
「変わりましたね」
「……変えられた、が正しいかもしれない」
ガイウスはちらりとレオを見た。
「お前と話してから、な」
レオは何も言わず、ただ小さく笑った。
半日ほど歩いた頃、木々の隙間から、開けた岩場が見えてきた。山肌に大きく穿たれた坑道の入り口が、崩れかけた木の柵の向こうに覗いている。
「あれが、廃坑か」
ガイウスが声を潜めた。
三人は木々の陰に身を隠しながら、坑道の様子を窺った。表向きは廃坑扱いのはずだが、入り口付近には、まだ新しい轍の跡が幾重にも刻まれている。
「人の気配は?」
「静かだな。……だが、油断はできない」
じっと様子を窺っていると、坑道の奥から、二人の男が姿を現した。一人は見張りらしく、腰に剣を差している。もう一人は、荷物を抱えて坑道の外へ運び出しているようだった。
「あれは……」
ミアが目を凝らした。運ばれている荷物の中身は、布に包まれてはっきりとは見えないが、その量と大きさから、鉱石の類ではなさそうだった。
「食料か、水か……いずれにせよ、あの中に人がいるのは、間違いなさそうだ」
ガイウスが低い声で言った。
三人はさらに時間をかけて、坑道の周囲を観察した。見張りの人数、交代の時間、荷馬車の出入りする頻度。灰の館での経験が、ここでも活きていた。
日が傾き始めた頃、三人はようやく、坑道の入り口からそう遠くない岩陰に、小さな隙間を見つけた。かつての排水路の跡らしく、坑道の内部にわずかに繋がっているようだった。
「ここから、中の音が聞こえるかもしれない」
レオが囁くと、ミアが慎重にその隙間に耳を寄せた。
しばらくして、ミアの表情が強張った。
「……声が、聞こえます」
「何と?」
「はっきりとは……でも、複数の人の声が。それに、鎖の音のようなものも」
レオの背筋に、冷たいものが走った。灰の館の地下で聞いた、あの重苦しい空気を思い出す。
「間違いない。ここに、囚われている人々がいる」
ガイウスが険しい表情で言った。
「だが、今この場で踏み込むわけにはいかない。見張りの数、坑道の構造、全てが不明なままだ。灰の館の時のように、内部の情報がなければ、救出どころか、こちらが返り討ちに遭う」
「じゃあ、どうすれば……」
ミアが焦りを滲ませた声で言う。
「一週間だ」
ガイウスは静かに、しかし力強く言った。
「あの世話役の男が、次にリナを迎えに来るまでの一週間。その間に、王都から正式な捜査団と、衛兵の応援を呼び寄せる。……今度は、俺たち三人だけの力で解決するべき問題じゃない」
レオは頷いた。灰の館の時とは、規模が違う。ここには、国家権力を動かして挑むべき相手がいる。
「王都への早馬は、俺が村に戻り次第、すぐに出す。だが、それでも往復に数日はかかる。……時間との勝負だ」
三人は最後にもう一度、坑道の様子を目に焼き付けてから、静かにその場を離れた。
村への帰り道、夕暮れの山道を歩きながら、ミアがぽつりと呟いた。
「あの声、忘れられません」
「ああ」
「灰の館の時も思いましたけど……こんなことが、まだこの国のどこかで、続いてるんですね」
レオは足を止めず、静かに答えた。
「だからこそ、続けなきゃいけない。文字を教えることも、こうして声なき声を拾うことも」
「先生」
「なんだ」
「私、最初は……先生が寺子屋を始めた時、正直、そんなに大きな意味があるとは思ってなかったんです。字が読めるようになれば便利だな、くらいの気持ちで」
ミアは前を見つめたまま、続けた。
「でも今は、わかります。字を知るってことは、自分の声を、誰かに届ける力を持つってことなんですね」
レオは頷いた。
「その通りだ。……そして今、俺たちがすべきことは、まだ声を持てずにいる人たちの分まで、声を上げることだ」
村の灯りが、遠くに見え始めていた。その中に、リナの家の小さな灯りも、確かに揺れていた。
一週間という期限が、静かに、しかし確実に迫っていた。




