第106話 世話役
ガイウスが早馬で王都へ報告を送ってから、五日が過ぎた。
その間、レオたちはミルバンクでの寺子屋を続けていた。リナとベンに加え、少しずつではあるが、他の子供たちも顔を出すようになっていた。まだ大人たちは遠巻きだったが、以前のような露骨な警戒の色は、わずかに薄れつつあった。
「リナちゃんのお父さん、まだ帰ってこないんですか」
ミアが心配そうに尋ねると、リナは俯いたまま首を横に振った。
「お母さんも、あんまり口をきいてくれない。……何か、隠してる気がする」
その言葉に、レオは胸が痛んだ。母親もまた、恐怖に縛られているのだろう。
その日の夕方、村に緊張が走った。
「来た……」
寺子屋の片付けをしていたベンが、突然、青ざめた顔で呟いた。
「どうした?」
「あの馬……世話役の馬だ」
レオが視線を上げると、村の入り口に、一台の荷馬車がゆっくりと入ってくるのが見えた。御者台には、体格の良い男が一人。その右腕には──遠目にも分かる、鎖の刺青が彫られていた。
「隠れて」
レオは低い声で、リナとベンを近くの茂みに誘導した。二人は言われるまま、素早く身を屈めた。
荷馬車は村の広場に停まり、男が降りてきた。歳の頃は四十前後。日に焼けた顔に、酷薄な笑みを浮かべている。
「村長はどこだ」
男の声が、静まり返った村に響いた。ハロルドが、震える足取りで家から出てきた。
「……お待ちしておりました」
「今月分の話をしに来た。次は誰を出す」
男の言葉に、ハロルドの顔から血の気が引いた。
「今回は、少し……お待ちいただけないでしょうか。先日、木こりの男を一人、お渡ししたばかりで」
「知ったことか。予定は予定だ」
男は懐から古びた帳面を取り出し、指を舐めてページをめくった。
「次は……そうだな、あの家の娘がいい年頃だろう」
男の視線が、村の一軒の家に向けられた。レオはその視線の先を追い、息を呑んだ。リナの家だった。
「リナの、家……」
物陰から見ていたベンが、震える声で呟いた。リナも、隣で顔を真っ青にしていた。
「まさか、父親だけでは足りないから、次は娘まで……」
レオの中で、何かが焼けつくように熱くなった。だが、ここで飛び出せば、全てが台無しになる。今は、証拠と情報を集めることが先決だ。
拳を握りしめ、レオはその衝動を必死に抑え込んだ。
その夜、レオたちは緊急で集まった。ガイウスとノアも、外での聞き込みから急ぎ戻ってきていた。
「見ました。あの男が、リナを次の標的に指名するのを」
レオが震える声で報告すると、ガイウスの表情が険しくなった。
「間違いない。右腕の鎖の刺青……証言と一致する」
「くそ、今すぐとっ捕まえてやりゃあいいだろ!」
ノアが立ち上がったが、ガイウスがそれを制した。
「落ち着け。あの男一人を捕らえても、意味がない。……奴は、末端の運び屋に過ぎない。奴の後ろには、まだ組織が控えている」
「じゃあ、リナちゃんはどうなるんだよ! 見捨てるのか!?」
ノアの怒声に、ガイウスは静かに首を振った。
「見捨てるとは言っていない。……だが、闇雲に動けば、灰の館の時のように危険を招く。今回は、あの時とは状況が違う。周到な計画が必要だ」
レオは深く息を吸い、気持ちを落ち着けた。
「あの男は、いつまた来るんですか」
「村人の話では、一週間後に、指名した者を『迎えに来る』という手はずのようです」
エマが言った。村人の一人が、恐る恐る教えてくれたのだという。文字による橋が、少しずつ村人たちの信頼を築き始めている証だった。
「一週間……」
ガイウスが地図を睨みつけた。
「その間に、鉱山跡地の実態を確かめる。もし、そこに囚われている人々がいるのなら、救出の算段を立てる必要がある。……同時に、あの男を捕らえた際に、逃げも隠れもできないだけの証拠を揃える」
「俺とミアで、鉱山の様子を探ってきます」
レオが申し出ると、ガイウスは一瞬、驚いた顔をした。
「危険すぎる。お前は教師だ、こういう調査は」
「灰の館でも、俺たちは同じことをしました」
レオは真っ直ぐにガイウスを見た。
「それに、リナのことがあります。……あの子は、俺たちを信じて、父親のことを話してくれた。今度は、俺たちが応える番です」
ガイウスは、しばらくレオを見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……わかった。だが、単独では行かせない。俺も同行する」
「私もです」
ミアが即座に言った。
「今回ばかりは、譲れません」
その強い眼差しに、ガイウスは苦笑した。
「頑固なところは、レオに似てきたな」
「褒め言葉として、受け取っておきます」
張り詰めた空気の中、それでも小さな笑いが漏れた。
窓の外、リナの家の灯りが、まだ消えずに揺れていた。その灯りを守るために、一行の新たな一歩が、静かに動き出そうとしていた。




