第105話 書かれた真実
「書く、という方法です」
レオの言葉に、ハロルドは長い沈黙を挟んだ。その視線は、落ち着きなく部屋の中をさまよっている。
「……村長、あなたは字が読めるんですか」
レオが尋ねると、ハロルドは力なく頷いた。
「多少は。……昔、隣町の商家で丁稚をしていた時期があって、そこで少しだけ」
「なら、話は早い」
ガイウスが一歩前に出た。
「声に出して話す必要はない。紙とペンを渡す。……お前が知っていることを、書けるだけ書け。それを、俺たちが預かる」
「それが……何になるんですか」
ハロルドの声には、まだ恐怖が滲んでいた。
「口で話せば、誰かに聞かれる可能性がある。だが、紙に書いたものを、密かに俺たちに渡すだけなら、村の誰にも気づかれない。……お前が『何も話していない』という体裁は、保たれる」
その説明に、ハロルドの表情がわずかに動いた。
「……本当に、それだけで」
「ああ。お前を守る。村を守る。そのために、俺たちはここに来た」
ガイウスの声には、以前の──視察に来たばかりの頃の、どこか冷めた響きはなかった。
長い沈黙の後、ハロルドは震える手で、机の引き出しから古びたペンと一枚の紙を取り出した。
「……少し、時間をください」
「いくらでも待つ」
レオとガイウスは、部屋を出て外で待つことにした。
夕暮れ時、ハロルドの家の扉が開いた。ハロルドは、折りたたんだ紙を、震える手で差し出してきた。
「……書きました。誰にも見せていません」
「感謝する」
ガイウスがその紙を受け取り、その場で開いた。レオも横から覗き込んだ。
拙い、けれど確かな文字で、こう綴られていた。
『二年前から、村の若い男が、順番に「鉱山の仕事」に連れて行かれている。断れば、家族に危害を加えると脅された。行った者は、半年から一年後に戻ってくることもあるが、戻らない者もいる。世話役と名乗る男が定期的に村を訪れ、次に行く者を指名していく。逆らった家族は、家畜を殺されたり、家に火をつけられたりした。世話役の男の名は分からないが、右腕に鎖の刺青がある。今回、リナの父親が連れて行かれたのも、その世話役の指名によるものだ』
読み終えて、レオは拳を握りしめた。
「二年前から……」
「ああ。灰の館の記録にあった時期とも、大体一致する」
ガイウスの声も硬くなっていた。
「世話役の男、右腕に鎖の刺青……何か手がかりになりそうか」
「わかりません。ですが、少なくとも、この村が組織的に脅されているのは、はっきりしました」
レオは、震えるハロルドの肩に、そっと手を置いた。
「よく、書いてくれました」
「……先生」
ハロルドが、初めて縋るような目でレオを見た。
「本当に、村は守ってもらえるんですか。あの世話役の男が、また来たら」
「約束はできない、というのが誠実な答えです」
レオは正直に言った。
「ですが、俺たちは全力を尽くします。それに──もし村の皆さんが、少しずつでも文字を学べば、こういう時に、声を上げる方法が増えます。今回、あなたが紙に書いてくれたように」
ハロルドは、深く息を吐いた。長年抱えていた重荷を、ほんの少しだけ下ろせたような表情だった。
その夜、借りている空き家で、一行は改めて情報を整理していた。
「世話役の男、か」
ガイウスが顎に手を当てる。
「灰の館にいたエドマンドとは、別人物だろうな。あの男は、館の管理と証文の作成を担っていた。実際に村を回って人を集める役目は、また別にいるということだ」
「組織はもっと大きい、ってことですね」
ミアが不安げに言った。
「ああ。だが、それは同時に、末端から辿っていける可能性があるということでもある」
「右腕の鎖の刺青……何か特徴的なものなら、他の村でも目撃されているかもしれません」
エマが言った。
「ホロウやグレンの村でも、同じように聞き込みをしてみる価値はありそうですね」
「その通りだ」
ガイウスが頷いた。
「明日、俺は一度、王都に早馬で報告を送る。この証言は、正式な捜査の材料になる。……ただし、ハロルドの名前は伏せる。彼と村を守るためにも」
「はい」
「レオ、お前たちはこのままミルバンクに留まって、寺子屋を続けてくれ。……村人たちの信頼を得ることは、これからも重要だ。何か新しい情報が出てくるとしたら、それはきっと、お前たちの寺子屋を通じてになる」
レオは頷いた。リナが最初に書いた「はな」の文字、そして今日、ハロルドが震える手で綴った真実。文字が、恐怖に閉ざされた声を、少しずつ解き放ち始めている。
「必ず、リナのお父さんを見つけます」
レオは静かに、しかし強く言った。
窓の外、山の稜線の向こうに、まだ見ぬ鉱山跡地が、闇の中に沈んでいた。




