第102話 ミルバンクの村
西方三村──ミルバンク、ホロウ、グレンという三つの小さな村が、山あいに寄り添うように点在している地域だと、道中でガイウスから聞かされていた。
「ミルバンクが、三村の中では一番大きい。俺とノアが証言集めに訪れたのも、この村だ」
馬車の中で、ガイウスが地図を広げながら説明する。羊皮紙に手書きされた地図には、村の位置と、周辺の山道が細かく書き込まれていた。
「証言はどこまで集まっていたんですか」
レオが尋ねると、ガイウスの表情がわずかに曇った。
「思ったより、話してくれる村人は少なかった。……灰の館の一件のような、はっきりとした証拠はまだ見つかっていない。だが」
「だが?」
「妙な噂がある。数ヶ月おきに、村の若者が『出稼ぎ』の名目でいなくなる、という噂だ。行き先は誰も知らない。……戻ってきた者も、ほとんどいない」
車内の空気が、少し重くなった。
「四年前のダニエルとフィンと、同じですね」
ミアが小さく呟く。
「ああ。だからこそ、放っておけない」
ミルバンクの村に着いたのは、日が傾き始めた頃だった。
エルバン村やブライアーウッド村と比べると、村の様子はどこか違っていた。人々の表情に、警戒の色が濃い。道端で顔を合わせた村人たちは、レオたちの馬車を見るなり、そそくさと家の中へ引っ込んでしまう。
「歓迎、されてない感じだな」
ノアがぼそりと言った。
「無理もない。……以前、ガイウス様とノアが証言集めに来た時、村人たちはどんな反応だったんですか?」
「似たようなものだった。話を聞こうとしても、皆、口を閉ざす。『そんなことは知らない』の一点張りでな」
村長の家を訪ねると、初老の男が出てきた。名をハロルドという、この村の村長らしい。
「……また貴族様のお越しですか。この前の調査で、何も出なかったはずですが」
ハロルドの声には、明らかな警戒が滲んでいた。
「今日は、少し違う目的で来た」
ガイウスがそう切り出すと、ハロルドは眉をひそめた。
「違う目的、とは?」
「この者──レオという。エルバン村で、
村人たちに読み書きを教えている」
「読み書き……?」
ハロルドの表情が、初めて戸惑いに変わった。
「エルバン村やソルヴィン村では、村人たちが文字を学んだことで、自分たちの権利や不正を見抜けるようになった。ブライアーウッド村でも、同じことが起きている。……この村にも、同じ機会を持ってもらいたい」
「そんな……悠長な話を、今さら」
ハロルドは苦々しい顔をした。
「貴族様たちは、うちの村の若い者が消えてることを、本当に調べに来たんじゃないんですか」
「調べている。だが、村人たちが口を開いてくれなければ、調査は進まない。……脅されて黙っているのか、それとも本当に何も知らないのか、それすら判断がつかない状態だ」
ハロルドは、しばらく黙り込んでいた。
やがて、疲れたような溜息をついた。
「……好きにすればいい。だが、期待はしないでくれ。この村の連中は、口が堅い。理由も知らずに、な」
その言い方に、レオは何か引っかかるものを感じた。
「理由も知らずに、というのは?」
ハロルドは一瞬、しまったという顔をしたが、すぐに表情を消した。
「……なんでもない。とにかく、好きに滞在すればいい。ただし、村の連中に無理強いはしないでくれ」
そう言い残すと、ハロルドは足早に家の中へ戻っていった。
その夜、村はずれに借りた空き家で、一行は今後の方針を話し合っていた。
「村長、何か隠してますね」
ミアが開口一番に言った。
「ああ。……『理由も知らずに口が堅い』なんて、妙な言い方だった」
レオも同意した。まるで、村人たち自身にも、なぜ口を閉ざしているのか、はっきりとした理由がわかっていないかのような口ぶりだった。
「恐怖、でしょうか」
エマが不安げに言う。
「灰の館みたいに、何か脅されるようなことが……」
「あり得るな」
ガイウスが険しい表情で頷いた。
「灰の館で見つかった記録には、この村の名前もあった。数年にわたって、複数人がこの村から連れ出された記録だ。……村人たちが何も知らない、というのは考えにくい」
「じゃあ、やっぱり脅されて黙ってるってことか」
ノアが拳を握りしめた。
「なら、なおさら文字が必要だ。……前に先生が言ってたろ。文字を知れば、自分の考えを、誰かに気づかれずに書き残せるって」
レオは頷いた。エルバン村での日々を思い出す。行商人に不当な契約を結ばされていた村人たちが、文字を学ぶことで初めて、自分たちの権利に気づいていったあの過程を。
「まずは、寺子屋を開くところから始めよう。……ただし、今回は少し慎重に進める必要がありそうだ」
「慎重に、とは?」
「村長の態度を見る限り、表立って『不正を調べる』という姿勢で近づけば、余計に警戒される。まずは純粋に、読み書きを教える場所として、村人たちに受け入れてもらうことが先決だ」
ガイウスがそれに頷いた。
「俺とノアは、少し距離を置いた方がいいかもしれないな。貴族の姿がちらつけば、村人たちはますます口を閉ざす」
「そうですね。……ガイウス様たちは、村の外から情報を集めていただく方が良さそうです。俺とミア、エマで、まずは寺子屋の準備を進めます」
翌朝、レオたちは村の広場に近い空き地に、小さな寺子屋の看板を立てた。
エルバン村での日々と同じように、文字かるたを並べ、誰でも自由に立ち寄れる場所を作る。
だが、初日、そこに現れた村人は──誰一人としていなかった。
窓の隙間から、こちらを覗き見る視線だけが、いくつも感じられた。




