第100話 次の一歩
その夜、ブライアーウッド村の広場には、久しぶりに灯りが並んだ。
かがり火が焚かれ、持ち寄られた料理が並び、誰からともなく歌が始まる。四年前に失われた二人が帰ってきたという知らせは、あっという間に村中を駆け巡っていた。
「先生、飲んでますか!」
トビーが果実水の入った木のコップを差し出してきた。ガレットの孫も、すっかり村の子供たちのまとめ役のような顔つきになっている。
「ああ、ありがとう」
レオは受け取りながら、広場の中央に目をやった。フィンとダニエルの席には、代わる代わる村人たちが訪れ、肩を叩いたり、抱きしめたりしている。サリーはその輪の中心で、ずっと笑いながら涙を拭っていた。
「あの人たちの表情、四年ぶりに見た気がします」
ミアが隣に腰を下ろしながら言った。
「サリーさんの、ですか?」
「はい。フィンさんたちがいなくなってから、村祭りでも、収穫祭でも、いつもどこか元気がなかったから……。今日みたいに笑ってるところ、本当に久しぶりで」
レオは頷いた。文字を教えることから始まった自分の旅は、いつの間にか、こうした「失われたものを取り戻す」旅にもなっている。それが良いことなのか、荷が重すぎることなのか、正直まだよくわからない部分もあった。
しかし、今この瞬間の光景を見れば、答えは自ずと出ているようにも思えた。
宴もひと段落した頃、ガイウスがレオを手招きした。村長の家の前、人の輪から少し離れた場所だった。
「話しておきたいことがある」
「西方三村のことですね」
「察しがいいな」
ガイウスは短く笑ってから、表情を引き締めた。
「ミルバンクで集めた証言と、灰の館で押収した記録を照合した。西方三村──特にミルバンクは、既にグレイフィールド家の関係者と思われる人物が出入りしている形跡がある。今すぐにでも動く必要がある」
「エドマンドが捕らえられても、組織そのものは止まっていない、ということですか」
「そうだ。エドマンドは末端に近い立場だったのかもしれない。……あの書庫の規模を考えれば、まだ上がいる可能性が高い」
レオは息をついた。九つの村どころではない被害の全貌が、ようやく見え始めたばかりだというのに、その先にまだ続きがあるという現実。だが、驚きよりも先に浮かんだのは、静かな覚悟だった。
「俺たちに、できることは?」
「まずはブライアーウッド村での事後処理を終わらせる。共同倉庫の帳簿の件も含めてな。……その後、王都から正式な捜査団が組まれる予定だ。俺も一度、王都に戻って報告しなければならない」
「一度、離れるということですね」
「ああ。だが、心配するな」
ガイウスは、珍しく穏やかな表情を見せた。
「お前たちの寺子屋の旅は続けていい。むしろ、続けてほしい。……西方三村への調査は、正規の手順を踏んで、俺たち貴族と衛兵の仕事としてやる。お前とミア、ノアたちには、これまで通りのやり方で、村々に文字を届けてほしい」
「それは……」
「危険な調査に、民間人であるお前たちを巻き込みすぎるのは、俺の本意じゃない。灰の館では結果的にそうなったが、あれは例外だ」
レオは少し驚いた。以前のガイウスであれば、こうした線引きを口にすることはなかっただろう。伯爵家の視察に来た頃の、どこか冷めた表情の青年は、もうそこにはいなかった。
「わかりました。……ですが、何かできることがあれば、いつでも声をかけてください」
「言われるまでもない」
ガイウスは短く笑うと、広場の方へ視線を戻した。フィンとダニエルを囲む輪は、まだ賑やかに続いている。
「今夜は、この光景だけで十分だ。次の一歩は、明日からでいい」
その言葉通り、翌朝からブライアーウッド村での日々は、いつもの調子を取り戻していった。
共同倉庫の帳簿の不審な差異──それこそが、そもそもこの村を訪れるきっかけとなった問題だったが、村長と数人の識字を学んだ若者たちの手によって、少しずつ整理が進められていた。
「先生、これ見てください」
倉庫の帳簿を担当していた青年が、ノートを広げて見せた。四年前の記録と、現在の在庫を照らし合わせた表だった。
「差異があった部分、全部洗い出しました。……ほとんどが、単純な記入ミスか、あるいは意図的に品目名を書き換えられていたものです。文字を知っていれば、すぐに気づけたはずのことばかりで」
「よくやった」
レオは表を受け取りながら、静かな満足感を覚えた。灰の館で起きたことのように大きな事件ではなくとも、こうした小さな不正の芽を、村人たち自身の手で摘み取れるようになったこと。それこそが、寺子屋が目指してきたものだった。
昼下がり、レオが村はずれの空き地で子供たちに文字かるたを教えていると、フィンがふらりと姿を見せた。
「先生、俺も交ぜてもらっていいですか」
「フィン……いいのか、まだ休んでいても」
「もう十分休みました。それに」
フィンは少し照れくさそうに、頭をかいた。
「灰の館で、文字が読めたから助かったこと、たくさんあった。だから、もっとちゃんと学びたいんです。母さんにも、今度こそきちんとした手紙を書けるように」
「今度こそ、というと?」
「四年前……王都に行く前に、書き置きを残したんです。でも、あの頃はまだ文字があやふやで、母さんには『何て書いてあるのか、半分もわからなかった』って、さっき言われて」
フィンは少し笑いながら、けれど目には強い光を宿していた。
「今度は、ちゃんと伝わる文字を書きたい」
レオは頷き、かるたの束から一枚を差し出した。
「なら、今日から一緒にやろう。焦らず、一歩ずつだ」
村はずれの空き地に、また一人、学びの輪が広がった。
遠くの空に、西方の山並みが薄く霞んで見える。まだ見ぬ村々への道のりは長い。だが、灯りは今日もまた、確かにひとつ増えた。




