第2章 第6話 願いの手 〜未だ言葉で表すことのできない存在
『願いの手』
ミケウの北、崖沿いを下る山道の入り口にあり、小ぶりの山に囲まれた盆地を一望できる、岩肌が突出した部分のことをそう呼ぶ。
盆地の地下には洞窟が広がっており、岩肌の先端に立つと、一部地表がポッカリ欠けた箇所から、地下にある澄んだ水を蓄える池を望むことができる。
願いの手では音が響き、大きな声を上げれば共鳴され返ってくる。
池の見える穴から響いてくるようにも感じるため、盆地の名前であるエリオの口と呼ばれたり、声が旅する場所として歌の宿と呼ばれたりしている。
願いの手は古くから知られている場所で、その名の通り願いが叶うとか、妖精を見たとか囁かれている。
季節や天候でガラリと姿を変える景色は美しく、ミケウから近いこともあり、噂を聞いた流行り事好きや余所者が観光気分で時折訪れる。
時折なのは、繁華街から遠い辺鄙な場所にあるからなのもそうであろうし、人が噂の説明をする際、祈りには代償が必要であると説明されるからでもあろう。
祈りを捧げた結果が良くても悪くても噂の信憑性を上げる結果となるため、神秘的な話題としては、密かにだが根強く残りつづけている。
エリオ盆地の公式な探索は既に済み、開拓者たちも幾度も足を運んでいるが、神器や遺物はおろか、特別なものは何も発見されていない。
せいぜいたまに珍しい植物や鉱物が採れるくらいだ。
ケモノも警戒心のつよい小型のものを見かけるくらいで、直接的な危険は少ない。
しかしミケウの宮殿は願いの手への来訪を推奨していない。
もしもその古い噂が本当であった場合、理が崩れている、または"壊"が起きているなどの可能性があり、危険を否定できないためだ。
人間に場の異変を察知する器官は普通ない。
目に見え、体で感じ、実際に起こる現象が普通か異常かを判断する。それしかない。
"燃えている"など、あからさまな異常現象が常に確認できる状態ならともかく、願いの手はそういったわかりやすい場所ではなく、祈りの結果が本当に願いの手の効能なのか証明できないため、噂が噂の域を出ることがない。
そのため立ち入り禁止とまではいかないが、大事をとり推奨しないとしている。
・
願いの手に、妖精は居る。
正確には妖精ではなく、封神戦争で死の運命を与えられ、彷徨うだけとなった神々の一人だ。
しかし知らぬ者が見たならば、その姿から妖精とされるだろう。
願いの手のあるエリオ盆地には、人々の行き場を無くした信仰が薄く漂い、"妖精"はそれ渇望し、受け取ることができぬまま彷徨っている。
妖精にもはや自我はなく、反射のみで存在していた。
かつてニコにより死の運命を与えられた神々の中で、神器に変わることができず、定められた運命を回避できなかった神を"壊神"と呼ぶ。
つまり妖精は壊神であり、その起こす現象のことが"壊"である。
壊神は、壊として突然現れては消え、時に恵みを与え、時に災害を引き起こす、特異な自然現象と成り果てている存在である。
壊神に当時の力はわずかにしか残っていない。ただの神の体を持つ器だ。
エリオの妖精もそうであるが、特に目立つ現象を起こすわけでもなかった妖精は、盆地をただ漂い、時折聞こえる人の声にピクリと反応するだけの存在となっていた。
・
ある日、そんな"面白そう"な場所に、吸い込まれるように特異な三人が訪れた。
三人は人でもケモノでもなく、精霊でも妖精でも、まして神でもない。
三人は古くから存在しているのに、未だ人の言葉で表すことができない存在であった。
一人目は薄黄色い姿である健啖のマーゴ。
二人目は薄青い姿である観察者キーテ。
三人目は薄赤い姿である自由のアーダ。
二つ名など本来はないし、誰もそれぞれの性質を知る者はいないが、三人を一言で表すならそうなる。
三人は、ただ面白半分にそこを散歩しにきた。
・
「着いたー!」
「ついたぁ」
「着いたー!」
別段苦労などしていないのに、苦労して辿り着いたかのように振る舞うマーゴ。
それに付き合うキーテと、
ただ元気に真似をするアーダ。
「ここは祈りを捧げると叶う。とされている場所です」
薄黄色いワンピース姿のマーゴは、風で広がったスカート部分を両手でしぼめ、おやつがパンパンに入ったポーチからいくつかをつまみ、自慢げに説明する。
「おおお!なんでも?」
薄赤く、丈が短い上着でオヘソを晒し、パンツの足首部分をキュッとしぼるアーダは元気な声で反応する。
「なんでもです!」
適当なことを言うマーゴ。
「なんでもではないよ」
その発言を即座に訂正するキーテは、薄青いワンピースを風になびかせ、頭のてっぺんに長い髪で器用にお団子を作った。
「こういうのはなんでもでいいんだよ」
「ん〜まあわかるけど……」
都合の良い事を言うマーゴに、人間の行っている現実と照らし合わせて折れるキーテ。
「じゃあお祈りしてみよう!」
お祈りとかいうイベントを早くやりたいアーダは提案し、二人は思い思いの祈りのポーズをとる。
アーダは両手を天に突き上げ、目をギンギンにした。
キーテは両手を胸の前で合わせ、俯いて目をつむった。
恐らく、人のする祈りとはキーテの格好の方が正しい。
「あー!何が起こるのか、たのしみで仕方がありませんでしょう!」
アーダが叫んだ。
「キーテが世界で一番すごいです…………ハッ、叶ったかも……」
キーテは囁き、わざとらしく驚嘆した。
「君たちのはお祈りではないね。お願い事をするんだよ?」
マーゴはポリポリ食べ、
アーダはえっ?として、
キーテはムッとした。
「お祈りって難しいねー。それにしてもなんだかここ、変な感じしない?」
アーダは早々に祈りを諦めたことを気にもせず、空間の異変について質問した。
「壊神がいるよ。信仰が集まってる」
キーテは広い知識と鋭い感覚をもって、貴重な情報を大したことのないことのように披露する。
「へえ〜、探してくる!」
アーダは大して情報に感謝することなく、それを探しに行った。
「何の神?」
マーゴが追って質問する。
「そこまでは分からないよ。ちゃんと見たら分かるかも」
キーテが答える。
「変なの居たよ」
すぐに帰ってきたアーダの手の中で、妖精がギュッと囚われていた。
「見つけるの早くない?」
マーゴは異常な発見の速さにつっこんだ。
「引っかかってた」
アーダは運が良い。
それはいつものことであったが、マーゴはなんでなの?という表情をキーテに向けた。
キーテはわからなかったから首を斜めに傾げただけだった。
「貸して。ふぅん、たぶんイタズラの壊神だと思う。イタズラな願いなら叶うかも?」
キーテは己の知識と照らし合わせ、可能性の高い答えを提供する。
二人に向けて両腕を伸ばしたその手のなかで、オモチャのように妖精の四肢が広げられている。
「アーダが躓いて転びますように……」
すかさずマーゴはイタズラ心を呼び起こす。
「なんでそういうこ、わっ!」
アーダは無様に転んだ。
「ハゲろ!ハゲろ!」
アーダはまさかと思いつつも、呪詛を込めて復讐の願いを口にする。
誰をとも言ってもいないのに、マーゴの頭がみるみる白くなった。
「マゴちゃん、あたま……ぷっ……」
「あはは、あはは。叶った!」
キーテは他人の不幸を喜び、
アーダは叶った願いに喜んだ。
「え?あれ?あれれ?」
自分の頭に触れ、あるはずのものがなくなっている事にマーゴは焦った。
「ぷーくすくすぷーくすくす」
「ぷーくすくすぷーくすくす」
キーテはわざとらしく笑い、
アーダはそれを真似する。
「えー!ねえこれ治るよね?治るよね?」
「さあ……?」
焦って聞くマーゴだが、キーテはそっけない返事を返した。
「代償があるんだからね!」
マーゴは軽く聞きかじった話しを、脅しとしてアーダに向ける。
「えっ……」
アーダは自分の体の様子を確認した。
ぐーぱーぐーぱー。
胸よし、腹よし、おしりよし。
ぴょんぴょんぴょ〜ん。
異常は見当たらない。
非常に元気で健康だ。
「ないよ。神の施しに代償なんてものはない」
キーテからの情報は何よりも信頼に足りた。
アーダはニヤリとし、
マーゴはちぇっと舌打ちした。
「……人間」
突然、気配を察知したキーテが呼びかける。
「マーゴ帰る……」
髪の毛がなくなって気分の悪くなったマーゴは帰ることにした。
「アーちゃんも帰る。マゴちゃんの頭に絵ぇ描く」
楽しみが続くと思い、アーダも続けて帰ることにした。
「キーテちょっと遊んでいく」
キーテはこの場所で遊べるかもと思い、留まることにした。
「うんじゃあねー」
アーダはキーテに手を振って、マーゴと隣り合わせで歩き始める。
「絵なんて描かせないからね?」
「いいじゃん別に!じゃあ髪の毛描いてあげるよ!」
「え、それなら良いかも?」
「イメチェンしよう!」
二人は歩きながら薄くなり、パッと消えた。
キーテは二人の様子を確認した後、興味がないようにポイッと妖精を崖の上から捨て、身を隠し、人間を待った。
ほどなくして到着したみすぼらしい格好の男は、ポケットからくしゃくしゃな短い紙巻きの煙草を取り出し、それっぽくお供え物の台座のようになっている岩の上に供えてから、膝をつき祈りを捧げ始めた。
「賭けで大負けしました、このままでは住むところもなくなってしまいます。なんとか取り戻せるよう、どうか、どうかお願いします……」
男の周囲を取り巻く音がわずかに薄くなる。
——倍かければいいじゃん
男は心に響き渡るような声に目を見開いて驚き、周囲を見渡す。
だがその目にはエリオの口が映るだけで、何もいなかった。
祈っている間に風に飛ばされた供え物の煙草のことは気づきもしなかった。
「い、い、居るのか、本当に……わ、わかりました!やってみます!」
キーテの適当な"願いの精ごっこ"を信じ、これ以上堕ちることはないと肝を据えた男は、街に戻った後、賭けで勝った。
——アハ、面白い
起こった偶然に観察者のキーテは喜んだ。
妖精が現れたとの噂は酒臭い小さな界隈にしか広がらなかった。
だが声が聞こえたと証言する者は複数現れ、少しだけ願いの手への来訪者を増やした。
しかしキーテはつまらなかった。
似たような声と願いが続き、気に入った者にしか答えなくなっていった。
しばらくするとまた、訪れる者は落ち着いていった。




