第5話 おねえさんなのに
北門から出て西にいき、道が途切れても前に進んだ。
行ってはいけない場所だ。
歩きやすい道でもないのに、ギィロはズカズカと進んでいく。
私は、ダメだということは頭の脇に捨てて、ケモノに出会ったらああしてこうしてと、頭の中でまとまることのない考えを巡らせていたから、ギィロの足取りを追うことで頭のリソースを節約した。
ドキドキしていたんだ。
「いるな」
木々の間をふわりと風が吹くと、葉に薄く積もった細かい雪がはらりと落ちた。
その下には、おじいちゃんみたいに中腰の白いヤギのようなケモノがいた。
巨大ではないが、自分よりは大きい。
角が太くて爪が長い。
警戒し、威嚇するケモノの目を見てわかった。
命のやりとりをする本番なことを。
「ほら」
剣を渡され白じじいヤギと向き合った。
生身の相手に刃を向けるという重みを感じることはなかった。
私の心はそこまで初ではなかった。
なのに、剣を握り白じじいの視線を浴びると震えた。
あの時の白影砦の長髪ウサギや、お母さんや妹に被さって様子を窺うコウモリの目がフラッシュバックして震えた。
私はこれまでどうやって剣を振っていたのか。
足の運びも振り方も、握る力加減も全部忘れて、頭が真っ白になった。
すぐに、逃げるのが正しいと思ってしまった。
頭はやらなきゃいけないと思っている、でも心が身体を支配していて怖い。
戦うことを拒否していて動けない。
「どうしよう、どうしよう……」
助けて欲しかった。
「ゴウッ……」
短く唸った白じじいが、前進してくる。
「貸せ!」
ギィロは私から剣を奪い取り、いとも簡単に白じじいを退かせた。
私はその場で情けなくへたり込んだ。
怖いものは怖かった。
「どうしたんだ?あれくらい……」
たぶん剣技の力量的な話を言ってるんだと思うけど、そういうことじゃなかった。
「ほんとは初めてじゃないんだ……ごめん」
私は短い言葉で理由にもならない理由を言った。
「そうなのか……今日は帰ろう?」
帰り道、それ以上ギィロは何も言わなかった。
期待していたのに出来なかった。
私は何のために剣を持ち続けていたのか、いったい何に自信を持っていたのか、これでは何もできない子だ。
と落ち込みながら無言で歩いた。
・
帰ってから、なんか気を張っていたからか疲れてしまって、何にもやる気が出なかった。
暖炉の前で毛布にくるまって、現実から逃げるように寝た。
すると嫌な夢を見た。
白影砦のあの時の様子が、おぼろげな形で、でも一部ハッキリと再生される。
炎が立ち昇り、お母さんが戦い、私の手には妹の手が握られている。
お父さんが戦うと、握っていたはずの妹の手がない。
コウモリが、ウサギが、私を見ている。
その姿がだんだん大きくなっていくと、どこかにあるはずの希望が小さくなっていく。
ない。私の剣がない。
焦って全然動かない足で必死になっていると、私の前に、そこにはいなかったはずなのにギィロがいた。
「…ゼ……おい、リゼ……」
ああ、ギィロだ。
近くに居たからか……
「んん〜……」
うずくまったまま小さく身体に力を込めて伸びの代わりにした。
「起きろよ、ちょっと話したくて」
嫌な体験に嫌な夢をみて嫌な気分。
座り姿勢に直し、もう一度体を毛布で包み直した。
一応目は覚めたけど、今相手なんてする気力はあまりなかった。
「はぁ……なに?」
だからため息で返した。
「リゼ、俺は家族をケモノに殺された。それから全部が遊びじゃなくなったんだ。甘えることもできなくなって、余裕がなくなった。一人で生きていかなきゃならなかった。その、なんていうんだ……目標ができたら、まだ子どもだけど、子どもじゃなくなったんだ、突然」
起きたばっかりでそんなにまくし立てられても困る……
「何言うの……」
でも子どもじゃなくなったっていうのは共感できるかもしれない。
雪灯院に来たばかりの頃は落ち込んでいたけど、エリナさんの言う通り、周りもみんな一人で、私より小さい子も多くて、おねえさんなんだし、ちゃんとしなきゃって思えたから。
「わかんないけど……」
それにしても、じじい狩りに失敗したのを慰めようとしてるのかな……下手だ。
でも、ギィロもケモノの被害に遭って家族を亡くしていた。
私と同じだったんだ。
「復讐したいんだ俺は、勝てなかったから……」
戦ったのかと驚いて聞こうと思ったけど、自分と比べたら口を閉ざしてしまった。
何と戦ったのかは知らないけど、ギィロは負けて逃げたのかな。
でもそれを目標にしているなら、まだ心は負けてないのかも。
私も剣を持ってるのはそういうことのはずなのに、ちゃんと目標になんてできてない。
しっかり見れてない。
だって無理だ……
「リゼはできるのに、やれないのはもったいない。たぶんあんなのは慣れだと思うんだ」
違う。
私のはそういうんじゃない。
しっかり答えれば違うってこともわかってくれるかも知れない。
雪灯院で過去の話はご法度だけど、ギィロはちゃんと話してくれてるし、なんか不公平で申し訳ない。
それなら私も話そうと決めた。
目をつぶり、一度深呼吸してから、口を開いた。
「私もギィロと同じだけど……でも私は逃げたんだよ。逃げろって言われて、それが正しいことだと思ったから。目の前に家族がいたけど、逃げた。怖かったよ、今でも。慣れないよ、自信ない……」
「あ、うん……」
詳しく話してはいないけど分かってもらえるだろうか。
ギィロとは違う。
私は、相手が悪い。
お父さんや衛士さんたちでも敵わなかった、数もわからない複数の魔獣なんて……
「あー、うん、うん……それが正しい、正しかったんだと思う。なんとなくそんな風じゃないかとは思ったんだ。俺がおかしいだけかも……」
ギィロは上むいたり下向いたり歯切れが悪い。
慰めるならちゃんと慰めてほしい。
いつもの女の子を口説いてる時の調子はどうしたの……?と思った。
「いやでも、やっぱり俺は嫌だ。俺は、自分で決めてる。自分でやるって決めた。だからその、一緒に戦ってほしい。俺もリゼの家族をやったやつの討伐に協力するから」
自分で決める……でも、そういう状況じゃなかったんだって……
「無理だよ……白影だよ?知ってる?」
「いや、知らないけど……リゼ、このままじゃあ、何にもならないと思う」
なに、しょうがないでしょう……
と厳しい声にちょっと視線を外してしまう。
「怖かったら俺が助ける、今日のは大きすぎたんだ。もっと小さいのから始めればさ……だから、俺のわがままについてきてほしい、って思ってて……」
わがままに、ついていく……
「たぶん、なんとかなるだろ、ハクエイも」
それは無理だけど、剣を捨てたくはないし、やらないと先に進まないのは本当かも。
「はあ、わかったよ」
下手くその慰めに負けるなんて、またため息が出ちゃう。
「おお?」
ギィロの声の調子が上がった。
「やってみるから、ちゃんと助けてよね?」
「うん、うん!ちゃんと助けるよ!」
その言葉を聞いてギィロを見たらハッとした。
びっくりするくらい目を輝かせていて、こっちが少し恥ずかしくなるほどだった。
そんなに喜ぶことかと思ったけど、その表情を見ると、間違った選択をしてない気になった。
「もう、しょうがないね。それと、白影は魔獣ウサギの群れだからね?」
頼りにするとはいっても、勢いで何とかなる相手ではない。
一応言っておいた。
「は?一体じゃないのかよ、先に言えよ……」
「手伝ってくれるんでしょ?」
「う、うん。たぶんやれるだろ。こっちだってリゼと群れだ」
「二人で群れとか言わないんだよ、バカギィロ」
白影のことは冗談みたいなもので期待はしていない。
けどギィロは私より剣の扱いが上手いし、狩りにも慣れてるから、わがままに付き合える気がした。
ちょっと悔しいけど。
ケモノは怖い。
でも私だって遊びじゃなくなったから、白影がどうとかではなくて、先に進みたいんだ。
こんな恥ずかしいこと口に出せないけど、"ありがとうギィロ、私もうちょっと頑張ってみる"って心の中で言った。
あれ、私もしかして、おねえさんなのに助けられてる……?
「で、ギィロは何と戦ったわけ?」
「龍だ」
「はあ?」
それから、私を何と戦わせようとしてるのか、白影とどっちがヤバいかって口論になった。
でも、そんなのと戦っても折れないギィロに、そんなのを目標にするギィロに、また少し甘えようって、そんなふうに思った。
・
私は悪いことをしてると思いながらも、ギィロに付いてまた外に行った。
ほんとに小さく矮小なケモノから初めていった。
繰り返し繰り返しやった。
白じじいヤギのときも思ったけど、本番は足場も悪ければ視界も悪い。
最初は剣を構えたときも振り下ろした後も手が震えた。
タマネギ切ってる時みたいに涙が出て、ジャガイモ切るより下手だった。
「良いじゃないか!」
でもギィロは褒めてくれて、涙を流しながらはにかんだ。
足の運びも力加減もめちゃくちゃで、良いわけないと思う。
いつの間にか汚れるし、血の匂いも鼻に残る。
それでも、できる人に褒められるのは、大げさでも気分が上がるし、隣にギィロがいることに安心感があって、やめたいなんて少しも思わなかった。
狩りの日は、終わるとどっと疲れていた。
目を瞑って、戦ったケモノの動きや対処法、ギィロの"有り難いお言葉"なんかを考えながら横になると、いつの間にか寝ていて、ぐっすりと気持ちよく眠れるんだ。
すると次の日は昨日より良く動けるようになった。
それが楽しかった。
「行くぞ」
「待って、あっちからいこ」
日が経つと、だんだん"こっそり"外出することに悪気も感じなくなってきた。
「あ、ちょっとお散歩ですぅ」
誰かに見つかれば適当に理由をつけてごまかすんだ。
初めは悪いことをしてるから見つかったらダメだと思ってこっそりしていたのに、今は見つかったら面倒だからとしか思っていない。
外出を面と向かって誰かに咎められたわけではない。
剣持っててどう見ても怪しいし、帰ってくれば汚れているのに、なぜか「気をつけるのよ」だけで済んでいるから、余計に調子に乗っちゃってるかもしれない。
私は、私には必要なことだからと、自分に言い訳をしてる。
もしかすると、ギィロに感化されて不良になってきているのかもしれない。
そう思ったら、普段の生活もしっかりしないとって思った。
ギィロみたく行儀の悪い風にはなっちゃだめだ。
ケモノ狩りは、ギィロの言う通り慣れだった。
そんな単純なことだった。
やればやるほど自信がついてくる。
それに頭で考えるだけでは分からないことが、実戦では色々と押し寄せてきた。
ケモノは都合の良い動きなんてしないし、手加減なんてない。
自分の心に熱く燃えるものを感じるし、練習した動きが自然と行えれば、自分の実力がどれほどのものなのか実感できた。
足元みたいな環境的な悪さなんかは纏いで補助できることもわかった。
相手との力量差を把握すれば、ちゃんと冷静でいられるようになった。
生き物を斬って手に残る感触に、恐れも抱かないようになった。
危なければギィロはほんとに助けてくれた。
「なんでっ!」
「怖がるな、もう半歩踏み込め、だから甘くなる」
ケモノ相手でもギィロの指摘は的確だった。
その度に成長していく実感が得られた。
「うーんまっ!ねえほら、うまあ」
あと、その場でケモノを食べるのはかなり美味しかった。我を忘れそうなほど。
雪灯院で簡単に習ったニコ教の教えに、ケモノは食でしかないとかがあったっけ……
ギィロからは「ださいから肉の味に飲まれるな」ってかなり注意された。
まあ確かに、はしたなくはあるかも。
・
私たちは二人で剣を学び合った。
ギィロは前に「リゼがいればいい」と言ってくれたけど、剣に関しては私もギィロがいればいいと思うようになった。
私は剣ばっかり振ってたわけじゃないけど、いつ寝てるのかよく分からないギィロは、気づくと剣を振っているか女の子を追いかけていた。
だって手伝い事なんていくらでもあるし、それに加えてギィロの世話があるんだ。
「13引く7は?」
「……」
「えい!」
「汚いぞ!やめろよ、算術のケモノなんかいないだろ!」
「ここにいるでしょ?」
勉強に来ないから剣を交えながら算術の問題を出すとすごく嫌がった。笑える。
「短いほうがいいよ?」
髪が伸びれば切るし、
「また穴あいてる」
服が破れれば縫ってあげた。
まじまじ見るくせにギィロは自分で覚えようとはしない。
「リゼがやってくれればいいだろ」で、ため息しか出ない。
なんでも人任せにできる根性ってどうやって育つのだろう……
「リゼももっとちゃんとすれば、よくなるのに」
髪を切ってあげた時に、ギィロは自分の短くなった髪をさわさわしながら唐突に言った。
「え、なにが」
「髪とか服とか化粧とか」
「う〜ん、興味はあるけどお金なんてちょっとしかないよ」
私も自分の髪をくるくるしながら言った。
孤児でもお金は少しもらえる。使い方を知るためだ。
お買い物係の時なんかについでに使える。
「そっか」
「私まで口説こうとしてる?」
「いや、してないし……庭行こう」
ギィロの身のこなしは軽く、纏いも濃すぎて模擬戦をしても全然敵わない。
ほんとに自信なくす。
だから、一度でも当てれば私の勝ちというルールでやるようになった。
どうやって当てるか考えるのは結構楽しい。
ある日から、これまで思い出したくなかったけど、あの長髪ウサギの"白影"に、咄嗟に放った纏いの剣をよーく思い出してこっそり練習しはじめた。
実体のない纏いの塊を剣で誘導する技だ。
集中しないとできない。
それを怪我をしないように打った時はちゃんと当たったから勝てた。
「へっへー、どう?」
「なんだよいまの……もう一回やってくれ!」
でも驚かれて何度もやらされる羽目になって、そのうちそれも当たらなくなった……
技名は『霞』にした。
ギィロの前で言ったことはまだない。
ちょっと恥ずかしかったから。
ギィロとの訓練を続けて、剣を振ることに実績の伴う自信がついてきた頃、ギィロは提案をしてきた。
「開拓者登録しよう。まっとうな金になる」
「えっ!?やるよ!やるやる!」
私は二つ返事で提案を飲んだ。
なんか世界に一歩踏み出す感じがして、ワクワクしたんだ。




