第37話 ニナ
——霧——
霧の中でニナに小さな影が歩み寄った。
影は少女だった。
「羨ましい……」
少女が呟く。
「だ、れ……?な、に……?」
何事か。
普段山に言葉を話す者など居ない。
前日に続いて立て続けにそんなものが現れ、ニナは薄目を開けて訪問者に問う。
「私が妹になるの。私がニナになって、好きになってもらうの」
ニナにとってその言葉は意味不明であった。
だが、淡々と告げる少女の胸から下の半身が歪に開き、そこに生える禍々しい棘や蔓が目に入ったとき、これから何が起こるかだけはわかった。
死だ。
抗えぬ死。
それが目の前にある。
なぜなのか、何が起きているのか、何もわからないままただ死ぬのだ。
思うように体を動かすこともできないのだから、抵抗などできないしする気も起きない。
でも、いい。
やっと解放されるのだ。
孤独と、ぼんやりとした意識、闇からの解放だ。
それでも、口でも牙でもない禍々しいモノが迫ってくる光景を目の前にして、ニナの喉は勝手に鳴った。
「あ……あ……あぁ……」
少女の開いた下半身はニナを包み、切り取った。
少女はふらふらと歩み、霧から離れ、日の当たる場所に根ざした。
急速に体の構造が変化していき、意識と意識が触れ合う。
「私と同じ、寂しい……あなたも、ああ……あなたが原因だった……頭が、私が……」
想定外だった。
少女は自分の意識が薄れていくのを感じた。
………………
——ニナ——
暗かった、寒かった、寂しかった。
たまに思い出すおにいちゃんの手の温もり。
いつのことだったのか、どれだけ経ったのかもわからない。
おにいちゃんが終わらせてくれるのをずっと待っていた。
何をするのも辞めて、ただ信じ続けて待っていた。
人が来て、また人が来た。
二人目は人ではなかった。
でも、終われるならそれはそれでいいと、案外かんたんに受け入れた。
死ぬ時って、挨拶も何もできないんだ。
なら、せめて自分に……
さよなら、私……
…………
不思議と痛みはなかった。
感触がなくなり、視界も音も匂いも消えた。
体が溶けてなくなったのに、私にはまだ心があった。
心と記憶がぶつかり合い、意識が形を成してくる。
これまでのような、ぼんやりとしたものではない。
夢から覚めたようにハッキリとした意識が芽生える。
心を身体が包み、世界との境界に再度触れる。
それと共に希望が大きく育ち、喜びが増幅した。
「だめ、ニナは私、貸して……」
手を握り、開く。
身体がある。
足が、ある。
心が、二つある……
キノ……その純粋な気持ちがわかる。
おにいちゃんが、来ている……!?
「ギィロ……おにいちゃん……」
龍を見つけに。
私を探しに。
終わらせに来た……!
会えると思うと心が躍った。
しかし自分のやるべきことも理解した。
待ってて……おにいちゃん……!
・
——砦——
「ニナ!?」
ギィロは急いで小さな手を掴み引き上げる。
軽い身体が穴から転がり出てくる。
「ニナちゃん?!」
穴から引き上げられた子は、灰色の髪に黒の瞳、特徴は樹の下に埋まっていたニナちゃんと一致している。
姉妹だと言われなくてもそうだろうと思うほど似ている。
けど体が大きく、だいたい12歳くらいの子に見える。
埋まっていたニナちゃんは6歳だったはずで、もっともっと小さかった。
「おにいちゃん!」
引き上げられたニナちゃんは、土で汚れた顔や体をはたく隙もなくギィロの胸に飛びついた。
「来てくれた!来てくれた!寂しかった、嬉しい……」
ギィロの胸に顔を押し当ててくぐもった声を出す。
「うそだろニナ、ほんとにニナ、なのか?」
「うん、そうだよ……」
ギュッと抱きつくニナちゃんに、ギィロは恐る恐る腕を回す。
ギィロも「そうか、そうか」と言って少女をギュッと抱きしめる。
私はそれを納得がいかずに見ていた。
ニナちゃんを見つけたとき下半身は埋まっていた。
地面の下がどうなっていたのか分からないが、今は全身問題なさそうに見える。動きもスムーズだ。
ギィロはしばらくしてニナちゃんと語る少女の肩を掴み、優しく引き剥がした。
「大きくなったな?」
「おにいちゃんもでしょ」
「足は?」
「治ったよ」
「そんなことが……」
「あぁ、嬉しい……」
ニナちゃんは再度ギィロの胸に包まれにいった。
おかしい。
似ているけど私が見たニナちゃんとは絶対に違う。
人は一日でそんなに大きくならないし、こんな都合の良いタイミングで回復して砦まで来るわけがない。
「ニナちゃん……?」
私は本当にニナちゃんなのか確認するように声をかけた。
少女は顔を向ける。
「……リゼもありがとう、見つけに来てくれてたね」
……なぜ、私の名を知っているのか。
「私、ニナちゃんに名乗った覚えはないんだけど……それに私の見たニナちゃんはもっと小さかったよ……」
自然と警戒する意識が、腰の白雪剣の位置を確認してしまう。
「どういうことだ?」
「キノもいるの、ここに」
自称ニナちゃんは自分の胸を指す。
「なんだって……?」
「キノは妹になりたかったんだって、二人でひとつになってる」
「うそ……」
「同化したのか?」
『同化』
ケモノ同士が合体して新たなケモノとなることはままある。
その影響での成長、ということだろうか。
でも人間同士の同化なんて聞いたことがない……いや人間ではなかった……
キノとニナ。
亜人と随子。
同じ山から生まれた存在であればそれも可能なのかと、その神秘になかなか言葉が出なかった。
「ドウカ?わかんないけど心がふたつあるよ」
「ニナであってキノでもあるのか……?」
ギィロは言葉を訳し、それに頷くニナちゃん。
「とにかく、中に……」
と私は誘導しようとしたが、ニナちゃんは動かず、むしろギィロの腕を引き真剣なまなざしを向ける。
「何しに来たのかわかってるの、急いで、リゼも」
私もその視線に射抜かれる。
「どこにいく?」
「龍のところ」
ニナちゃんは迷いなくきっぱりと言った。
「わかるのか?」
「うん」
目の前のニナちゃんの事は気になるけど、龍のところへ案内してくれるという申し出を無視はできない。
ギィロと顔を合わせ頷き合い、すぐに支度して砦を出た。
前を行くニナちゃんの軽快な足取りには既視感があった。
・
随子たちは見つめてくるだけで襲ってこなかった。
姿はニナちゃんであっても、キノちゃんの力が備わっていた。
それは足取りからも分かった。
「ニナ、説明してくれ」
ギィロが当たり前の質問を投げかける。
ニナちゃんは歩みを止めずに話した。
ニナちゃんは本当に埋まっていたニナちゃんであり、気持ちがふたつあるという。
再会が嬉しいニナとしての気持ちと、これで家族として好きになってもらえるという全能感もある。
元々妹なのに、妹になれて良かったとも感じる。
呼び方はどっちでも自分のことのように思えるらしい。
かわいらしさの中にもどこか凛とした話し方をするのは、時が経ったからか、同化によるものか、姿とはアンバランスで大人びていた。
「今は私、ニナ」
「今は?」
ギィロが疑念に満ちた声を出す。
「うん、キノは私になりたがってるよ。いつ変わるかわかんない。だから早く」
二重人格のようになっているということだろうか、同化したケモノの言など聞いたことがないので、心がどうなっているのかなど知らない。
「変わるって……いつだ?」
「わかんないって。でも信じちゃダメ、キノの気持ちは純粋だけど、最終的には随子になってほしいの。キノは山の子なんだよ、人間じゃない」
同化ニナちゃんの語る言葉を聞き、私はちょっと存在感を消した。
自分の甘さを痛感させられたのだ。
キノちゃんに懐かれて、街で襲われた事実の警戒感は薄れていた。
ギィロから指摘され、変な反発心もあったかもしれない。
ただキノちゃんは返り実を与えるという行動は一貫していた。
『随子になってほしい』と『仲良しになりたい』が繋がる。
結局、キノちゃんの目的は川辺にいたガラの悪い奴らと同じように、返り実を食べて龍に食われてほしいということだ。
私はキノちゃんと手を繋いだりしていたことを思い出し、"仲良し"についての思案が自分都合の解釈で良くない方向にいきそうなことを感じた。
頭を振り、二人の会話に意識を向けることで振り払う。
「わかった。ニナ、心臓の場所もわかるか?」
「わかるけど龍が先だよね?」
少しハッとしてから頷くギィロ。
「前に教えたのは覚えてる?」
「覚えてる、けど見つけられなかった。龍に邪魔されたんだ。雪も降ってきたから、そのまま山を下りた。ごめんな……」
「そっか……」
ニナちゃんは少し考えるような間を置いた。
「いいよ、来てくれたんだから。ほんとに嬉しいんだよ?表現するのに体の部品が足りないって思うくらい」
ニナちゃんは身振りと声音の両方を使い、とても明るく言う。
「なんだよそれ」
ニナちゃんの笑顔を受けてギィロも柔らかい表情になっている。
つられて口元が緩むけど、なぜか同時にそれが続かない予感もした。
「今日まで時間がかかってごめん。でも龍は必ず倒す、俺たちから何もかも奪ったあいつを必ず」
「うん」
「ニナ、そのあと心臓を破壊したらニナはどうなる?」
「わかんないよ」
ニナちゃんは前を向いたまま足元に気をつけるようにして答える。
「今のニナなら、山を下りれるんじゃないか?わざわざ山まで殺さなくても……」
「シスコ〜ン」
イタズラな顔で振り返る。
「シッ……違うだろ……」
「あははは、おにいちゃんは、いつでも、優しかった、からさ」
ニナちゃんは少し大きめの段差を乗り越えながら、ひと言ずつ話し、登りきったところでギィロに振り向いた。
「魅力的だけど、難しいかな」
「メジャー領主が返り実を集めてる。それをやめさせれば山はこれまで通りだろ?問題なさそうだ」
「あるよ、問題ある。街に初めに返り実を持って行ったのはキノなんだよ、ほら」
その手にはいつの間にか返り実が握られている。
「これができる人が街にいたら、領主様がどうこうじゃないのわかるでしょ」
街へ行き、人格がキノちゃんに変わって返り実をばらまいたら解決にはならない。
山は、殺さなければならない。そういうことだ。
「くっそ……」
ギィロは悪態をつく。
ニナちゃんが来てから、ギィロは山かニナちゃんかで揺らぎ、ニナちゃんが生き残るなら山を諦めようとすらしている。
ニナちゃんを守ろうとして奪われて、また会えた。
ギィロはその奇跡を継続させるためにもう逃すまいとしている。
それを本人の口から叶わないと言われる。
現実的な状況が、目標は変わらないと突きつけてくる。
ギィロの悪態は、ただの人間ではどうにもならない無力感からだろう。
「ギィロ……」
心臓を破壊したらニナちゃんがどうなるか。
ギィロは少し前に、キノちゃんの生死について私に祈るしかないと言ってきた。
けど、"私にはそう言った"なんて、言えるわけはなかった。
私たちには相手を滅ぼす力がある。
それなのに、ただただ無力を共感した。
「わかんないから、やってみて、それから考えよ?」
ニナちゃんは、揺れる私たちの心の向きを整えるように道を示した。
「そうだな……とにかくまずは龍だ」
どうにもならない事実を脇において、私たちは改めて目標を定め直した。
そうだ。今は、龍を倒すのだ。




