第36話 ギィロの家族
——巣山四日目
「案内を頼む」
雲に隠れた薄い光。
風も穏やかで静かな山の朝。
素早く準備を整え、三人で砦を出た。
「こっちだよ」
キノちゃんを先頭に立たせ、歩む。
「ら〜らら〜ららら〜」
一緒に寝ていたからか、キノちゃんは朝からご機嫌だった。
歌を浴びながら、軽快な足取りを追う。
「リゼ一緒に歌おう?」
「リゼ手ぇ繋いで?」
「ギィロ、疲れた、おんぶして」
私たちはご機嫌に甘えるキノちゃんの要望を、何かと理由をつけて断った。
その度にキノちゃんは「えー」と不満気にする。
「どうしたの?なんかおかしいよ?嫌いになっちゃった……?」
しょんぼりした顔をする。
一晩で態度が変わればそうもなるだろう。
「そんなことないよ、山に長くいたからかな、ちょっと体の調子が悪くって……」
「ふーん……あ、それならねぇ」
キノちゃんは下を見ながらあっちらこっちらと、何かを探しながら進み、ひとつまみの草を引っこ抜くと戻ってきた。
「はいこれ。元気になるよ」
手には針のような何かの草が数本乗っていた。
それをすかさずギィロが覗き、一本手に取った。
「仙草だ。正しい名前は忘れたけど、ヒスイばあさんが喜ぶようなやつ」
ギィロは先端を少し齧り言った。
「へぇ……」
キノちゃんは一本真顔でもぐもぐしている。
私も恐る恐る一本もらう。
「ラウルならお茶にもしてくれそうだけど……」
「苦っ!」
「そう、苦い」
ふたりとも普通にしてるから普通なのかと思っていたのに、騙された。
「早く言ってよ……ペッペッ」
口の中がしぶしぶする。
キノちゃんは嬉しそうに笑い、また先頭に戻った。
ギィロは苦い顔をしながら齧っている。
私は初めからその顔をしてよと思って睨んだ。
「草には詳しいから、欲しいのあったら言って?」
キノちゃんは胸を張り、得意げにして先へ先へと進む。
その背中を見て小さく息を吐く。
あまり明るくされると、あまり優しくされると、その分心が締め付けられる。
あの歩みの一歩一歩が、どこへ向かう一歩なのか。
純粋な好意を利用するだけ利用して、騙しているようでつらかった。
けど進まなければならない。
ギィロは何も言わず視線で気にかけてくる。
私は大丈夫だと主張するように、黙って重い足を運んだ。
落ち着きのないキノちゃんを「早くいけ」とギィロが急かし続ける。
「ギィロ冷たい」
と、キノちゃんは口を尖らせた。
・
「この先だよ」
霧の斜面が現れる。
指を差した先では、足元を流れる霧がだんだんと厚くなっている。
輪郭すら見えそうで、霧自体が生き物のように感じる。
「はじめの倒木もそうだったけど、なんとなく見覚えがあるような気がするな。こんなに霧は濃くなかったけど」
ギィロは周囲を見渡し、地表に出る太く湿った根に触れながら言う。
「そんなの忘れないでよ」
「道じゃないのに、忘れるだろ……」
「私が見つけたの、偉いー?」
キノちゃんは"私はおねえさんです"というように腕を後ろに回し上半身だけ前へ突き出す。
「うん、助かった」
「じゃあ撫でて?」
そのまま頭を下に向けるキノちゃん。
「調子に乗るな」
ギィロはその頭を押した。
「えー頑張ったのにー、リゼぇ〜」
ギィロにあしらわれたキノちゃんが、強い抑揚で名を呼び、足元にまとわりついてくる。
「キノちゃん、ギィロはこれからちょっと……気を使ってあげて」
するとキノちゃんは顔を上げた。
「あ、そうだよギィロ?仲良しの家族が襲ってくるよ?なのに会いに行くの?そんなに妹が大事なの?」
キノちゃんは私の足にしがみつきながら、顔だけギィロに向けて言う。
「そうだ……」
「妹に会ったらどうするの?好きなんでしょ?手握るの?撫でるの?抱きしめる?」
キノちゃんは足から離れ、ギィロに近寄るたび左右に上体を振って問う。
「……」
ギィロは視線を合わせず答えない。
「特別なんだよ」
私は黙るギィロの代わりに答えた。
「……ふーん」
キノちゃんは棒立ちになり、おとなしくなった。
「行く」
ギィロが短く言う。
私は黙って頷いた。
「キノちゃんありがとう。少し待っててね」
私はキノちゃんを待たせ、霧の中に入っていくギィロのすこし後ろをついていった。
「特別……羨ましい……」
その呟きは、霧の中のふたりには届かなかった。
・
霧の中は外よりも一段薄暗く、15歩くらい先までしか物体の輪郭が見えない。
それより先は白に溶けている。
注意しながら進むと、ぼんやりとした中に揺れる影がひとつ。
だんだんとその姿がはっきりしてくる。
女性だった。
「母さんだ」
ギィロが枝を手に掛け口走る。
キャスタさん。
灰色の短い髪をした落ち着いた雰囲気の女性だ。
落ち着いたといっても表情がないからかもしれない。
細い剣を帯びている。
「母さん、ギィロだ、わかるか?」
キャスタさんの随子から言葉は返ってこない。
瞳も力を感じない。
その代わりに腕がつき出された。
開かれた手には返り実がのっている。
「今は必要ない」
ギィロは首を振り返り実を拒絶する。
「ニナに用がある、退いてくれるか?」
キャスタさんはゆっくりと腕を下ろし、一歩一歩後ろへと下がる。
充分距離が離れ、ギィロが前方に歩み始めると、左前方から霧を巻き上げて急速に接近する影があった。
「ギィロ!」
鈍い衝突音が響き、剣と枝が噛み合った。
ギリ、ゴリ、と剣のズレる音がする。
「父さん!」
ギィロが叫ぶとラジールさんは離れ、離れ際に牽制の一閃をしたかと思えば次の瞬間には既に攻撃に転じていた。
剣が止まらない。
「父さん!わからないかっ!ギィロだ!」
呼びかけながらギィロは剣に応じる。
枝と剣が交差する度、湿った空気が震えるようだ。
ラジールさんは無表情で無言のまま、侵入者を撃退する装置のように剣を奮っている。
「誰に向かって、そんな剣を振ってる!」
容赦のない殺すための剣は止まらない。
いくらギィロが声をかけても、ラジールさんの瞳からは何も感じられなかった。
いつの間にかキャスタさんの姿が見えない。
「ダメか……」
しばらく相手をしたギィロの口から諦めの言葉がこぼれた。
そこからギィロの動きが変わる。
踏み込みが深くなり枝に纏いの力が強く乗った。
不意の変化によって放たれる地面を抉るような一撃が、ラジールさんの体勢を大きく崩した。
決定的な隙だった。
振り切れば終わる。
なのに、枝が残す黄色い軌跡は途中で止まり、ラジールさんにまで到達しなかった。
勝手に動く体を強引に止めたようなギィロの不自然な身のこなしからは、どうしようもない躊躇が感じ取られた。
ギィロはやるしかないと言ったが、一縷の迷いもなく斬ることなどできなかったように見えた。
ほんのわずかな遅れの空白に、霧の向こうから何かが滑り込んできた。
ギリギリ反応したギィロは投擲物を叩き落としたが、ラジールさんからの反撃に反応しきれなかった。
ギィロは振り下ろされた剣を無理な体勢で受け、逆にギィロが隙を作ってしまう。
ラジールさんの追撃とキャスタさんも霧の中から迫った。
ギィロの心の揺れを感じた時から、私の体は勝手に動いていた。
迫るキャスタさんを投擲で牽制し、ラジールさんを横薙ぎにした。
続き、当てるつもりのない大振りを一つ置く。
「代わるっ!」
自分だったらと思えば気持ちはわかる。
私だって家族を相手にしたら無理だと思う。
それなら、ギィロに出来ないのなら私がやるしかない。
何のためについてきているのか。
何のために覚悟したのか。
何のために自分がいるのか。
本当は嫌だ。
でも進むためには仕方のないことなんだ。
大丈夫、相手は人間ではない。
自分の気持ちは強引にねじ伏せて、ギィロのためらいは自分の負うべき責任へと変化させた。
「目でも瞑って待ってて!」
ギィロに背中の半分をぶつけ、邪魔だという意思表示を強調させる。
心を鬼にするというよりかは、助けになりたい気持ちを剣と共に強く掴んだ。
・
心を強く持った勢いのまま、私は攻めた。
だけど、息をつかせぬ連撃をことごとく受け止められて、顔をしかめるしかなかった。
ふたりの土纏いは濃く、避けるよりも確実な受けで対処される。
ラジールさんは"間"の短い剣士でペースを乱された。
ギィロは簡単にラジールさんの攻撃を捌いていたが、それはギィロだったからであり、受けてみれば想像以上に重くもあった。
キャスタさんの援護は的確で、ラジールさんの隙を殺すフェイントも非常に多かった。
無視することなどできず、ラジールさんさえやれればという希望が許されない。
ふたりの剣技は"ギィロの両親"という説得力に溢れていた。
連係の前にだんだんと私が受けに回る比率も上昇していった。
直ぐに決着をつけれる相手ではなかった。
受ける、避ける、受けられる。
頭の処理よりも、経験と感覚を使った高速の攻防が続いた。
何か一歩間違えば危ないと全身がピリつく。
そんな中、ふとキャスタさんの身体が伸び、剣が少し下がる。疲れのサインのように見えた。
防御が薄くなった事に気付かぬフリをしてラジールさんに投擲をし、キャスタさんの隙をつき仕留めるつもりだった。
「ッ!!」
声すらでなかった。
キャスタさんの身体も剣も、スッと最適な位置に戻り、誘われたことに気づいた時にはもう遅かった。
静応流の基本にして真髄である『応刃』
反撃につなげる防御の技であり、使い手によりその技の質は変わる。
私の放った剣は、キャスタさんの応刃を突破できるだけの力がこもった剣ではなかった。
剣は大きく弾かれる。
鋭い反撃の予感に全身が警鐘を鳴らした。
……だが、キャスタさんは何かに気を取られたように別の方向を向いた。
その後は一瞬だった。
私は危機を脱すため、全力で姿勢制御をした。
キャスタさんは隙を見せたがラジールさんは別で、本来放たれるはずだったキャスタさんの反撃に、渾身の一撃を合わせに来ていた。
しかしそのラジールさんの剣は、背後から介入してきたギィロの援護によって私にまで届かなかった。
私は視界の端でギィロを捉えると、考えることをやめた。
これから振る剣に躊躇があってはならなかった。
キャスタさんの本物の隙に身を翻して剣を差し込むと、甘く防いだキャスタさんの剣は手から離れた。
私は続けて無防備になった胴を斬り裂いた。
ギィロによって渾身の一撃を突然強く弾かれたラジールさんは、続け様に右腕を斬り飛ばされ、胸を貫かれ倒れた。
倒れたキャスタさんの瞳に一瞬光りが戻ったかのように見えたが、その瞳も閉じ、動かなくなった。
ギィロもラジールさんを見下ろして棒立ちになっている。
霧の中に、一瞬の静寂が訪れる。
私は一度息を吐いてから、今しがた自分のやったことの意味を出来るだけ考えないようにして、ギィロに声をかけた。
「……大丈夫?」
ギィロはひとつ、大きく呼吸をした。
「父さんの本気なんて見たことなかった、母さんの剣も知らなかった……」
ギィロはラジールさんから視線を外さず言葉を零す。
「凄かったなあ……もっと……」
それ以上ギィロは言葉を続けなかった。
何が言いたかったのかはわかる。
私だって吹雪のイェジェットと呼ばれたお父さんの力を今、剣をちゃんと振れるようになった今感じたい。
でもそれは、もう叶わない願いなんだ。
どう声を掛ければいいかなんてわからなくて、棒立ちのギィロの肩にそっと手を触れると、ギィロは振り返った。
「……ありがとうリゼ」
不思議と霧が風に流れ、晴れていった。
・
木片となり、崩れ行くふたりを後にした。
霧の晴れた斜面の中、根が岩を掴むように張った樹を探し、それを見つけた。
だけど、そこに居たはずのニナちゃんは居なかった。
「どうして……ここ居たんだよ……?」
ニナちゃんが居たはずの地面には穴が空き、腕と同化していた根は削り取れ、乾ききった木片が散乱していた。
ここではないと信じたかった。
「本当に居たのか」
と疑うギィロと周囲を確認してみても、他ではなくここなのだという確信が強まるだけだった。
散乱した木片の一つを手に取ると、少し力を加えただけでボロボロに崩れる。
嫌な想像しかできなかった。
状況に動揺してから、思い出したように顔を上げる。
「キノちゃんならわかるかも……?」
「あいつはどこに行った?」
霧に入った以降、キノちゃんの姿を見ていない。
霧は晴れたのに駆け寄っても来ない。
ふたりして周囲に視線を送っても、元の場所まで戻ってみても見つからない。
元々見つけにくいが叫んでみても返事はない。
どこへ行ってしまったのか、諦めきれずしばらくその場で探したが見つかることはなかった。
だんだんと随子たちの気配が強くなっていく。
「チッ……しかたない、暗くなる前に帰ろう」
キノちゃんが居なければ歩みは遅くなる。
夜の闇に飲まれる前に早めに移動しなければならなかった。
私たちはキノちゃんの居ない帰路で、わんさと現れる随子を相手にしながら戻った。
砦付近よりも随子の、ケモノとしての格が高いような気がした。
・
——砦——
「はあ……」
随子を相手にし続けて移動するのは疲労するが、その分他のことを考えなくて済んだ。
しかし砦に戻ってからはそうはいかない。
ため息が漏れた。
ギィロは焚き火に火をつけ、黙って座っている。
「どうしよう?」
私も同じように火を囲んで座る。
ギィロは目を凝らして周囲を確認する。
キノちゃんを探すような視線だ。
「キノちゃん?」
「うん、山に関してはあいつに教えてもらうしかない。ニナのことも」
私は頷いた。
「明日は砦に留まろう。あいつが姿を現したらニナのことを聞く、来ないなら山は後回しにして、返り実に賭ける」
龍を優先するということだ。
食べたところで龍が来るかどうかも賭けだけど、ギィロの目線は龍に固定され一貫していた。
元々そのためにきた、山はついでだ。
それに砦付近であれば有利に戦えるし、砦を使って逃げることもできそうだ。
備蓄の食料も半分を切ったし、むやみに探しに出ても結果は期待できない。
その判断に同意した。
ニナちゃんとキノちゃんの所在。
そして龍と再度交戦する可能性。
その夜は、不安な気持ちを抱えながら眠った。
——巣山五日目——
小さなトリの声、高く響くムシの音、風に揺れる木々、火が弾ける音、湿り気の残る土の香り。
その中に違和感がひとつ混じった。
呼吸を止め、音の方向に顔を向ける。
ギィロも体の動きを止めて目だけ送っている。
ザッ、ザッ……あーー!ドサッ……
顔を見合わせ即座に声の方に向かった。
するとギィロが途中で掘るのをやめた落とし穴から、ぴょこぴょこと小さな手が見える。
「助けてっ!助けてっ!」
女の子の声。
キノちゃんが罠にかかった。そう思った。
でも先に覗いたギィロの口から出た言葉に驚いた。
「ニナ!?」
穴の中にいたのは、ニナちゃんだった。




