第38話 心臓
「あそこ」
道ではない場所を進み、隆起して割れている岩盤の、普通なら通ることはないだろう隙間をニナちゃんは示した。
「俺が」
人ひとりが通れるくらいの隙間を、ギィロは男の役目と言わんばかりに先行する。
その進む背中を確認すると、ニナちゃんは振り、両手を腰の後ろに唐突に言った。
「リゼ、お願いがあるの」
スキンシップをねだるキノちゃんとは違う。
良い予感のする雰囲気でもタイミングでもない。
「何のお願い?」
「龍には勝てそう?」
「うん、一度戦ったけど、ギィロならたぶん大丈夫だと思う」
ギィロはダメージを負うこともなく押していたし、隙を突いて硬い防御を貫きもしていた。
近距離でのあの尻尾に気をつければ、私も援護するくらいなら問題なく思える。
「そう、良かった。言えなくなっちゃうかもしれないから言っておくね?」
「うん、なに?こわいな……」
ニナちゃんという常識外の存在に改まられると、少し構えてしまう。
「おにいちゃんを支えてあげてほしいの」
「それは、いいけど……どういうこと?」
当たり前のような感じで手助けに来たのだから、それは言われなくてもと思った。
続きを問う。
「おにいちゃんには黙っててね」
ニナちゃんは人さし指を唇に当てる。
私は、頷きを一度するつもりが、勝手に首が二度傾いた。
「龍が山の心臓なの」
「……えっ?」
間を空けて低い声が漏れた。
何を言ってるのかすぐには頭の中のパズルがうまくハマらなかった。
「山にとって一番安全な場所、随子の王。おにいちゃんがちゃんとしてたら伝えようとは思ってたんだけど、アレはダメだよね、ほんとシスコン……」
ニナちゃんは困ったようにも嬉しそうにも語る。
ギィロに嫌気が差しているわけではない。
ギィロの優しさ、ニナちゃんを思う愛への、呆れだ。
ニナちゃんは言葉を続ける。
「龍を倒せばそれで終わるの、終われる。だから、私がどうなっても手伝ってあげて?」
優しくも強い瞳を向けられる。
唐突な話を受け止め、私の頭は高速で情報を処理した。
龍が心臓なら『龍伐』と『返り実の根絶』という私たちの二つの目標が重なったことになる。
そして、ニナちゃんは完遂後の結果を分かっていそうだ……
「終われるって、それじゃ、ニナちゃんは……?」
「わからないって言ったのはウソ」
「じゃあ……」
「うん、龍を倒せば私も……」
「それなら!」
私は想像通りの事を言おうとするニナちゃんの言葉を遮った。
「やっぱり、やめてもいいんじゃないかな……?」
そんなのはギィロがつらすぎる。
かわいそうだ。
私はニナちゃんを待たず言葉を繋げる。
「ギィロもきっとそう、一緒に暮らしたいって思ってるよ……」
私は焦っていた。
説得する材料なんて何にもないけど、抵抗しなければならないという気がしたんだ。
けど、私の口から出る言葉は弱々しくて、考えを改めさせるには足りないのがありありと分かった。
ニナちゃんは落ち着いた笑顔で口を開く。
「ありがとうリゼ。リゼが私の事もおにいちゃんの事も考えてくれてるの、わかるよ。でも一緒には居られないの、今だって少しリゼのこと美味しそうだと思ってる。まともに暮らせないよ」
「そんな……」
人間を見て美味しそうだと思うのは普通ではない。
そんな表現をされるとニナちゃんの言葉の信憑性が上がる。上がってしまう。
ここで折れたらダメなのに、負けてしまいそうだ。
ニナちゃんは言葉を重ねる。
「山は壊れちゃったの、私のせい。街に下りたのも私のせい。山は学んだよ、キノじゃなくてもそのうち別の個体が造られて同じことが起こる。今やらないといけないの」
なぜニナちゃんのせいなのかわからない。
同化したのだし、キノちゃんがやったことを自分の責任として感じているのだろうか。
責任がどうであれ、別の個体が現れるというのは大きな問題だ。
とはいえ、それは未来の話であって、今、二人を引き裂くような結果に簡単に頷けはしない。
「でもせっかく会えたんだよ……?」
「とっても嬉しかったよ。おにいちゃんのあったかさ、懐かしかったぁ……」
ニナちゃんは目を閉じて、思い出を噛みしめるようにゆっくりと首を振る。
私はそれを見ていることしかできなかった。
ニナちゃんが目を開くと、そこには強い瞳があった。
「お父さんとお母さんも居なくなっちゃった」
うっ……と心に突き刺さる。
それをやったのは私だ。
息を吐き、突然自分の手が、自分の顔を勝手に気遣ってくる。
責められている訳では無いのはわかるのだけど、気まずすぎる。
目も逸らしたくなったけど、唇を噛んで堪えた。
「せっかくって言うなら、せっかくここまで来れたんでしょう?私に会えたのは歩みの途中だよ、足を止めないであげて。おにいちゃん、妹に優しいんだもん、私のためなら街を相手にするとか言い出しそう」
ギィロは自分のルールで生きている。
その発言は想像に難くない。
もし世間に龍が心臓だと知れて、組合に討伐依頼が出されたら、ギィロはニナちゃんを守るためにミケウの全ての開拓者を相手取って立ち塞がりそうだ。
何なら随子になってでも阻止するかもしれない。
つまり、この事をギィロに知られてはならない。
知らないまま、戦わせるのだ……
「おーい!大丈夫だぞー!」
ギィロの急かす声が聞こえ、一瞬裂け目に視線を送り、戻す。
あぁもう、バカギィロ……
「わかったよ……」
そう、言う他なかった。
言う他なかったのに、ニナちゃんの覚悟を背負うのは重くて、胸がキュッと締まる。
「ありがとう、優しいね。リゼが居てくれて良かったよ、安心しておにいちゃんを任せておける」
ニナちゃんは優しい笑顔をしていた。
「……うらやましい……」
でも隙間に振り向いた後、他人に聞かせるものではない不十分な発音で、微かに呟いた最後の言葉が耳に入ってしまった。
ニナちゃんの中に別の何か、本心のようなものを感じて、私の身体はピクッと反応した。
「今行くよ〜!」
ニナちゃんはそのまま隙間に入っていく。
僅かな時間考えた。
龍を倒すのはギィロの悲願であり、達成すれば返り実を生む山も無くなる。
街への被害を阻止して、これから山の餌食になる者も居なくなる。
古くからある山の問題を解決したとなれば、またギィロの功績がひとつ増えることにもなり、信用は増すだろう。
でも、ニナちゃんは失われる。
ニナちゃんは随子だ。元のニナちゃんではない。
それでも、まともに話すあのニナちゃんを、誰が随子だと認識できるというのか。
すでにさっきギィロは山の討伐をやめようとしていた。
それはもう、ニナちゃんを受け入れているということだ。
これからやろうとしていることは、ミケウに住む皆が喜ぶことなのに、それを行うギィロだけが辛い思いをするんだ。
ニナちゃんの言った支えろという願いは、龍を倒した後のことの方が大事だった。
「リーゼー!」
呼ぶ声が聞こえる。
「う、うん、今行くよ!」
私も隙間を通り合流した。
「あれ?ニナ、こっちならあんな裂け目を通らなくても良かったんじゃないか?」
ギィロは大きな岩の横を指して言う。
「え?そうかも?ま、近道近道、あはは」
笑う二ナちゃんを見るだけでつらい。
なんのために龍への道を歩まなければならないのか。
なんでふたりをそんな場所に行かせないといけないのか。
なんでそんなこと……
白雪剣の柄を掴み思う、私は一体なにを殺そうとしているんだろうか……
自然と足取りは重くなった。
「リゼ、大丈夫か?」
少し離れてしまった私をギィロが気遣う。
「え、うん、大丈夫だよ」
「つらいのはわかるけど進もう、なんとかなる。あとで考えればいい」
「う、うん……」
慰めたいのはこっちなのに、掛ける言葉が見つからなかった。
・
山を進む。
姿を現す随子の質、格が変わってきている。
矮小な者がいないように思える。
魔獣だと言われても納得するような巨体のヘビや、白影のように二足歩行をしている立派な鹿の角を持つ者。
巨大で水色ドロドロな液状のケモノ。
ウマなのかなんなのか毛むくじゃらに騎乗しているリス。
筋肉の塊のようなクマっぽいやつ。
すべて相手にするとなると骨が折れそうなメンツだが、そのすべてをニナちゃんは除いて進む。
そんな光景にも慣れてきた頃、ギィロは冷静を装いながらも浮かれているのを我慢できなくなっていた。
「山は少し遅らせたっていいんだ、行きたいところとか食べたいものとかないのか?別に少しくらいなら街にいけるだろ?」
ギィロとニナちゃんの会話を聞きながら、私は少し後ろを歩いた。
追いつこうという気にはなれなかった。
「リゼなら甘いモノの店とか色々知ってる、服とかメイクとかも、なあリゼ?連れてってもらえよ」
「オススメの歌い手が居るんだよ、一緒に聴きに行こう、な?」
「俺たちはまともな生活をしてないけど、ニナ一人くらいなんとかできると思うんだよなあ」
街で住むのは無理だと言われたのに、ギィロは勝手に盛り上がる。
やめてほしい。
ほんとにシスコンだ。
知らなかった。
ギィロはもうニナちゃんのことを随子としては見ていない。
そんなギィロを見れば、目標を達成するために黙っておけというニナちゃんの判断が正しいものなのだと感じる。
ニナちゃんは「うん、うん」と会話に付き合っていた。
『うらやましい』と溢したんだ。
本当は自分だって一緒に生きたいはずなんだ。
ニナちゃんはギィロと会えて嬉しい。
ギィロもニナちゃんと会えて嬉しい。
家族がとまた共に過ごせる喜びなんて、なによりも代え難いことのはずなのに、自分を犠牲にして正しいことをさせようとしてる精神力は並外れている。
明日などないのにだ。
暖かくも冷たい内容の話に心が締め付けられる。
だけどその温度も長く続かなかった。
起伏の頂上から別の頂上へと進路をとり進むと、ニナちゃんが振り返り先を示した。
「もうそろそろだよ」
吹き飛ばされそうなほど風が強く、草や葉が風によって同じ方向に横に倒れ、なびいている。
ギリギリ滑り降りれそうな斜面の先に、隆起したのか、こちら側が陥没したのか、地層があらわになった崖に斜めに生える樹と、太い根が大地を貫いている。
その崖の端に、龍が居た。




