第2話 剣に纏わりつくモノ
醒歴702年
ゆるく冷たい風の流れる孤児院の中庭で、10歳になったばかりの少女――リゼアノートは、誰に見せるためでもなく、陽を浴びながら一人剣を振っていた。
薄紫の星のような瞳が光を蓄え、淡く白い肌はミケウにかかる厚く白い雲に溶ける。
長く赤みを帯びた髪は陽を浴びるとより赤く反射し、一振りごとに整然と空になびいた。
リゼアノートは元々、ただ楽しくて剣を振っていた。
剣を振り上げるたび、胸の奥に沈んだままの感情が、微かに揺れる。
己を律しても、罪悪感と寂寞感を斬ることはできないでいる。
剣には良い思い出も悪い思い出も、希望も内包している。
白影砦から逃げて雪灯院に辿り着いた後も、柄を握った手の中にすべての想いを握りしめ、命綱であるかのように手放すことはなかった。
手放したら、もっと逃げてしまったら、永遠に追いかけられる気がしたからだ。
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『ミケウリリア雪灯孤児院』
先代のミケウリリアが不運な環境にある子どもたちのために設立した孤児院である。
基礎的な読み書きや算術、歴史などを教える一方、代々のミケウリリアが芸術に造詣が深かったこともあり、"才能を見つけ伸ばす"ことを主軸とした方針を持っている。
滅多に人の来ない街の北端という辺鄙な場所にあり、雪灯院に入った子どもは基本的には姓を失う。
街の中心から遠い立地も失う姓も、様々な境遇をもった孤児たちを守り、余計な刺激を与えない配慮である。
雪灯院は、"探究の神器"の継承者である"ミケウリリア"をその名に冠する事によって、半端な覚悟で手を出す者もいない。
雪灯院に刃を向けることは、ミケウという街での生活の破滅を意味する。少なくともそう知られている。
そのため雪灯院で暮らす子どもたちは人攫いにも遭わず、人の道を踏み外すこともなく、比較的安全な暮らしが保障されている。
だからといって雪灯院の生活が甘いということはないが、複数人で暮らし、見守られながら育つ環境は、人としての成長に確かな影響を与える。
実際、雪灯院の出身者たちは、ミケウや他の街で立派に暮らしている者が多い。
雪灯院内部に設えられた数々の作品は、その証だ。
芸術的な門をはじめとするそれらの多くは、雪灯院を巣立った者たちが感謝の印として寄贈したものである。
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ミケウリリア雪灯孤児院の中庭。
朝日の下で、リゼアノートは剣と共にあった。
「リゼは剣術が好きね。頼もしいわ」
院長のマーニャさんの声に、思わず肩が揺れた。
はにかむしかない。
院長のマーニャさんはよく褒めてくれる。だからみんな好きなことがもっと好きになる。
前までは、剣を振れば誰かが見ていて、褒められれば毎回嬉しかった。
でも私はその言葉に甘えていなかった。
「はい……好き、だと思います」
でも今はちょっと違くて、不自然な感じに濁してしまった。
昔は確かに好きだった。
大好きなおもちゃのようで、無邪気だった。
今は遊びではなくなって、純粋さはなくなり、自分を未来に繋ぐために必要だから振っている。
そう、信じている。
雪灯院では別に一人で根暗に剣ばかりやっているわけではない。
様々な勉強や手伝い事がある。
基礎的な歴史や神学に、識字と算術。
希望すれば錬成や薬学のような専門的なものも学べる。
「これ、洗っておいてくれる?」
「はーい」
当たり前に掃除や洗濯、調理や裁縫などの生活面の手伝いもあるし、買い物も付き添いは大抵あるが孤児がやる。
「……すると、さらさらさら〜、雪男くんの体が小さくなっていきました。雪男くんは、暑さに弱かったのです……」
物語を読み聞かせる場合、年長の子が年少の子に聞かせることが多い。
口を開けて聞いてる子どもたちの反応が面白くて、私は読み聞かせるのが好きだ。
同じ話を読んでも楽しそうにするから、自分も読むのがうまくなっていく。
「ら〜ら〜らぁ〜……」
剣技や歌の時間もある。歌を教えるのはミケウらしさがある。
私はそれらをみんなと明るくやっている。
不幸に遭い孤児になったからといって、ずっと落ち込んでるわけではない。
吹っ切れたわけではないけど、置かれた状況や立場を理解して立ち上がるのに、二年は充分すぎるほどの時間だった。他の人に優しく助けてもらったのも大きいだろう。
雪灯院には色んな子がいる。
なかなか目が合わず俯きがちで本ばっかり読んでる子もいるし、距離間がおかしくてボディタッチが多い子もいる。
職員さんや年長さんにべったりな甘えん坊の子もいれば、ほとんど雪灯院に顔を出さず、既に街で社会勉強に費やしている子もいる。
様々だ。
雪灯院にいる他の孤児が、なぜ孤児としてここにいるのかは知らない。
みんな色々な理由で連れてこられていることだけは分かっているけど、過去の話はご法度だ。
だから知らない。
私には二つ下の妹がいた。
私は"おねえさん"だったから、ちゃんとしたところを見せないといけなかったし、妹のために我慢しなきゃいけないこともあった。
お母さんが楽できるようにお手伝いもしていた。
それはおねえさんとしての責任で使命だったし、自分の価値はそこにあった。
だからなのだろうか、私は雪灯院での様々な仕事を失敗せずにこなせた。
ちゃんとしなきゃいけなかったからだ。と思ってる。
自分では当たり前に感じていたから自己評価が上がることはなかったけど、割と他の人はできないことや失敗が多い。
私にはそれが不思議だった。
自分より年少の子はさておき、同年代の子たちを見ていると、妙に子どもに見えた。
どうすれば遊んでいられるかとか、どうすれば二つ目のデザートを貰えるかとか、そんなことばかりを考えているように思えてならない。
デザートは私も欲しいのだけど……
私がすべての分野で一番とかいうことではないし、専門的で特殊な技能は剣以外にはない。
得意不得意ももちろんあるけど、どれも覚えれば簡単だと思うくらいにはできた。
院長のマーニャさんは私が器用なんだと言ってくれる。
「他の人には他の才能があるから、他人を認めて、あなたはあなたにできることをしなさい」だって。
一応「はい」と返事はする。
たぶん威張ったり驕ったりしないようにというマーニャさんなりの注意。
それは平気。
なんとも思ってない。
でも器用とかじゃなくて、一生懸命やってるからだと思う。違うのかな?
私は庭に出てしょっちゅう剣を振っているわけだけど、剣技は皆当たり前にやる機会がある。
外にはケモノが多いし、中にだってたまに出る。
悪い人もいるし、完璧な治安を持つ街なんて存在しないのだそうで、街中でも護衛や警備の仕事は存在する。
専門でなくても、剣を持つ仕事は多い。
剣技の場合、私は経験者として先生側に立つことがある。
年長の子どもたちに同じ動きを真似させても、結果ははっきりしていた。
振り抜いた剣の、空気を切り裂く音が違うんだ。
ある日の剣技の時間にちょっとした転機が訪れた。
——
『矮小な人間、お前たちの時代は終わった』
『終わりはしない!』
輝く聖剣が高く掲げられた!
『その剣は!?蘇ったというのか!』
『そうだ!人々の祈りに応え、お前を止めるために!いくぞっ!白銀!』
『相手になってやろうではないか!』
聖剣は輝きは大地を照らし、龍の咆哮が空気を揺らす。
『覇王極炎斬!!』
『銀界断絶!ルナ・シルバリア!』
両者の放つ……
「リゼー!時間ですよー!」
「あ、はぁい」
いいところで呼ばれた。
私は今しがた寝そべって読んでいた"ザイレルの騎士と龍"を閉じ、庭まで駆け足で向かった。
本は英雄ヴァーミリオンをモデルにしたファンタジーで、みんな読んでるから読んでいたわけだけど、うーん、なんか、男の子向け?
主人公が仲間たちと困難をくぐり抜けていくのは面白いけど、ヒロインの気持ちに気づかなさすぎじゃないだろうか。
なんていうか、ラブラブになってほしい。
あと、技名恥ずかしくない?
こんなものなのかな。
庭につくともうみんな揃っていて、練習用の木剣を振ったり合わせたり、笑顔で楽しそうにしていた。
今日は年少向けなのでこんなものだ。
「はい、集まってー、リゼアノート先生がきましたよ」
わざわざそんな紹介をしないでほしい。
変にプレッシャーが掛かってちょっと肩に力が入ってしまいそうだ。
「あーリゼアおねえちゃんだー」
「はいはい、座っててねー」
小さな子どもたちはかわいい。
懐かれると心が溶ける。
「じゃあお手本を見せてもらいましょう、リゼちゃん、いい?」
「はい」
みんなは木剣を脇において座り、私は代わりに木剣を受け取って、訓練用の人形に向けて構える。
先生だし、いいとこ見せないと……
なんか、だんだん人形が龍に見えてきた。
技名なんだったっけ……あ、そうだ。
(覇王極炎斬)
と心の中で呟いて剣を振った。
スボンッ
「あ、やば……」
変に笑顔の人形の首が、鈍い音を立てて空間に弧を描いた。
私は一瞬、時間が止まったように、振り抜いた格好のまま停止した。
誰もが唯一動く物体である、"飛んでいく笑う首"を、口を開けながら視線で追った。
人形は本来、そこまで壊れるものではない。
刃なんてあってないようなものの木剣だけど、水纏いの鋭い斬撃に人形が耐えられなかった。
たぶん古くなっていたのもあるだろう。他にも外れそうなところはある。
「……ご、ごめんなさい」
咄嗟に謝った。
ちょっとやりすぎてしまった。
「おねえちゃんすごぉい……」が聞こえるけど勉強になんかならない。
こういうとき剣に強く纏いを乗せるのは止めようと反省した。
「怪我はない?」
マーニャさんがすぐに駆け寄ってきて、心配してくれる。
「はい、大丈夫です」
マーニャさんは人形を確認したあと私を見たけど、私を通して別のものを見るように、困ったような、考え込むような目をした。
「……これは、学びの範疇を超えているかもしれませんね」
マーニャさんは人形を触り、反対の手は頬に当て、困り顔のままつぶやいた。
「先生を呼んでみましょうか」
——
それから断牙烈空流の先生を呼んでくれることになった。
私は毎日人形や空間に対して、想像力を最大に使って剣を振っているだけなので、剣術の指南に興味はあった。
失敗しちゃったけど、ラッキーかも。
「よいしょっと……」
……卒業生が残してくれた訓練用のキレイな人形はまだあったので、あとで隣に立てておいた。
・
来てくれた先生は、30歳前後の黒髪の男性だった。
雪灯院の柔和な職員さんにはいないタイプで、背格好は白影砦にいた衛士さんたちに似てる。
つまり、大人の男の人だ。
先生と言っても道場を持ってるような方ではなくて、街に住む元開拓者の方だ。
開拓者というのは、簡単に言えば街の外で探索を行う人たちのことで、人類の発展に重要な、尊敬される職となる。
自称でしかないけど、実力がなければ自由に外なんか歩けないし、経験豊富なはずだ。
「で、どの子を見ればいい?」
「こちらのリゼアノートです」
「え?このお嬢ちゃんか?」
別に10歳で剣を持つことは不思議ではないのに、先生は左手で右の頬にある傷を触りながらめんどくさそうな態度だったから、私はそんな人なら必要ないと少しの反発心を持った。
「見せてみろよ」
と言うので、いつも通りを見せた。
すると先生は私の剣を見て鼻で笑った。
「はっ、力に頼ってんのよ。危ない振り方だ」
お父さんお母さん、衛士さんたちみんなが褒めてくれて、期待してくれた私の剣を、そんな態度で悪く言われるのには腹が立った。
「ちゃんとやるので見ていてください」
だから、次の一振りには、全力を込めた。
空気が裂けた。
ように見えただろう。
首のない人形の左肩がぶらんぶらんになり、先生の目の色が変わった。
「おいおい、こりゃあ……」
月に二、三回っていう話だったのに、面白そうだと何度も来てくれる話になった。
打ち込んだ場所は、ちょっと壊れかけてたところなんだけど。
マーニャさんの見立ては正しかった。
先生は第一印象は悪かったし口も良いとは言えないけど、今では尊敬してる。
ズルしたけど、結果的には良かった。
「剣だけじゃねぇんだ、生きるためにはあらゆるものを使え」
先生は色んな技を教えてくれるし、元開拓者なだけあって、形だけではなく、手足を使った泥臭い実戦的な身の運びや心構えを教えてくれる。
堅苦しくなくて、ある意味正しい剣だ。
昔、お父さんや衛士さんたちは技とかそういうのは教えてくれなかった。
ただの遊びの一環だったからだと思う。
先生からは想像だけでは補えない経験を感じて、私もどんどん身になってるのが手に取るようにわかった。
教えられるたびに、自分が他の子たちとは違う場所に立っていることを、剣を通して身体が理解していった。
「纏いってーのはなあ……」
纏いについてもちゃんと教えてもらった。
熟練した剣士は自然の構成要素を身に宿して体を使い、剣を奮う。
火纏い、水纏い、風纏い、土纏いといった具合だ。
使えない人も多いが、使える人の中では土纏いが一番多く、次に風、次に水、火纏いを扱う人は少ない。
私は初めは無意識だったけど、そういう力があって作用しているのは身体と経験で知っていた。
「全部いけるのかよ……」
左手で右の頬にある傷を触りながら言う先生の声は低くなった。
傷を触るのは癖のようだ。
先生の言う通り私には利き纏いがない。
火、水、土、風、全て使える。
前から驚かれていたけど先生も驚いていた。
お父さんが水纏いだったので、私も水を使うことが多いのだけど、私にとってはどれであっても普通のことだ。
例え話をされてどういうことなのかわかった気がした。
私は右利きだから、左手は右手のようにはうまく使えない。
纏いも同じなのだという。
効き纏いが土なら、他の纏いに変えることは簡単なことではないのだ。
つまり私は両利き、もとい全利きなのだった。
先生が自分に向けて物を投げろというので、石をポーンと投げつけた。
するとその石は先生の前で不自然な軌道になり落ちた。
「母衣だ。こいつは実用的でもあるし、纏いの感覚に慣れるのに最適だ」
纏いを扱える剣士は『母衣』という技をまず覚えるのが定石ということで、例外なくみっちり稽古された。
母衣は飛翔体を避ける技だ。
色んなものを投げつけられて、無意識にできるようになれと言われた。
「先生は強いのに、なんで開拓者を辞めちゃったんですか?」
まだまだ活躍できるように思うから純粋に聞いたら、すごく単純な話だった。
「子どもだよ」
先生には奥さんと子どもがいる。
子どもができたから開拓者をやめたんだって。
自由に飛び回るなんてことはできなくなって、他にできることもなかったから、今は剣を教えることをして生活費を稼いでいるらしい。
人生だ。
教えてもらえると小さな目標がいくつもできた。
それらを追いかけるように、少しずつの成長を楽しめるようになってきたと思い始めた頃だった。
雪灯院に、鋭い目つきで泥だらけの、捨てる前の雑巾ようにボロボロな男の子がやってきた。




