第5章 第28話 背中をつつく変化
はるか昔、その山には生と死を超越する果実が成るといわれた伝説の樹があった。
一体の瀕死の龍が山を訪れ、そこに成る果実を食い、力尽き、果て、時間をかけて樹に食われた。
すると樹は龍と同じ姿の実を成した。
樹が産み落とした龍は、新たに果実を食ったケモノを食い、食われたケモノはまた、同じ姿で実となり産み落とされた。
樹は成長し、ケモノは増え、山は果実を食う者を待つのみの、不可思議なケモノたちの蔓延る場所となった。
・
『復活の実は、あらゆる病を癒し、死者をも蘇らせる』
噂を聞いた者が幾人も山に足を踏み入れた。
だがそれを信じ山に入り、果実を口にした者が戻ってくることはなかった。
山は畏れられ、麓の集落では信仰が生まれた。
だが神々が死に絶えたあと、人間は激しい戦乱の世を行くことになり、やがて山のことを知るものは少なくなり、麓の村に古い伝承をわずかに残すだけとなった。
山は今ではただ、"巣山"と呼ばれ、村の者と開拓者以外は立ち入りを禁じられている。
・
―狭い
―寒い
―食べたい
―寂しい、寂しい、寂しい
山は何のためなのか誰もわからない中、己の触手となる生物を複製し続けていた。
しかしある日、山は変わった。
もっとも、観測する者がいなければ進化したのかどうか定義されることもない。
あるいは壊れたのかもしれない。
それは憧れだったのか。
効率を求めた結果だったのか。
それとも自然という名の必然だったか。
考える、などということがそもそもあっただろうか。
すべてはただの反射ではなかったか。
なんの因果か。なんの偶然か。
生きるためだったのか、それとも死ぬためか。
何かにあてられた事は確かだったのであろう。
山は、人間を"新規"に生み出した。
バリッ……ドサッ……
「あぁ〜……はぁ……………」
人間の少女の姿をした者が、樹から生み落とされた。
自分が何者であるかなど知らぬ。
ただ言い得ぬ寂しさが心を支配している。
逃れるためなら、生まれたばかりの命を自ら断つ事もできただろう。
しかし少女はわかっていた。
山を下りれば人がいる。
それは希望的に思えた。
仲良くなりたい。
方法はなぜだか知っていて、出来ることもわかっていた。
「行こう?」
少女が人の声帯では出せぬ声を出すと、山の触手となる"随子"が付いた。
少女は随子を連れ山を下り、歩き、街へ着いた。
臭かった。
人間とこのままでは仲良くなることはできない。
やることはひとつであった。
「これおいしい、よ?食べて」
少女の手には赤い果実が乗っていた。
それを持つのが小汚い男であればうまくいくことはなかっただろう。
「子ども?」
子ども、さらに少女というのが男の警戒心を格段に下げる。
「おいしいからあげる。体が良くなる、よ?」
男は訝しげに思いながらも、見たことのない果実を手にする。
「くれるのか?ありがとう……なっ、本当にうまいぞ!!」
恐る恐る噛りつくと、男は果物の中で一番の好物が更新された。
口の中でよだれが残りをよこせと主張し始め、それはすぐに叶った。
「いい香り。ふふ、いい香りになったよ?まだいっぱいあるの、みーんなで食べて?仲良くなろ」
男は少女からいくつかの果実を貰い、仲間とひと時の妙味を愉しんだ。
その夜、果実を口にしたうちの数人が姿を消した。
「違う」
仲間が増えるのは嬉しいはずなのに、少女の心が満たされることはなかった。
満たされることなどないのかもしれない。
だが、他にすることもなかった。
・
「枝のギィロとお見受けするぅ!我が名はセドナー・チューテット!我の剣を受けよ!」
武者修行だかなんだかわからないけど、ギィロはザイレルの闘技場で圧倒的な優勝を収めてから、勝負を挑まれることが増えた。
ギィロばっかりズルいと愚痴ると「優勝すれば良かったのに」と嫌味を言われるので、もうあまり闘技場の事は愚痴らないようにした。
闘技場の一回戦目はザイレルの兵士と当たることになっているのに、人数の都合で私は飛び入りのゲストと戦うことになった。
そのゲストは優勝した。
つまり私は一回戦目にその日の優勝者と当たって負けたので、一回戦敗退だった。
油断してたとはいえついてない。
次にザイレルにいく機会があったら絶対優勝してやると、ひそかに心に誓っている。
この日もいつも通りギィロが挑戦者をあしらうだけだったのに、挑戦者は二度挑んできた。
「噂通りの腕前。ではこれならどうだろう……」
セドナーと名乗った男は小さな赤く丸い果実を口にした。
それを見たギィロは目を細めた。
集中力を上げるルーティンだろうか?それともお腹が空いて力が出ないとかだろうか?
これまで決闘中に物を食べた者などいたことはないが、それからセドナーの剣が力強くなったのは確かだった。
だけどそれでもギィロには届かず、セドナーは膝をついた。
「自分で振ってる剣の先が見えてない。数打てば当たるってもんじゃないんだ、素振りからやり直せ」
「こんなものに頼っておきながら、ご指導、感謝する……!」
私もギィロの的確な指導で伸びてきた自覚があるので、感想を言ってもらえる挑戦者はありがたいと思う。
「なんか食べてから強くなった?」
「うん、なんだったのかよく見えなかった」
その時は、特に気に留めることもなかった。
・
「ふんふんふーん、ふふんふんふーん」
日は経ち、遠征帰り。
ガタガタと乗合馬車に揺られながらミケウへの帰路についている。
雪灯院を出てもう5年も経つ。
こういう遠征も慣れたものだ。
「ガブガブ、パクパク、ガブガブ」
貝殻のかたちをしたお菓子でギィロを食べるマネをしていた。
特に意味などないが、二枚重ねればできると思ったら止まれなかっただけだ。
「やめろ、子どもか」
と言ってギィロは私の持っていた上の貝殻をつまんで口に運ぶ。
それを見ていた大柄な男が笑いながら口を挟む。
「はっはっは、食人事件の犯人はお嬢さんだったか」
「犯人?」
「食人事件?」
「知らんのか?街では食人鬼が出とる」
ギィロとハテナを交換し合って大柄男に向き直る。
話を聞くとミケウで食人事件が発生していて、すでに複数人の被害者が出ており、まだ捕まっていないんだとか。
被害者の共通点が見つからず無差別に見え、唯一共通してるのは現場に"枝"が散乱していることなんだとか。
「ちょっと?」
「俺なわけないだろ」
「そうだよね、ガブガブ、うーん泥味」
私はまた貝殻で口を作り、ギィロの耳を食べるフリをした。
「そんなかわいらしい食人鬼なら良かったんだけどな」
と大柄男が笑っていると、突然馬車は速度を緩め、街道の脇へそれていく。
ガヤガヤと人の声がする。
「なにあれ」
街道の真ん中に大きな岩があり、人だかりができている。
「ありゃ岩食いだよお嬢ちゃん」
大柄男が答える。
聞くと街道を塞いでいて邪魔なんだとか。
確かに今も馬車の進路の邪魔になり、道をそれることになっている。
なんだかちょっと街から離れてただけで知らないことが色々起こる。
「岩食いは討伐報酬がたんまりみたいだよ」
「えっ、そうなんですか?ギィロ行こうよ」
期待を込めた視線を送る。
「近いし、戻ったら確認してみるか?」
お金は大事だ。
好きでもある。
いくらあってもいい。
頷きを返した。
「ギィロってあんたあ、枝のギィロか??」
「そうだ」
「かぁー!有名人と乗り合わせちまってた!こりゃあ岩食いもこれまでかねえ、はっはっは!」
私はちょっと不貞腐れた。
ギィロは名が売れてきている。
闘技場の優勝だけではない。
優勝者なんて毎週出てるのだ。ちょっと圧倒的だっただけだ。
いつも目立つのだ。
私が一緒にいても目立つのはギィロなのだ。
ミューレの札を掛けていても、「枝のパーティだ」と言われて人が付いてくるのだ。
私はいつまで経っても『枝の女』から昇格出来ていない。
ため息をつくしかない。
・
ミケウに着いたら大柄男に情報の礼を言い、応援を貰って降りた。
開拓者組合に寄ると、すぐに岩食いの依頼書は見つかった。
「なにこれ……」
ありえない量の札が貼り付いていて、内容が読めない。
仕方ないので受付のおねえさんに話を聞いた。
岩食いが街道に現れたのは一週間ほど前で、緊急性が高いにも関わらず討伐されていない。
気になる報酬は、公的依頼の報酬の他に、複数の商会からも追加報酬が出ているため破格となっていた。
討伐リングまで貰える。
情報によると岩食いは攻撃性がなく、ただ石畳を食べていくだけのはた迷惑な奴で、それでも討伐報告があがらないのは、誰も勝てないからなんだとか。
街道に現れたのは一週間ほど前だけど、たぶんもっと前からいて、動きがゆっくりすぎて岩にしか見えないため、街道に被さるまで誰も岩の確認のために立ち止まることなどなかったのだろうという。
今では腕試しや面白半分で挑む者が後を絶たず、賭け事まで行われるほど賑わいを見せているようだ。
「すぐ戻ってくれるならもう札は貼り付けなくていいですよ。現地に関係者が居ますので、証人になってくれます」
私たちはいつもの安宿に荷物を降ろし、どれだけのケモノなのか、"討伐"するために現場に向かった。
・
「でっかぁい……」
岩食いは、高さは2メートルを超え、長さは5メートルはあろうかという巨体だった。
頭も手も尻尾もなく、一見すると変な大きな岩にしか見えない。
足元がどうなってるのか見えないためどうやって動いてるのか分からない。
けど、ゆーっくりと移動しており、岩食いが通った後はボコボコになった土がむき出しになっている。
体には平たい板のような岩が幾つも折り重なって、ところどころが欠けているが、欠けたその奥にも同じ岩肌が見えた。
騒いでる人たたちは、挑戦者が肌の岩を何枚剥がせるか予想する遊びをしていた。
キィィーーン
剣が震える音が響く。
「だーくそっ!ダメだ!」
「一枚だ」
「おい!もうちょっと真面目にやれ!」
大の大人たちがケモノを囲い騒ぎ立てている。
遠巻きには腕を組み困った顔をした商人風の者も、つまらなそうに立つ衛士もいる。
「私にやらせて」
私は岩食いの前に進み出た。
私はギィロと二人でサイドの活動をしているけど、ギィロばかり目立って全然名が知られていない。
せっかくつけたルミナスの名を轟かせるために、今日こそギィロより先に活躍するのだ!
その一心で前に出た。
「お嬢ちゃん!やるのか?!」
頷き白雪剣を抜くと、面白がっている人たちが賭け始めた。
「一枚が関の山だろうなあ」
「一枚も無理だろ。オレは無理だったからな。わっはは」
甘く見られている。
私は観衆を視界の端に置いてフードを外し、髪を見せびらかすようになびかせた。
近くの者には良い香りのサービス付きだ。
コツっ
剣の腹で岩に触れる。
感触は本当にただの岩だ。
力任せに当てても表面の岩を砕ける程度だろう事がわかる。
身体に熱を帯びる。
火纏いを剣にまで伝え、その圧を剣を通して岩食いに当てる。
ブワっ
と触れた岩肌を中心に波紋のような揺れがひとつ起きた。
目に見える現象を起こすのは珍しい。
観衆が目を見張り始めたが、岩食いは意に返さぬようにゆっくりと動く。
私は目を閉じ、一呼吸置いてから思い切り斬りつけた。
パパパパパパリン
岩が割れる高い音と共に、いくつもの岩肌が剥がれ落ちた。
観衆が沸いている。
剣を当てた箇所とその周囲が剥がれ落ち、ほんの少しの凹みになっている。
数えた者によると12枚で、記録らしい。世界記録だ。
何度も当てれば倒せるだろうと思ったけど、そういう空気ではない。
私は胸を張って戻り、ギィロにどうだ!と目配せする。
「そんな顔されるとやりづらいだろ」
ギィロは文句をいいながら、次は俺だと言う風に前に出る。
手には短い枝が握られている。
「待て待てー!そ、こ、でだ皆さん!」
背が低く恰幅のいい裕福そうなおじさんが、大声で群衆の注目を集めた。
「そこのあなた!あなたも!コレを食べれば10枚、いや20枚は割れるようになる!試してみてください!」
裕福おじさんは丸い体から生える短い腕を目一杯大きく広げ、赤く丸い果実を手に叫ぶ。
「ほんとかよ」
と訝しげにする男に、裕福おじさんは詰め寄った。
「信じられない!?そうでしょう!だからこその試食なのです!さあさあ!」
「タダなのか……?」
ほぼ強引に手渡された男が果実を口に運ぶ。
「どぅお!なんだ!?めちゃくちゃうまいぞこれ……!」
という初めの男の反応で、裕福おじさんの果実配りは盛況となった。
パリパリン
「二枚になった……その果物本物だぞ!」
「お前一枚だったろ?一枚が二枚になったところでなあ……」
参加者たちは果実の効果を確かめるべく、次々と果実を手に取り口に運ぶ。
そして岩食いに再挑戦すると皆自身の記録を超えた。
不思議だ。纏いの力が強くなっているように見える。
「すごいでしょう?効果は半日ほど続きますよ。二つ目からは有料だよ!」
裕福おじさんは、どうやら不思議な果実の商売に来たみたいだった。
「私もひとつ……いい匂いだね?」
私も一つ貰った。
「そうだろう?お嬢ちゃんが食べたら真っ二つにしちゃうんじゃないか?はっはっは!」
果実はイチゴくらいの大きさで四つの房がついている。
さわやかなのに甘い香りがする。
美味しそ。
と口に運んだ瞬間だった。
「ぼほぉ!」
ギィロに頬を掴まれて吐き出した。
「ちょっと!」
「食うな」
「なんでよ!」
「俺がやる」
「だからって吐かせなくてもいいでしょ!」
私は吐いた果実を手にしているギィロをぶったが、ギィロは関係ないとばかりに私を押しのけ、岩食いの前に出て枝を抜いた。
「兄ちゃん、なんだそれ?ケモノ退治ごっこか?」
「おいあれは、枝のギィロじゃないのか……」
枝を持つギィロを見て一部では笑いが起こっているが、ギィロを知っている者は界隈であれば少なくない。
噂を確かめようと固唾を飲んで見守っている者たちもいる。
私だけはほっぺたを膨らませながらそれを見ている。
ギィロは確かめるように岩肌に手を触れる。
ブワワワワ……
それだけで岩食いは、他の挑戦者たちと別の反応を見せた。
岩食いのゆっくりとした動きが止まり、灰色だった岩肌の表面に波紋のような揺らぎが起こり持続している。
ギィロが枝の先端を岩肌に押し付けると、その波紋は激しく揺らぎ始め、岩肌から浮き上がり宙にまで及んだ。
周囲を見ると皆目を見開き、もう笑っている者はいない。
ケモノというのは人間にはできない事をする個体がままいる。
岩食いもその個体のようだ。
波紋は人間の使う濃い纏いのようにも思える。
だけど人間にこのような目に見える形で展開できる者はいないだろう。ギィロですらそんな真似はできない。
せいぜい相手の纏いをかき消したり散らしたりできる程度だ。
進化したケモノの中で、硬質化したケモノと遭遇することは多い。
普段肌は柔らかいのに、戦闘になると物理的な刃が通りにくくなるのだ。纏いやケモノの持つそれに類した能力がないと貫けない。
他の方向性で進化を遂げているケモノも多いのだろうが、硬質化はそれでも多い。
矛より盾。
硬いから負けないというのがケモノ同士の争いにおいても優位に働き、生存競争の中で自然と生き延びるのだろう。
岩食いはそれに特化しているように思える。
しかも食べ物が石だ。他の者と奪い合いにもならない。
食物連鎖の隙間をぬって生き延び、成長したのかもしれない。
とはいえ、ここまで目に見えて"硬そう"なことをするケモノは見たことがない。
と、頭の中で巡らせていた岩食いについての分析は、ギィロの言葉で終了した。
「退いてもらうぞ石ころ」
ギィロは腕を水平に後ろに下げ、枝を当てていた箇所と同じ場所を勢いよく突く。
ガガッガガガッ!!
音からして違った。
枝は岩肌を貫いた。
黄色の軌跡は恐らく内部を真っ直ぐに伸び、その輝きが岩食いの後ろ側から突き抜けた。
岩肌の波紋は薄らいでいき、ズーンという低い音と土煙を上げ、岩食いはその場でただの岩に変わった。
「あ、クソ、良い枝が中に入っちまった……」
ギィロは空いた穴を覗いてぼやく。
私の世界記録は一瞬で塗り替えられ、観衆の湧いた声の中忘れ去られた。
喜ぶ者もいれば、祭の終わりを残念そうにする者もいる。
「枝のギィロなら巣山で食べても無事で居られるのかもしれませんね」
ギィロは岩食いに空いた穴に腕を突っ込みながら、観衆の一人の声に顔を上げた。
言った者は裕福おじさんにひっぱたかれている。
「さすがなものだ!ほれ!岩食いは倒れたが果実はまだあるよ!今だけ今だけ!買った買った!」
ギィロは岩食いの中に残った枝を諦めて腕を抜き、商人と左手に持つ果実、西の山に視線を向けてから最後に私を見た。
ギィロの目には、不貞腐れて果実のように膨れ上がったリゼアノートが映っていた。
岩食いのお祭り騒ぎはそれで終わった。
・
「フードを外したのが恥ずかしいでしょ」
「外さなきゃよかったろ」
「だってギィロばっかりズルい」
「悪かったな、ルミナスさん」
「ふん」
別に大して怒ってなんかないけど、わざとぷんすかした態度でギィロに当たった。
ギィロの土纏いは桁外れている。
四属性の全てを扱える私は本来チヤホヤされるべきなのに、ギィロの一閃の前には霞んでしまう。
昔からそうだ。
「あのおいしそうな果物たべたかったんだけど?」
口を尖らせ目を細める。
すごくいい香りがしたし、みんな美味しいって言っていた。
「まだあるぞ?」
ギィロはポケットから赤い実を取り出して見せる。
「なんでまだもってんの……一回口に入れたからなんか嫌なんだけど……」
「これは巣山の返り実だ」
「え?巣山って、あの?」
完全に話題はかわり、私の不貞腐れモードはあっさり解除された。
巣山といったら、ミケウのすぐ西にあるギィロのかたきの龍がいるという巣山のことだ。
「うん。一応土着の霊峰だし、村の人以外立ち入り禁止のはずなんだけど……」
ギィロは実を見ながら話す。
村はミケウの西側に広大な土地を持つメジャー領の外れにあるポッカリ村のことで、ギィロの故郷だ。
その先に巣山がある。
「うーん、強くなってたみたいだけど?そういうものなの?」
「食ったら襲われるくらいしか効果は知らない。食べたことないからな」
ギィロは返り実を指先で弄ぶ。
私たちは既にお互いに過去に起きた事の話はしていた。
だからギィロが巣山でどんな経験をしたのかだいたい知っている。
山に成る果実、"返り実"を食べたら、山にいる大人しいはずのケモノから襲われる。
そして襲われた者は、再度山に現れるのだ……
「山から離れてれば食べても問題ないってことかな?」
「わからないな」
「……」
山に行くかどうか聞きたかったけど、口にできなくて下を向いた。
「岩食いをやって思った。今ならやれそうな気はする」
そう言ってギィロは考え込む。
「うん……」
行くかどうか聞くタイミングなのに、私は下を向き続けた。
毎日楽しかったんだ。
だから見ないようにしていた。
目的があってサイドとして生きていることを。
はじめはギィロを気遣っていただけだと思うけど、いつの間にか口にしない理由は変化していたと思う。
目的を遂げるのはきっと何かの転換点になる。
終わってほしくないんだ。
でも世界はそれを許さないように、そこに引きずり込んでいく。
そんな気がして何も言えなくなった。
・
岩食いの完了報告をしに開拓社組合まで戻った。
衛士さんも商人さんも付いてきてくれたためすぐに確認され、依頼は完了となった。
ミューレの札にはまた一つリングが増えた。
報酬のお金は受け取りを保留にした。
大金を何に使おうかと話は弾んだが、決まることはなかった。
岩食い前まで遠征していたこともあり、私たちはしばらくミケウで休暇を過ごすことにした。
・
数日経ったある日の夜、私は宿への近道をするため路地に入った。
暗っ……
足を踏み込むと暗く、頼りになるのは付近の家から漏れるわずかな灯りくらいで、変態でも出そうな雰囲気だった。
「ふんふんふ〜ん……」
一瞬来なきゃ良かったかもと思ったが、最悪の可能性などすぐに忘れ、雰囲気を吹き飛ばすために鼻歌を歌いながら歩いていた。
どこかから、濃い花の香りが漂う。
ツン
と後ろから背中の低い位置をつつかれ、私は驚いて少し飛び上がり、振り返った。
いくら暗いとはいえ、触れられる程近くに人が寄ってきたのに気配を感じなかったのは異常だった。
暗すぎてよく見えないが、そこには小柄な人が立っていた。
ふさふさした毛皮のような服を着て、頭に色々付いている。
バッ!と出来るロングコートではない。
「は、はい?」
私はちょっと後ずさりをした。
「山の香りがする、よ?」
小柄な人は乾いた高い声を出した。
子どもの女性。つまり女の子だ。
でもこんな夜にこんな暗い路地になんで……
しかも第一声が変態チックだったため、少し警戒した。
「は?」
「食べた?」
「なにを?」
「これだよ」
少女の手には丸いものが乗っている。
ちょうど手が灯りに照らされて、それが返り実であることがわかった。
「あ、それ……んーん、食べてない」
「んー?んー?なんでだろう?不思議ぃ、ステキぃ」
少女は首を傾げたり覗き込んだり、別の角度から見たりと、観察をしてくる。
時折照らされる頭に、花が乗ってるのが見えた。
「食べる?」
少女は返り実を持つ細い腕をズイっと前に出してくる。
「くれるの?……ありがとう」
貰えばこの子との会話を終えられるかもしれないと思い警戒しながら受け取った。
「じゃ……」
私はこれで終わりだという雰囲気を出して、そのまま後ろ向きに歩くと、女の子は実をじっと見ながら一定の距離を保ちついてくる。
女の子の様子を見て、貰ったことをすぐに後悔した。
普通の人はこういうことをしない。
「……やっぱり返すよ」
立ち止まって返り実を差し出した。
元々は食べてみたかったものだけど、警戒の方が増した。
「なんで?仲良くなりたいのに。迷わずに済むのに」
乾いた声に少し力が入ったように思えた。
「要らないっていってるんだけど」
もしも変人なのであれば、なめられたらいけない。
女の子のほんの少し変わった雰囲気に合わせるかのように、私も声のトーンを下げた。
「そっか……」
女の子は案外簡単に引き下がり、暗がりに姿を消した。
さっきまで目の前にいた。
それが暗がりに行っただけで既にそこには居ないように感じる。
「なら、食べてみる……?」
暗がりから声だけが響く。
バキバキバキッ!
すると突如声とは別の方向から、乾いた物が割れるような音が聞こえ、何かが迫って来るのがわかった。
無意識に剣に手がかかる。
何っ?!
現れたのは、人間の姿をしている人間ではないものだった。
ソレは幾つにも分かれた木の枝のような腕を伸ばし、襲いかかってきた。
ケモノだ。
私は咄嗟に複数の枝を斬り落とし、距離を取ろうとした。
「んあっ!」
が、足が動かずバランスを崩して仰向けに倒れた。
私の足にはいつの間にか枝が絡まり、動かなくなっていた。
やばっ……
私は大口を開けて覆いかぶさろうとしてくる謎の木人の腹部に剣を突き立て押し返し、上半身を起こしながら相手の足があるであろう場所を勘で切り飛ばし、体勢を立て直した。
手足を切り落とされてもまだ動く木人に、何度も剣を突き立て、私は逃げるようにその場を去った。
充分明るい場所まで出て、一度深呼吸をし、足に絡まった枝を取りはらった。
なに今の……
一度の呼吸だけでは整わない胸に手を置き、何が起きたのか思案した。
山の香りがするとか、返り実を食べたかとか言っていた。
それに謎の木人。
そういえばと、食人鬼の噂が頭によぎった。
どうであったとしても、ムシやトリ以外で、街中でこんなことが起こるのは緊急事態だ。
とにかく宿に帰り、夜遊びせずに居てくれて良かったギィロに襲われたことを話した。
「どこだっ!?」
真面目な顔になったギィロを現場に連れてくると、そこには触れれば崩れていくほど枯れきった木くずが散乱していた。
「随子を倒すとこういう風にカラッカラになる」
持ってきた灯りを照らし、ギィロが木片をつまんで擦るようにするとボロボロと崩れる。
「じゃあ……」
「随子が降りてきてるのかもしれない。人間の姿をした奴だっているからな」
返り実を巣山から離れたところで食べても、随子はいつか襲って来るということなのだろうか。
「私食べてないんだけど……」
しかし随子が襲ってくるのは返り実を食べた者だけで、私は返り実を食べてない。なのになぜ襲われなければならないのか。
「リゼが、山の香り……?」
「ちょっとやめてよ」
突然顔を近づけて嗅ごうとしてくるギィロにビクッとして、両手で押し戻す。
ギィロは"なんでだよ"と言いそうな不満げな顔をする。
「調査だろ」
「こんな暗いところで変態みたいな事言わないで」
「自分から嗅がせようとすることもあるくせにか」
「それはそれでしょ」
まじまじと体臭の調査をされるなどごめんだ。
私たちは山の香りを保留にして宿へと帰った。
・
一夜明けた朝、私たちは情報の確認と報告のため開拓者組合へと足を運んだ。
受付のおねえさんと食人鬼の情報を確認していると、記事になっている名前に覚えがあった。
"セドナー・チューテット"
遠征前くらいにギィロに勝負を挑んできた男だ。
何かを食べていた記憶がある。
おねえさんに返り実を見せると、そういえば、とメジャー領の果樹倉庫も襲われてることが分かった。
やはり返り実を食べた者が襲われている可能性が高い。
それは随子の行動規範だ。
「でも倒されたのですよね?解決ということでしょうか……?」
おねえさんが首を傾げながら言う。
「木みたいなのは倒したんですが、襲われる前にもう一人居たんです」
私は女の子の詳細とも呼べない詳細を伝えた。
暗くてよくわからなかったんだ。
「原因が絶たれていない」
ギィロが端的に言った。
またいつどこに現れるかわからないし、どれだけいるのかもわからない。
返り実が街にあるだけで再発する可能性は充分に考えられた。
「実ですか……有力な情報をありがとうございます。進展しそうですね、引き続き調査をお願いできますか?」
「いや、街の方は他の奴に任せるよ、共有してやってほしい」
ギィロはそうお願いをしてカウンターをスッと離れた。
私はギィロの背中に返事をするおねえさんに一礼して、後についていく。
「事件追わなくていいの?」
声をかけるとギィロは開拓者組合の看板の手前で立ち止まり、神妙な顔を向ける。
「見て見ぬふりをしてたかも」
その言葉だけで私はハッとして、続きの言葉を待った。
「やることをやったらお終いになるんじゃないかと思っててさ」
ギィロは一度深い呼吸をして続ける。
「雪の季節になる前に龍を倒しに行こうと思う」
私は唇を結んで少し身を正した。
するのギィロは少し言いづらそうに視線を外し、山の方を腕で示す。
「リゼまで襲われて放っておくわけにはいかないから、ついでに山も」
「そっか、うん、行こう」
私は決断したギィロに対して、変に冗談めかしたりはしなかった。
問題なくちゃんと力になれる事を伝えるように、数回頷きながら返事をした。
「その……それが終わったらもちろん、白影も手伝う」
ギィロはまだ言葉を続けたので、私は少し首を傾げた。
「で、あー……その後も、このままサイドで居続けないか……?」
歯切れの悪いギィロの気持ちは充分伝わってきたと思う。
私は短く目を閉じた。
ギィロも同じだったんだ。
口に出さなかったのは、経験と実力をつけて自信を持つためっていうのもあるだろうけど、サイドでいることが楽しくて、私と同じで終わらせたくなかったんだ。きっと。
そんな自分のそんな気持ちを黙ったままでズルいとは思う。
けど、目を開けて、ギィロをしっかり見て、目一杯気持ちを込めて丁寧に返事をした。
「うん、いいよ」
「ほんとか?!」
突然大きな声を出すので肩が飛び上がった。
「うん、本当。だからちゃんと倒そう?」
肩を降ろしながら、私はまた、ちょっとズルくおねえさんぶった笑みを浮かべてみせた。
「うん、うん!よし!ははっ、やるぞ!楽勝だ!」
変に喜ぶ姿を見て、私まで連られて嬉しくなってくる。
なんか昔もこういったことがあったような気がする。
明日から巣山に向かう。
今日は準備をしたらゆっくり休む。そういうことになった。
・
その夜、ベッドで布団にくるまってギィロの言葉を思い出だして思った。
――サイドで居続けないか……?
脳内で言葉がこだまする。
ん……?
あれってもしかして告白だったんじゃ……
――ずっと一緒にいたい……
――死ぬまで俺の隣に居てほしい……
勝手に言葉を改造する想像が膨らんでしまって、急に恥ずかしくなってきた。
わざとだけどめちゃくちゃ優しく『いいよ』とか言った自分が思い出される。
やば……
いや、さすがに考えすぎの自意識過剰だ。
でもどういうつもりで言ったのか、そんなの聞けるわけなかった。
・
「ギィロ……ギィロ……?なんだろう、ギィロ……」
いい香りだと思ってリゼアノートをつけ回していた少女は、ギィロを知って胸に違和感を覚えた。
「仲良くなりたい、よ。リゼ、ギィロ……」




