第3話 特別な友達 1
月曜日の昼休み。
教室で自分の席に座っている僕はなんだかすごく気まずかった。
白川さんはすっかりいつもの完璧なアイドルに戻っていた。
僕にも対しても、
「おはよう、飯田くん」
と笑顔で挨拶をしてくれる。
だが、僕に向けられたその挨拶は、少しだけ自然な気がした。
「おはよう、白川さん」
僕もその挨拶に自然に返すと、なんだか二人だけで秘密を共有しているみたいで勝手に少し嬉しい気持ちになった。
どこかほっこりした気持ちを胸に、僕はこの日一日の授業に望んだ。
……放課後。
………さて。気持ちを切り替えよう。
金曜日の文芸部では、白川さんに手を引かれて出て行ってから、黒羽さんとはまともに話してない。
……黒羽さんが何をどう思っているのか気がかりだが、僕は決して悪いことをしたわけじゃない。
僕と黒羽さんの間に恋の関係はない。互いに利害関係が一致しているだけの間柄だ。白川さんと……ホテルでなんやかんやあったことなど気にする必要はない。
「すぅ~……はぁ……」
僕は誰にするでもない言い訳を頭で考えながら深呼吸をし、いざ文芸部部室のドアを開けた。
ガラガラガラ……
「……あれ?」
部室には誰もいなかった。
西日が差し込む静かな部屋。
いつもの埃っぽい匂いと古い紙の匂い。
黒羽さんははまだ来ていない。
僕は、自分の定置に着くと、カバンから少女漫画を取り出した。
……静かだ。
僕が望んでいた平穏で孤独な空間。
……うん。
僕は、深く、深く、息を吸い込んだ。
蟠りもなくなった今、白川さんが僕に態々こんな場所にはやってこないだろう。
「……あれ」
と言うか、そもそも、なんで白川さんは、僕に嫌われているかもなんておもったんだろう。そんな素振り見せたことあったかな?
「……まぁいっか!」
解決した今、そんな事気にする事もない。
この誰にも邪魔されない平穏な時間。
……これだよ。これこそ、僕の求めていた――
「――あ、飯田くん。いたんだ」
僕がその平穏を噛みしめようとした、まさにその時部室のドアが静かに開き黒羽さんが入ってきた。
「……あ、うん。お疲れさま、黒羽さん」
いや、別にいいんだけどね。なんだか一人の時間が一瞬恋しく感じただけだから。黒羽さんが来ることは分かってたし。
「お疲れさま。……金曜日はなにかあった?」
彼女は窓際の椅子の横にある机にカバンをおくと、そんな問いかけをしてくる。
ドキッとした。いくら無関心な黒羽さんでも、言い合いをしてたぐらいだしさすがに気になるか。
「……少し誤解があってね。話し合った末になんとか解決したよ」
僕は大きく濁してそう答えた。
「……そう。解決したならそれでいい」
黒羽さんはそれだけを聞くと椅子に座って本を取り出した。
「……って、そもそも黒羽さんは白川さんと何を揉めてたの?」
「わからない。私の探究の邪魔になるかどうかを確認していただけ」
「……えっ、言ってないよね?」
「? 何を?」
「何って……その……探究についての詳細?」
「言ってない。飯田くんと白川さんの関係は、場合によっては私の探究の邪魔になるかもしれないと思った反面、参考になるとも思った。だから、彼女の目的が知りたかったの」
「……あ……そうなんだ」
相変わらず的を得ないやり取りだ。まぁでもこんなやりとりもなんだか慣れたものだ。
黒羽さんにとってはあれは揉めていたわけでもなく、ただ質問をしていただけ、ということなのだろう。
「……そんな事より飯田くん、私はやっぱりわからない」
「え? なにが?」
黒羽さんは僕の方をまっすぐに見つめた。
「この本を読んでも、キドキはわからない。……死のうと思ったは、やっぱりえっちの隠語にしか思えない」
「いや、絶対違うと思うけど……」
そう言えば、前白川さんと話してる時に何か聞いてきた気がする。
「……だから、体感したい」
「……え?」
唐突に何を言い出したのかと思うと、黒羽さんは窓際の椅子から僕の隣の椅子に移動し、向き合う形で座り直した。
「飯田くんがどうしたらドキドキするのか私に教えて。参考にする」
「え、ええっと……そう言われてもパッと出てこないというか……」
「じゃあ、飯田君が、私としたらドキドキすること言って」
「…………」
「手順、私におしえてくれるんでしょ?」
……言った。確かに言った。
遠慮せずに来てくれと言った。
……そんなの、この問いに答える以外なくないか?
……しかし、面と向かってそんな事言われても……恥ずかしすぎない?
「ぼ、僕が、してほしいこと……でいいの?」
「うん」
……それは、なんの拷問ですか。
僕は真っ赤になる顔を隠そうと必死に俯いた。
「……そ、そんなこと、言われても……」
「言わないと、探究が進まない」
「……」
っく……これは自分で言い出した事……尚且つ僕は黒羽さんに協力する姿勢を見せた……ここは……観念するしかない。
「……て、手を繋ぐ……とか?」
我ながらか細い、情けない声が出た。
「……ん、わかった」
黒羽さんはあっさりと頷くと、机の上に置かれていた僕の左手を、そっと両手で包み込むように掴んだ。
「……!」
ひんやりとした滑らかな感触。
「……」
彼女は、僕の手をじっと見つめると、やがて自分の指を僕の指の間に一本一本、ゆっくりと差し込んできた。
「!?」
艶めかしい、としか言いようのない手つきだった。
何も声には出さず僕の心臓だけが鼓動を早くする。
「……こう?」
黒羽さんの指が絡み合う。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。
彼女はそのまま可愛い顔でこてん、と小首を傾げて僕を見上げてきた。
「――――っ!」
僕の心臓が、破裂しそうな音を立てた。
(か、かわ……)
無表情と、その無自覚なあざとい仕草のギャップ。
黒羽凛、恐ろしい子……!
僕は、ドキドキして、顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。
「あ、あってる……あってる、よ」
「……ふーん」
黒羽さんは繋いだ僕の手をじっと見つめている。
「飯田くん、顔が赤い。耳も赤い。……これがドキドキ?」
コクコクと、顔を逸らして僕は頷いた。
「……なるほど」
彼女は、何かを理解したように深く頷いた。
「……次」
「え?」
「次は、どうするの?」
……え? 次!? もうちょっとゆっくり進みません??
「え、ええと、次は……」
僕はどうしたらいいかとあたふたと視線を泳がせた。
「…………」
そんな僕を、黒羽さんがジッと見てくる。
「あ、頭、撫でるとか……?」
僕がそういうと、黒羽さんは僕の頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと、犬にするみたいに撫でてきた。
「ち、違うよ! や、優しく!」
「……こう?」
指示を出すと、黒羽さんの指先が、僕の髪をそっと梳く。
……うわ、なんか、恥ずかしい……のと同時になんだか……フワフワした感じがする。
「……次」
そう言って黒羽さんはスッと手を離す。
「え、もう!?」
「うん、次は?」
「…………」
もう少し一つ一つをゆっくり楽しむべきじゃないだろうか。
「……じゃあ、今度は僕が撫でていい?」
「……今は飯田くんがドキドキしする事を聞いてるんだけど」
「あ、はい……」
断られてしまった。
……なら、やけくそだ。
「じゃあ……は、ハグ、とか」
「わかった」
黒羽さんはすっくと立ち上がり、
「ん」
そう言って両手を大きく広げた。
「…………」
僕を待っている。しかし僕は今立ち上がれない状態である事に今更ながらに気が付いた。
「…………はやく」
催促が来た。
「いや……あの…今はちょっと……」
僕は顔を逸らして言い淀んだ。
「? ……どうしてしないの?」
彼女は手を広げたまま不思議そうに聞いてくる。
「……そ、それはまた今度で……」
今までも散々エッチな事がある度に反応はしていたけど……真正面から接触をされると……慣れてない僕はすぐに身体が反応してしまうわけで……
さっきの恋人繋ぎからの頭なでなでコンボで、僕の心臓はドキドキし、そして、僕の身体の別の部分は正直に興奮していた。
つまり、立てない。物理的に。
「……ハグじゃないんだ」
黒羽さんは広げていた手を下ろすと、少し考え込んだ。
「……そうか、わかった」
彼女は考えると、何かを閃いたようで、
「座りながら出来る事ドキドキ」
「……え」
僕が彼女の言葉の意味を理解する前に、黒羽さんはくるりと後ろを向いたかと思うと、ストン、と、僕の膝の上に座ってきた。
「ちょっ!!!!???」
僕は全身に力が入った。
一瞬だけ止めようと思ったが、当然のように間に合わない。
すぽん、と。
僕の膝の上に、黒羽さんは綺麗に収まった。
「……!」
「……!」
柔らかい感触。女の子のいい匂い。
そして……当然気付かれるだろう。
僕の膝の上。いや、正確には太ももの付け根。
僕の今、一番に知られたくないあれが、
彼女の柔らかいお尻に、ぐりっと……当たっていた。
「…………」
「…………」
時が止まった。
僕達は一瞬全く動けない時間が発生した。
「……飯田くん」
静寂を黒羽さんが切り裂いた。
「……は、はい」
顔を真っ赤にして僕はただ返事をする事しか出来なかった。
「……今、私のお尻に、何か硬いものが、当たってる」
「……気のせいじゃ……ないかな」
「……気のせいじゃない………これ」
グリグリ、と、お尻を、動かした。
「―――――っ!」
僕は、声にならない悲鳴を上げた。
「……これ、知ってる」
彼女はそう言って僕の膝の上からゆっくりと立ち上がった。
そして、僕の顔を、無表情でじっと見つめた。
「……どういうこと?」
「……えっと」
「説明して、飯田くん」
彼女の無表情な顔が、怒っているように見えるのは気のせいだろうか。
「ドキドキすることを教えてって言ったよね?」
「は、はい……」
「私は、飯田くんのドキドキする行動、手を繋ぐ、頭を撫でる、膝に座るを実行した」
「いや、膝の上は黒羽さんが勝手に!」
「それまで私は興奮する事をしていない。なのにどうして……飯田くんは興奮しているの?」
「…………」
「言ってることとやってることが違う」
彼女の静かだが鋭い追求。
僕は何も言い返せない。だって事実だから。
僕は恋のドキドキの話をした。えっちな事は最後であると説いた。
しかし、身体の反応は当然してしまうわけで……それを知られてしまっては、なんの説得力もないのである。
「やっぱり、そうなんだ……」
黒羽さんは、何かを確信したように頷いた。
「飯田君も同じなんだ」
「な、何が……」
「ドキドキなんてまやかし!」
彼女は急にヒートアップし始めた。
「結局男の子はみんなえっちなことがしたいだけ! この間呼んだ官能小説にも書いてあった!『性欲とは、愛という名のヴェールを纏った、剥き出しの獣の欲望』って!『官能の頂きこそが、真実の愛の証』だって!」
「どこの官能小説!?」
「全部、繋がった! 手を繋ぐのも頭を撫でるのも全部この硬いものに繋げるための、ただの前戯だったんだ!」
「ち、違う! いや、違わないけど……でも、そうじゃないんだ! 身体はどうしたって……条件反射で反応しちゃうんだよ!」
僕のいつもの言い訳。
だが、僕の身体が本能を証明してしまっている今、その言葉は、何の説得力も持たない。
黒羽さんは止まらない。
彼女は、自分の探究が、目の前の被験者によって立証されてしまったことに夢中になっていた。
「……やっぱり私の考えはあってたんだ」
その瞳は、好奇心と探究心と、そして、ほんの少しの怒りで爛々と輝いていた。
「……見せて」
「……は?」
「だから、それ。見せて」
僕が一瞬思考停止していると、黒羽さんは僕の目の前にしゃがみ込んだ。
「え、ちょ、黒羽さん!? な、なにを……」
彼女は、僕の制服のズボンの、ベルトのバックルをガッと掴んだ。
「いや、ちょ! ダメだよ! やめて! ストップ! ストップ!!」
僕は、必死に彼女の手を掴んで止めようとする。
「どうして? 探究の最終段階。この本能を観測しないで何が探究なの」
「そういう問題じゃないから! お願いだから僕の話を聞いて!」
彼女は僕の手を振りほどこうと力を込める。顔を僕の股間に近づけながら。
「大丈夫。教科書でやり方は予習済み。ちゃんとできる」
「何が!? 何を学んだの!? ってかできるできないとかそういうことじゃないんだよおおお!」
僕は脱がされまいと必死にズボンを押さえる。
彼女は、それを観測しようと必死にズボンを下ろそうとする。
「やめて!」
「やめない!」
「ダメだって!」
「探究させて!」
僕の恋心と、彼女の探究が過去最大級にして最低の攻防を繰り広げていた……その、瞬間だった。
ガラガラガラ!
部室のドアが大きな音を立てて開いた。
「おっつかれー。リン! 遊びに来たよ〜!」
そこに立っていたのは、ニヤニヤと笑う一ノ瀬睦月さんだった。
黒羽さんの友達にして親友。
彼女の視線の先にあるのは、椅子の上で、顔を真っ赤にして、必死にズボンを押さえている僕。
そして、その僕の股間の前でしゃがみ込み僕のズボンに手をかけ今にもその顔をあれに近づけようとしている黒羽さん。
どう見ても、……客観的にどう見ても、黒羽さんが、僕のあれを口でしようとしているようにしか見えない、完璧な状況だった。
「…………」
一ノ瀬さんのニヤニヤしていた顔が固まった。
「…………」
僕も、固まった。
黒羽さんだけが、唯一、状況を理解せず、一ノ瀬さんの方を普通に見た。
「……あ、睦月ちゃん。今、いいところ。飯田君の本能を――」
黒羽さんがそう言いかけたところで、一ノ瀬さんは顔を真っ赤にした。
「こ……こんなところで、何してんの!!??」
一ノ瀬さんの頬を真っ赤に染めた絶叫が、 西日に染まる文芸部室に虚しく響き渡った。
一ノ瀬さんは、凄い勢いで部室に踏み込んでくると、黒羽さんの襟元を掴んで僕から引き剥がした。
「ちょ、睦月ちゃん、痛い。まだ探究が……」
「うるさい! 場所ををわきまえなさい!」
言い訳する黒羽さんを無理矢理引き剥がし、僕はようやく解放され慌ててベルトを締め直した。




