第2話 強迫観念 4
「ほら」
彼女は無感情な瞳でベットに倒れこむ僕を見下ろした。
「男の子って、みんなこういうことばっかり考えてるんだから……あなただってそうでしょ?」
「……っ」
そう言いながらゆっくり近づき、ベットに腰掛ける僕に近づいてくる。
「えっち……すれば、満足なんでしょ? これで、私の秘密守ってくれるんでしょ?」
そして、僕はほぼ裸同然の女性に触れるわけにもいかず、そのままベットの上を這うように後去る。
すると……壁まで追い詰められた僕に、彼女は覆い被さるように乗った。
「し、白川さん!?」
彼女は目的のために、手段を選ばなくなっていた。
僕は、息を飲んだ。
目の前には、僕が憧れていた学園のアイドルが下着姿で僕の上にいる。
思春期の男子として、本能的な欲望が頭の奥で警鐘を鳴らす。
……やばい。こんなおいしい展開、見過ごす方がどうかしている。
…………だけど、
「ダメだ……やめるんだ!」
それ以上に僕の理性が叫んだ。
無我夢中で、僕は覆い被さる白川さんの肩を押して突き飛ばした。
「きゃ!」
押された白川さんはそのまま後ろに倒れベットに尻もちをついた。
……これは、違う。
僕達は好き合ってるわけでもない。
彼女は、ただ何か分からないけど、何かの強迫観念に駆られている。その何かから逃げるために、自分を差し出そうとしている。
僕がそれを利用する事によって、何かを得ようとしている。
……そんなの、僕が憧れた関係じゃない。
黒羽さんの探究よりもずっとずっと歪んでる。
こんな利用しあうだけの関係から、幸せは生まれない。
「こんなの普通じゃない! 普通の恋人はこんな歪なことしないはずだよ!」
僕は、人生で初めて、腹の底から大声を出した。
「……っ!」
僕の怒鳴り声に、座り込んだ白川さんは自分の身体を抱きしめビクッと震えた。能面のようだった彼女の顔に怯えの色が浮かぶ。
「……こんなのおかしいよ……白川さん」
僕は、悲しい気持ちを抑えきれ無いまま白川さんの横を抜けてベットから立ち上がり、床に落ちたワンピースを拾い上げ、彼女に手渡した。
「……なんで」
彼女は泣きそうな、怯えたようか目で僕を見ていた。
「なんで、止めるの……? 私じゃ満足……できないの……?」
「そうじゃないよ……」
僕は再び彼女の両肩を強く掴んだ。
「僕は白川さんと、こんな形でこんなことしたくない!」
「……!」
「一体何に怯えてるの? 何を怖がってるの? ……ちゃんと話を聞くから……服を着てよ」
僕は白川さんを手助けする事もできず、入り口近くにある椅子に座って、壁側を向いた。
「…………」
背後で衣擦れの音が聞こえる。
……僕はなんとも言えない気持ちで、白川さんが服を着るのを待った。
「服着たよ」
「…………」
泣いた後の震えた声に振り返ると、服を着た白川さんはベットの縁に座り、絶望したような表情で僕を見ていた。
デートしていた時のあの笑顔はどこにもなく、まるで親に怒られる子供のように怯えた姿だった。
「……白川さん」
僕は近づく事もせず、そのまま離れた椅子に座ったまま彼女の名前を呼んだ。
「…………」
「とにかく僕は白川さんを嫌いにならないから安心してほしい。どうしてそこまでして嫌われるのが怖いの?」
「…………」
返答はない。
僕は出来るだけ優しい声で続ける。
「屋上でも言ってたよね。無価値な存在になりたくないって。昔何かあったの?」
「…………」
長い沈黙が流れる。
白川さんは考えるように何処かを見たり、伺うようにチラりと時折僕の方を見る。
「大丈夫だよ。僕はここを動かないから」
安心させるように言った。
やがて彼女は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……中学1年の時、私は地味だった……勉強も、運動も、普通で。クラスにいてもいなくても、誰も気づかないような……そんな、存在だった」
「……」
「ある日、友達と遊んでいた時、不意に言われたの。陽毬ちゃんていっつも喋らないよねって」
弱々しい声で白川さんは続ける。
「……」
「居てもいなくても変わんないんだから……いても邪魔じゃないかって……」
「それが怖かった……私はその場で泣いて、逃げるように帰った。……家に帰ってベットで一人泣いた。家族は誰も慰めてくれない……誰も私を必要としてない……無視されるのが、怖かった。私って、無価値なんだって……」
彼女の声が、震える。
「だから、変わろうって決めたの。『完璧』な、みんなから『好かれる』私になろうって。髪も染めて、メイクも勉強して、仕草も、話し方も、全部、研究して……」
「……」
「そうしたら、みんな、私を見てくれるようになった。話しかけてくれるようになった……嬉しかった」
「……人を喜ばせるのは、楽しい?」
僕は、静かに尋ねた。
「……うん。楽しい。人が笑ってくれるのは、凄く嬉しい」
「それじゃダメなの?」
「……ダメ。嬉しさと同時に、嫌われる怖さも強くなった……誰かに、いらない子、邪魔な存在って思われるのが……たまらなく怖いの……」
「…………もしかして、それで僕の様子を伺いに文芸部に来たの?」
「……そうだよ。最低でしょ?」
「そんなこと思わないよ」
「……どうして?」
「最近身をもって知ったんだ。人は自分の為に人を利用する。だから利用される事に疑問は持たない。それに、このデートで僕は喜ぶ事しかされてないし、それを邪険思うわけないよ」
「……そんなわけない……こんな私どうかしてるもの……こんな私を受け入れてくれる人なんていないの!」
彼女は突如パニックのように頭を抱えて喚き始める。
「落ち着いて! 大丈夫だから!」
僕は慌てて立ち上がり、白川さんの腕を掴み止める。
「離して! 私はもう終わりなの! 学校中にこの事が広まって一生白い目で見られるの!」
「そんな事ない! 白川さんが嫌な事を僕がするわけないだろ!」
「そんなわけない! 皆……皆私の事が嫌いなの!」
白川さんはパニックになっていた。
いつも学校で見せる完璧な姿はどこにもなく、そこにいるのは、色んな苦悩に悩まされ、それでも必死に抗って生きようとした弱々しい少女だった。
「私が喜んでほしくてやったことを、飯田くんは接待って言った! 私の完璧を否定した!」
涙を流しながらも目は必死の形相で僕を見ている。
「否定なんかしてない!」
「してる! 結局、飯田くんも、私が完璧じゃなきゃダメなんでしょ! 完璧な私でいなきゃ、みんな、また私を無視するんだ! 無価値だって、見捨てるんだ!」
彼女は、どんどんヒステリックになっていく。
「どうしたらいいの!? 私はどうしたら救われるの!?」
縋るように白川さんは僕を見てきた。あれだけ信用できないと言っておきながら、僕に縋り付く。
彼女の行動に一貫性がない。どうしようもなさにただ抗っているだけだ。
…………彼女は僕と同じだ。
恐怖に縛られているんだ。
恐怖は何も見えなくする。正しい形で物事を見れない。
全てが敵のように、全てに否定されたように感じる。
全てを敵だと思わないと、おかしくなりそうになる。
……だけど……それは……希望があるから否定するんだ。
僕は……立ち直れるほどの希望を与えられるか?
……僕にそんなものはない。
僕は……それを全部捨ててきたのだから。
「……そんなの、無理だよ」
僕は彼女の肩を掴む手に力を込めた。
「え……」
「そんなの無理だ! すべての人に好かれるなんて無理なんだよ!」
僕は彼女の目をまっすぐに見つめて言った。
「誰かに好かれればその分誰かに嫌われる。どれだけ頑張ったって人は誰かに嫌われるんだ……それを認めて生きるしかないんだ!」
白川さんに言い聞かせるように、あるいは、自分に言い聞かせるように、僕は必死に訴えた。
「……嫌」
彼女は、子供のように首を横に振った。
「嫌われるのは、イヤ……怖い……」
「怖いよ。僕だって怖いさ!」
僕は思わず叫んでいた。
「僕だって、すべての人に好かれたらいいと思ってたさ! でもそれが無理だって知ったから……だから僕は、誰とも関わらないように生きてるんだ!」
「え……?」
僕の胸の内を少し語ると、少しだけ白川さんが落ち着きを見せた。
「そうすれば……心から好かれることもないけど、心から嫌われることもないからだ……」
僕はこんな情けない自分に落胆するように、彼女の隣に座った。
「……僕も白川さんと同じだよ。人と関わるのが……怖いんだ」
「…………」
「本当は隼人みたいに、白川さんみたいに明るくなりたい。でも、できない。……僕も昔いじめられてたから」
「…………」
「隼人がいたから、表立って酷いことにはならなかったけど……陰湿なやつ。誰にもバレないような、無視されるやつ。僕が、何か言っても、反応してくれなかったり、僕だけ、存在してないみたいに扱われる……そういうの」
「……」
「あれって、キツいよね。自分は、無価値なんじゃないかって思わされる。白川さんが無視されるのが怖いって思う気持ち、わかるよ。何も悪いことしてないのに、気に入らないからってのけ者にされる気持ち」
僕の告白に、白川さんは目を見開いて、僕の顔をじっと見つめていた。
「だから僕は心を閉ざした。嫌われることに対して恐れたんだ。だから、人との関わりを絶ったんだ。だから、誰かの心にも残らないし、誰も僕を必要としない。それだけの人間になり下がったんだ」
「…………飯田くん」
僕の嘆きを聞いて、白川さんは随分と落ち着いた様子を見せた。
「……でも、白川さんは違うんでしょ?」
「え?」
「君は、好かれたいっていう願いがある。……すごいことだよ、それ。僕にはその勇気がないから……」
「…………」
「だからこそ嫌われる可能性も受け入れなきゃいけない。好かれる人は誰かに嫌われる。それを受け入れない限り……白川さん、君はいつまで経っても嫌われる恐怖に怯えたままだ」
「…………嫌われる……可能性」
「白川さんは、魅力的だよ。綺麗で、明るくて、皆に優しい。もしその姿が全て演じている白川さんなのだとしても……さっき言ってたじゃないか。人を喜ばせるのは楽しくて嬉しいって。それなら、素の白川さんはきっと素敵な人だよ」
「…………」
「それに、誰かと一緒にいるなら、演じるのなんて皆が当たり前にやってることだよ。嫌われないように完璧である必要ない。……それでも自分の素を信じられないなら、その善意を向ければいい」
「……善意?」
「うん。少しだけ人に気を使って接する。それだけでも十分、素敵な人になれるよ。……完璧にそれができる白川さんには、きっと、朝飯前だ。……あとは、嫌われる勇気を持つだけだよ」
僕はそう言うとわざと自虐的に笑ってみせた。
「だから、どこにでもいる、対して関わりのない僕を振り向かせる必要なんてない。媚びる必要なんてないんだ。僕に嫌われた所で白川さんの価値は何も変わらない。僕なんかにそんな価値ないんだから」
「…………」
「誰にも言えないし、誰かに言ったところで、僕の言葉は誰にも届かない。存在感のない僕にそんな力ないんだから安心しなよ」
僕は、彼女の顔を、そっと覗き込んだ。
「だから……そんな、辛そうな顔、しないでよ……お願いだから」
辛そうな顔をしている人を見るのは……つらい。
だから……白川さんには笑っていてほしいと心から思う。
「…………」
「常に完璧な笑顔を見せなくていい。自然に、ただ白川さんが笑いたい時に笑っていれば……それだけで、君は十分魅力的だよ」
「…………」
白川さんは、僕の顔を、じっと、じっと見つめていた。
…………長い沈黙が部屋に響いた。
やがて彼女の瞳から、溜まっていた涙が、静かに、静かにこぼれ落ちた。
それは、さっきまでの恐怖や絶望の涙とは違う色をしていた。
「……飯田くんも……」
彼女が、震える声で言った。
「飯田くんも……怖かったんだね」
彼女は優しい声色で……そう言ってくれた。その言葉に……僕の目は思わず潤んだ。
「うん。怖かったよ。今だって怖いさ。こんなこと言って……嫌われるかもって思うと……震えて仕方がない……」
「…………」
彼女は俯いていた顔を上げ、僕の目をまっすぐに見つめた。
「……飯田くんって、いつもオドオドしてるから……弱い人なんだと思ってた」
「……否定はしないよ」
「でも、違ったんだね。……自分の怖さを知ってるのに、私のこと助けようとしてくれた。……飯田くんって、優しいだけじゃなくて、本当は、すごく強い人だったんだね」
「……!」
彼女の言葉に今度は僕の胸を突かれた。
「……強くなんかないよ。ただ、笑ってほしくて……必死だっただけだ」
「ううん……強いよ」
彼女はそう言うと、ふっと力を抜いたように小さく笑った。
それは今日一日、僕が見た、どの完璧な笑顔よりも、ずっと、ずっと、可愛い笑顔だった。
「……ありがとう、飯田くん」
腫れた目で笑顔を作り、お礼を言う白川さんは大丈夫そうに見えた。
◇
僕らは、身支度を整えるとホテルから出た。
「…………」
「…………」
白川さんは僕の前を歩いていた。
夜風が火照った顔に心地いい。
僕たちは互いに沈黙だったが、そこに気まずさはなかった。
一番深い所にある秘密の傷を共有した後の、少し照れくさい、くすぐったい空気が僕らの間に流れていた。
「……ごめんね、飯田君。今日は振り回しちゃって。……変なとこ連れてっちゃったりして」
「ううん。僕も、ごめん。色々偉そうなこと言って」
「……ううん。そんなことないよ……とっても救われた気がする」
彼女は立ち止まると、僕に向き直った。
「……ありがとね。私の話聞いてくれて」
それは心の底からの感謝の言葉だった。
「どういたしまして」
僕も、今度は素直にそう返せた。
「僕も話せてよかった。……あ、今日のデート、接待云々は抜きにして本当に楽しかったんだよ。……白川さんと一緒だったから」
「……!」
白川さんの顔が、ホテルに行く前とは違い赤く染まった。
「……う、うん。私も……その、楽しかった」
もじもじと視線をそらし完璧な笑顔じゃない素で照れてる白川さん。
……めちゃくちゃ可愛い。
僕の心臓が、今日何度目かわからない、最大級の音を立てた。
僕も彼女もお互いの素顔を知った。
完璧なデートプランなんかよりもずっと心が温かくなるような、んな高揚感が胸に満ちていた。
「……完璧じゃなくてもいい……か」
くるりと再び振り返ると、白川さんは思い返すようにそういって歩き出した。
「ねぇ、飯田くん……飯田くんは、完璧じゃない私も魅力的って言ってくれたよね」
「うん。さっきまでの白川さんより、今の白川さんの方が魅力的だよ」
「もう、そんなに褒めないでよ。照れちゃうでしょ。……でも、私は飯田くんの事が知れたから……少しだけ無理しなくても大丈夫になったような気がするの」
「うん。それはよかった」
「……でも、みんなの前では、やっぱりまだ無理をしないと怖いな」
「いきなり変わるのは難しいよ。少しずつでいいんだ。いきなり変われたら苦労しないよ」
「……変われるかな。正直、こんな風にみんなに私の弱みを知ってもらうことはないだろうし…知られたいわけでもないから……それを隠して、皆と分かり合えるのかな」
「大丈夫。白川さんなら出来るよ。僕にもなにか出来ることがあるなら手伝うよ」
「……ほんとに?」
「うん。ここまでお互いのことを知ったんだ。変わっていこうよ。より幸せになれる道に」
「……ありがとう。……じゃあその言葉に甘えちゃおうかな」
「あはは……お手柔らかにお願いします」
そんな話をする彼女に、僕はもう大丈夫だと確信した。
「……飯田くんさ」
「ん?」
付け足すように、白川さんは僕の名前を呼んだ。
「……君はさっき、ずっと自分を否定していたけれど……」
「まぁ、事実なんで」
「そんなことない……すごく魅力的だよ。そこまで人に優しく出来るのは」
「……そうですかね」
「そうだよ。だから……私が言うのも変だけど……飯田くんは、もっと自信もっていいと思うよ。私がそれを保証してあげる」
笑いながらも、真剣な表情で白川さんは言った。
「はは……ありがとう。そういってもらえるとなんだか救われた気がするよ」
「……ふふ。変だね。さっきは私が救われたのに」
「はは、確かに」
僕たちは小さく笑い合い、どこかすがすがしい気分だった。
駅に着くと、僕と白川さんは別々の方向へと帰っていく。
電車がやってくると、白川さんは開いた扉から電車に乗り込む。
そして振り返り、
「じゃあ、また、学校でね」
優しく笑ってそう僕に言った。
「うん。また明日。お休み、白川さん」
僕も自然に微笑みながら返した。
「おやすみ、飯田くん」
彼女は、僕に小さく手を振ると扉が閉まり電車は出発した。
僕は白川さんの姿が見えなくなるまで、ずっとその場で見送っていた。
……白川さんのことすごく知っちゃったな。
……僕は、初めてちゃんと人と関われた気がした。
人と関わることを避けていた僕に、人の心の奥底を覗くことなんてなかった。
心の中にある、深い傷の部分に、僕は少しだけ、救いの手を伸ばせたのかもしれない。
上手く行ったのかはわからないが、嬉しい気持ちで胸がいっぱいだった。
その高揚感が、僕の足取りをいつもより少しだけ軽くしてくれていた。




