第2話 強迫観念 2
翌日の昼休み。
「――それでね、昨日のドラマのラストが本当にヤバくて!」
教室の前方いつもの陽だまりの人達の中心で白川さんは笑っていた。
「わかる〜! あの先輩、かっこよかった!」
「いいよね〜! ああいう、ちょっと強引な人って憧れちゃうかも」
「私はちょっと強引すぎて見てられなかったわ」
クラスメイトの女子たちと、昨日見たドラマの話で盛り上がっている。
いつも通りな様子に、昨日部室に来ていた事が信じられない。
そんなことを考えていたら、不意に白川さんと目が合った。
彼女は、僕の視線に気づくと、微笑みながら僕にだけ、ひらり、と小さく手を振った。
「――――っ!」
僕は思わずドキッと心臓が高鳴った。
「ん? どしたの?」
白川さんと喋っていた女子の一人がこちらの方を向く。
「ん? なんでもないよ? それよりさ――」
白川さんは何でもないと言って話を逸らした。
……何その秘密の関係みたいなの。
そんなことされたら意識しないわけがない。
僕は白川さんとのよくわからない関係に、言いようのない違和感と、ほんの少しの期待が入り混じった、モヤモヤした気持ちを抱えたまま、午後の授業をやり過ごした。
放課後。
僕は、文芸部室のドアを開けた。
「……あれ?」
部室には、誰もいなかった。いつもは先に来ている黒羽さんも姿がない。鍵が空いてるってことは、一度きてはいるみたいだ。用事でどこか行ったのかな。
「…………」
西日が差し込む静かな部屋。
いつもの埃っぽい匂いと、古い紙の匂い。
何だか珍しい一人の空間に新鮮さを感じつつ、僕は、自分の席に着くと鞄から少女漫画を取り出した。
……が。
なぜか、ページを開く気になれなかった。
静かだ。
僕が望んでいた、完璧に「平穏」で「孤独」な空間。
それなのに、昨日までの、あの騒々しさが嘘のように静まり返った部室は、なんだか、がらんどうみたいに感じられた。
……疲れてるのかな。
昨日もあの後堂々巡りに色々考えて少しを寝不足なのもある。
僕は、漫画を机に置くと、窓から外を眺めた。
グラウンドでは、サッカー部が練習をしている。
遠くから吹奏楽部の音色も聞こえる。
みんな、それぞれの青春をしている。
……僕はなにをしているんだろう。
ふとそんな事を考えた。
無感情な美少女にえっちな探究を迫られ、学園が急に部室に登場した。
僕は、自分の状況を整理しようとすればするほど、訳がわからなくなった。
なんだか、すごく疲れた。最近考える事が多い。
西日の暖かさが、妙に心地いい。
「ふぁ〜……」
あくびが漏れた。
僕は窓際の机に、突っ伏した。日差しの当たるこの席は、ここちがよい。黒羽さんがここに座るのも納得だ。
……少しだけ。黒羽さんが来るまで、少しだけ……
僕の意識は、あっという間に、深い眠りの中へと落ちていった。
……遠くの方で声が聞こえる。
「……シンプルな疑問。あなたは飯田くん目的でここに来ているの?」
「そんな事ないよ。なんとなく、ここが気になっただけ」
「そうとは思えない。体験入部と言いつつ、何か目的を持っている。何がしたいの?」
「だから……何度も同じ事聞かないでよ!」
……揉めるような声に目が覚めはじめる。
なんだ? 誰か……揉めてる?
僕は、重いまぶたをゆっくりと押し上げた。
夕日で真っ赤に染まった部室。
頭が、まだぼんやりとしているが、声から察するに、黒羽さんと白川さんの声な気がする。
「私は純粋に疑問なだけ。その目的が何なのか、何故そんな事をする必要があるのか。その結果、あなたが何を得たいのかを知りたいだけ」
「私がどんな目的で来てようが関係ないでしょ!? 別に、変なことするつもりなんてないし……」
「そんなのわからない。私の探究の邪魔になるのなら、歓迎するのは難しい」
「その探究ってやめて! 私はただ……」
「ただ、何?」
「……っ」
僕は、寝ぼけた頭で、そっと顔を上げた。
僕の机を挟んで、二人の美少女が、睨み合っている。
無表情の黒羽さんと、怒りで顔を赤くした白川さん。
……なんだかまずい雰囲気だ。
僕が、声をかけるべきか、それとも、もう一度寝たフリをすべきか、本気で悩んだ、その時、白川さんと目が合った。
「!」
「……あ」
僕と目が合うと。彼女の顔から、サッと血の気が引いた。
さっきまでの怒りはどこへやら、彼女の瞳は何か不味いものを見られたような目をしていた。
「あ、あの、二人とも……」
僕はきまずい空気を変えようと何か言おうとした、その瞬間。
白川さんが、僕の目の前に、凄い勢いで飛び込んできた。
「……!」
「飯田くん!」
彼女は、僕の手首を強く掴んだ。爪が食い込んで少し痛い。
「ちょっときて!」
「え、ちょ、白川さん!?」
「いいから!」
白川さんは、それだけ言うと、僕の手を引いて、部室を飛び出した。
僕は、何が何だか分からないまま、彼女に引きずられていく。
最後にちらりと振り返ると、黒羽さんが、無表情のまま、僕らが去っていくのをじっと見ているのが見えた。
◇
バタン! と重い鉄のドアが閉まる。
「はぁ……はぁ……」
僕が連れてこられたのは、旧校舎の屋上だった。
夕暮れの冷たい風が僕の頬を撫でた。
立ち入り禁止の札が虚しく揺れている。
「し、白川さん……いったい、どうしたの」
僕の手首を掴んだまま白川さんは肩で息をしていた。
夕日に照らされた彼女の顔は、真っ青だった。
「……飯田くん」
彼女はようやく僕の手を離すとゆっくりと振り返った。
その瞳は怯えきった小動物のように潤んでいた。
「……お願い」
「え?」
「お願い、飯田くん。さっきの……部室で見たこと、誰にも言わないで」
彼女は、今度僕の手首包み込むように掴むと、懇願するように言った。
「私が……私が、黒羽さん相手にムキになって、怒鳴ってたこと……」
「あ、ああ、うん……」
「誰にも言わないで! お願い!」
彼女の必死な懇願する様子に、僕はただ頷くことしかできなかった。
「わ、わかったよ。言わない。誰にも言わないから」
「……本当に?」
「だ、大体僕に言う相手なんていやしないよ。友達隼人くらいだし。誰だって怒る事ぐらいあるよ」
僕は彼女を安心させようと軽く笑ってみせた。
だが、
「……信用、できない」
「え?」
「言葉だけじゃ信用できない!」
白川さんは、僕を睨みつけた。
その瞳には、恐怖と、焦燥と、そして、得体の知れない必死さが浮かんでいた。
「どうして!? 言わないって!」
「だって、飯田君は、私の弱みを知ったから!」
「弱み……?」
「私が完璧じゃないってことを知った…… 飯田君は、私の一番見られたくないところを見たの!」
彼女は僕を金網のフェンスに向かって、じりじりと追い詰めていった。
そして、ドンッと背中にフェンスが当たる。
「どうしたら……どうしたら飯田君は私の弱点を黙っててくれるの?」
彼女は僕の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで顔を近づけてきた。
「……なんでも、するから」
「え……」
「飯田くんの、言うこと、なんでも聞くから! だから、お願い……!」
彼女の瞳から、ついに、涙が一粒、こぼれ落ちた。
僕は、彼女のあまりの必死さに、言葉を失った。
「……したこと、ないけど」
彼女は、震える声で、続けた。
「したこと、ないけど……飯田君が、望むなら……」
彼女の顔が、泣きながらも、羞恥で真っ赤に染まっていく。
「……え、えっちな、ことだって……してあげる、から……!」
「!?」
僕は、息を飲んだ。
黒羽さんの探究とはまったく違う。
これは取引だ。彼女の秘密を守るための、あまりにも歪で悲痛な取引。
彼女の様子はどう考えてもまともじゃない。
これは、嫉妬とか、そういうレベルじゃない。
彼女は何かにひどく怯えている。
……こんな要求受け入れていいわけがない。
僕は内心気合を入れた。
なんとか彼女を落ち着かせないと。
僕は、彼女の両肩にそっと手を置いた。
「白川さん!」
「!」
「落ち着いて。僕はそんなこと望んでないよ!」
「……でも!」
「そういうことは好きな人と大事にするべきだ。ちゃんと手順を踏んで、お互いのことを好きになってからするものだよ。こんな……取引みたいに気軽に言っちゃダメだ」
我ながらキザったらしいセリフだと思った。しかし、必死な僕にそんな事を気にしている余裕はない。
「じゃあ、どうしたらいいのよ!」
彼女は、僕の手を振り払って叫んだ。
「どうしたら飯田君は満足なの!? 私は……私は、誰にも嫌われちゃいけないの!」
「え?」
「無価値な存在になんて絶対に戻りたくない! だから私は完璧でいなきゃいけないのに! なのに、飯田くんは……完璧な私を見てくれない!」
「…………」
「だから……! だから、飯田くんを振り向かせないと、私は……! 私は……!」
彼女の言ってることは支離滅裂だった。何を言っているのか、僕には半分も理解できなかった。
だが、彼女が今にも壊れてしまいそうなことだけはわかった。
……どうすれば。
この状況を解決するには、彼女の怯えを取り除くには……
僕が彼女のその歪んだ取引を受け入れるしかないんじゃないか?
でも、えっちなことなんてできるわけがない。
……それなら。
僕が彼女に要求すればいい。
彼女ができることでなおかつ僕が望む形で。
「……わかったよ、白川さん」
僕は覚悟を決めた。
「僕の言うこと、なんでも聞いてくれるんだよね?」
「……うん」
「じゃあ――」
僕は、彼女の潤んだ瞳を、まっすぐに見つめ返した。
「今度の土曜日、僕とデートしてください」
今僕が思いつく最善の答えだった。
「……え?」
白川さんは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「……で、でーと?」
「うん、デート」
「……そんなことでいいの?」
「うん。そんなことをしてくれたら、今日見たことも、今起きた事も全部忘れる。誰にも言わない」
白川さんは僕の顔と屋上の床を何度も交互に見た。
彼女の頭の中では、今、必死に何かを考えているのだろうか。
しばらくの間があると、やがて彼女はこくりと頷いた。
「……わかった」
彼女の瞳に、さっきまでの「怯え」とは違う、妙な「覚悟」が宿った。
「いいよ。飯田君とデートするね」
彼女はそう言うと震えが止まった手で、僕の手を、きゅっと握ってきた。
「……!」
「わかった。絶対、絶対、飯田君が満足する、完璧なデートにするから。……だから、土曜日楽しみに待ってて」
白川さんはそう宣言すると僕の手を離し背を向けた。
そして、一度も振り返らずに、屋上のドアを開け一人で先に階段を降りていってしまった。
「…………」
夕暮れの屋上に、一人残された僕は、さっき彼女に握られた手を見つめながら、ただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
◇
金曜日の夜。白川陽毬は自室のベッドの上でスマートフォンを睨みつけていた。
検索履歴は、同じような単語で埋め尽くされている。
『高校生 デート 完璧 プラン』
『男子が喜ぶ デートコース』
『絶対成功 デート』
『ロマンチック デート 演出』
(……映画は、あの青春モノでいい。ランチは、口コミ評価4.5以上のイタリアン。午後は、雑貨屋巡りと……水族館。ディナーは、夜景が綺麗なレストラン)
彼女は、完璧なタイムスケジュールを頭の中で組み立てる。
(大丈夫。これなら、絶対に完璧だ。飯田くんだって、絶対に喜ぶ)
「――陽毬! いつまで起きてるの!?」
突如に扉を開けた母の甲高い声がした。
彼女はビクッと肩を震わせスマホの画面を伏せた。
「……なに」
「なに、じゃないでしょう! もう11時よ! そんな夜更かしばかりしてるから成績も中途半端になるのよ!」
「……別に、成績は中くらいは取ってるでしょ」
「中くらいで満足するなんて……あの子と同じになるわよ!」
母親が言うあの子とは陽毬の兄のことだ。平凡な大学に進学した兄を母親は見下していた。
「だいたい、その格好はなんなの!」
母親は、陽毬の部屋着、少しフリルのついた可愛いパジャマを軽蔑したように睨みつけた。
「髪も染めちゃって……。中学の時みたいに真面目に黒髪で勉強だけしてればよかったのよ。あんな派手な格好で遊んでばかりいるから……」
「……っ」
陽毬は、唇を噛んだ。
中学の時。地味で真面目だった頃。
母親はその頃の陽毬にも決して満足していなかった。
『なんで、あなたはもっとできないの』
『お隣の琴音ちゃんはトップクラスなのに』
いつも、誰かと比べられ、呆れられ、肯定されたことなんて一度もなかった。
垢抜けた今もそれは変わらない。
父親はいつもテレビの中のスポーツ中継に夢中で、娘のことなど無関心。
この家には、陽毬の価値を認めてくれる人は誰もいない。
自分の価値を感じられる場所が、ない。
地味だった頃は、母に呆れられ無視された。
派手になった今は、母に怒られ干渉される。
完全に無価値な存在として無視されるよりは怒鳴られるほうがまだマシと言えるかもしれない。
自分が存在していると確認できるから。
「……うるさいな! 私の勝手でしょ!」
彼女は母親にそう言い放つと、乱暴に自室のドアを閉めた。
「…………」
拳を握りしめた。心の奥底では、たった一言、頑張ってるねと認めてほしいだけなのに。
彼女は再びベッドに倒れ込みスマホを手に取った。
画面には飯田航平のあの困惑した顔が浮かぶ。
(……絶対に、振り向かせないと)
彼を私の完璧さで満足させる。
彼が心から喜んでくれたのなら……私の価値は証明されるはずだから。




