第2話 強迫観念 1
土曜日のデートから数日が経った平日の放課後。
どうなるかと思ったデートはひとまず着地し、いつも通り文芸部に僕と黒羽さんはいた。
ここ数日間の探求はなく……僕立ちは静かに本を読んでいた。
「…………」
デートで、僕たちの間にひとまずの区切りがついた。
互いを少し理解したところで、ただぐいぐい推せば良いわけじゃないことを学んだんだろう。
……だが……静かだ。静かすぎる。……本当に何もないのか?
僕はチラリと視線だけを黒羽さんの方に向ける。
「…………」
そこからは、ページを捲る音だけが部室に響く。
「…………」
これが本来あるべき文芸部としての形だ。理想的状況に間違いない。
……それなのに、僕は、心のどこかで、ほんの少しだけ……ほんの数ミリだけ、物足りなさを感じていた。
……僕は何を考えてるんだ!
僕は、頭の中で叫び、頭を抱えた。
あの嵐のような彼女の探究に、僕は、もしかして慣らされてしまっていたのか?
あんなにも拒んだというのに……デートで話し合ったというのに……いざその行動が落ち着いてしまえば……僕はこんなにも残念だと思ってしまうのか!?
……そんな自分の浅ましさに気づき、僕は一人で勝手に動揺していた。
結局、僕はなんだかんだ言いながら……黒羽さんにえっちなお誘いをされることを楽しんでいたのだ……だからデート後も……あんな提案をしたんだ。
ああ……結局僕は紳士的な人間であると思ったのに……ただ本能に抗えない男だったんだ……と、自分を恥ずかしく思っていると、部室のドアが、ゆっくりと開く音が聞こえた。
「お邪魔しまーす」
知っている音と声に、僕は驚いて振り向いた。
扉の前に立っていたのは……学園のアイドル白川さんだった。
「し、白川さん!?」
僕は思わず立ち上がり驚いた。
理解が追いつかなかった。
「あ、飯田くん。やっほ~」
彼女は笑顔で手をひらひらと振ってくれる。
「……ど、どうも」
僕はまったく理解が出来ずに変な返答をしてしまった。
僕は思わず窓辺を振り返り黒羽さんの方を見た。
「…………?」
黒羽さんも、全く状況を読み込めない顔をしていた。
「……二人だけ?」
白川さんは部室内をきょろきょろと見渡すと部室の中に入ってきて、僕に聞いてきた。
「……う、うん。文芸部は二人だけだよ」
まだ状況が理解できないまま答えた。
「そうなんだ……良い所だね。旧校舎の一角で、あんまり人も来ないから、静かに本を読めそうだね」
いつもの様子で、白川さんはこの場所を褒めた。
「ま、まぁね。静かで良い所だと僕も思う」
答えるが、まだ彼女の登場に僕は戸惑っている。
全く持ってわからない。なぜ、どういった理由で、白川さんがこんな所に来たのか。
僕は挨拶をする程度だし、だからって、黒羽さんが白川さんと仲良くしている所なんて見たことない。
「何か用事?」
黙っていた黒羽さんが本を閉じて白川さんに問いかけた。
「ん~用事ってほどじゃないけど……」
顎に指を置いて考えるしぐさをしてから白川さんは答える。
「体験入部してもいい?」
笑顔で白川さんはそんなことを言ったのだった。
「「…………え?」」
全く想像しなかっただろう言葉に、僕も黒羽さんも唖然としていた。
「……好きにすればいい」
一瞬間はあったが、黒羽さんはそう答えた。いいんだ……。
「ホント? ありがとう凛ちゃん」
白川さんは当たり前のように黒羽さんを友達のように仲良さそうに呼んだ。
「…………」
黒羽さんは得に答えもせずに本に目を戻した。
「……飯田くんも……いいかな?」
「え……あ、はい。もちろんです」
黒羽さんが受け入れた以上、僕に拒む理由はない。
「ありがとう、飯田くん。……それで、部活としては何をしてるの?」
白川さんはそんなことを聞いてきた。……なぜそんなことも把握してないのに体験入部なんてしてきたんだ??
「えっと……特に何もしてないですよ。本を読んでるだけです」
「そうなの? ……何か活動するのが部活じゃないの?」
もっともな疑問を投げかけてきた。
「……それはごもっともですね。黒羽さん、何かすることってあるんですか?」
「本を読む活動をしている」
黒羽さんは顔を上げることもなく答えた。
「……だそうです」
答えになってるかはまったくわからないが、黒羽さんがそう答えたので僕はそのまま答えを横流しした。
「ふ~ん……ま、いっか。とにかく、よろしくね」
優しい笑顔でそう結論付けた。
「……白川さんも本読むんですか?」
とりあえず、僕は話をつづけた。
「ううん。本は持ってきてないなぁ」
「じゃあ、図書室で借りてくると良いですよ」
「……ん~とね。それよりも……飯田くんが読んでる本に興味があるなぁ」
少し前かがみに後ろ手に手を組んで、少し僕の顔を下から覗き込むような上目遣いで白川さんは言った。
「……え?」
意味の分からない発言に僕の思考が停止した。
「……ダメ……かな?」
「い、いえ……いいですけど……」
「やった~! ねぇ、何読んでるのか教えてくれない?」
そう言って、白川さんは嬉しそうに僕の肩をぐっと下げて元の椅子に座らせると、隣の椅子に迷うことなく座った。
「…………」
長机の隣同士で座る僕と白川さん。
……え、なんで。どうしてこんなことになってるんだ?
普通に考えたら嬉しいことなんだろうけど……唐突すぎて理解できない。
ただ……絶対的美少女が隣にいるというだけで……僕は緊張してしまうのはどうしようもなかった。
「……飯田くん?」
白川さんの問いかけにはっと我に返る。色んな意味で見とれてしまっていた。
「あ、えっと……今読んでるのは漫画なんですけど……」
僕は慌てて手に持ってる漫画の説明を始めた。
「空回りラバーズってタイトルで、互いに好き同士なのに、全力で恋に向き合いすぎて空回りしてすれ違うっていう感じのかなりコメディ要素が強めのやつです」
「え、今の少女漫画そんな面白そうなのあるの?」
「最近は少女漫画読んでないんですか?」
「うん。中学生の途中からあんまり読まなくなっちゃったね。それ読んでもいいかな?」
「あ、ちょうど1巻も持ってるからいいですよ」
そういって鞄を漁り1巻を渡す。
「ありがと~」
白川さんは嬉しそうに漫画を受け取ると、意気揚々と読み始める。
……あれ、案外本当に本を読みたかったのかな? と思い、僕も再び本に視線を落とす。
……しかし、やっぱり不自然だ。
突然の彼女の登場は、本を読みたかったからってこんなところに来るとは思えない。普通に考えたら図書室に行くだろう。
……それを言い出すとなぜ僕もこの部活に入ったのかは謎だが……。
入学して間もない頃を思い出す。校舎にある掲示板の端っこに、小さく見切れた紙の切れ端に書かれた、部員募集の文字に惹かれたんだったなぁ。
それを思い出すと、理由なんて人それぞれだよなと思い、僕はそれ以上深く考えないようにした。
……しかし、漫画を読んでいても、隣には、30センチも離れていない位置に白川さんがいる。
……気になって仕方がない。
「ぷっ……あはははは!」
声を出して白川さんが笑い始める。
「なんで武士みたいな口調になってるの?」
と、漫画の中のヒロインが、緊張して武士みたいな喋り方をしたシーンを見て笑っているようだった。
「ね。緊張したら武将みたいな口調になっちゃうなんておかしいですよね」
「男子も、案外ノリ良くていいね。普段喋らないのに心の中でめっちゃ喋ってるのもおかし~!」
「クールなキャラなのに焦ってるのも面白いよね!」
「そんなに好き同士ならどっちかが気づいてもおかしくないのにね~」
意外な白川さんの食いつき具合に、僕は嬉しくなって思わず話が弾む。
あれ? なんか、楽しいぞこれ。
……恋人どうしって、こういう感じの雰囲気なんじゃないか?
なんて思っていると、
黒羽さんは、徐に立ち上がり、僕達が座る椅子の長机を挟んだ向かいの椅子に座った。
「……く、黒羽さん?」
「気にしないで。続けて」
黒羽さんはいつもの無表情で僕たちをみてそう言うと、本に視線を落とした。
「…………」
「ご、ごめんなさい。うるさかった?」
白川さんは申し訳なさそうに聞いた。
「いや、そんなことはない。ちょうどいいかもしれない」
「「…………?」」
黒羽さんの言葉の意味が僕達には全く理解できなかった。
「そう? じゃあ気にしなくていいのかな?」
「……そうみたいですね」
「でも、いいね~。こんなにお互い恋に真剣になって」
「ん……? うん……そうだね。全力で何かに必死になれるのは素敵なことだよね」
「……飯田くんは、興味ないの?」
僕の反応に、白川さんは何かを察したのかそう聞いてきた。
「……何がです?」
僕が聞き返すと、白川さんは唐突に耳元で、
「恋に、だよ」
囁くように言った。
「!?」
僕は思わず身体を少しだけ逸らして白川さんの顔を見た。
白川さんは、相変わらずの笑顔で僕を見ていた。
「……そ、それってどういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ。物語の恋も良いけど、飯田くん自身は恋に興味ないのかな?」
「……な、ないことはないですが……どうしてそんなこと聞くんです?」
「深い意味なんてないよ? ただのおしゃべりだよ」
悪戯な笑みを向けて、白川さんはそう言った。
「ああ……なるほど……えっと……まぁ、僕の事を好きだっていう人がいるなら……恋するかもしれないですね」
「好きな人はいないの?」
「僕が人を好きになるなんて烏滸がましいですよ。誰から見たって、僕に興味がある人なんていないですって」
「……そうかな? そんなことないと思うよ?」
「だって、飯田くん、優しくて友達思いだもんね」
……対したことのない誉め言葉だった。
しかし、その人の悲しみを包み込むような優しい声と、母性溢れる笑顔に、僕の心はときめかずにはいられなかった。
「あ、飯田くん、髪にゴミついてるよ」
そして、戸惑っている僕をよそに、白川さんは僕に手を伸ばしてきた。
……白く、細く、しなやかな指が、僕の髪に触れた。
僕はビクッと体をこわばらせる。
指は髪についたゴミを取ると、そのまま僕の顔の輪郭をなぞるようにゆっくりと、耳元へ。
そして、
「……取れたよ」
僕の耳を指先でそっと撫でた。
「――――っ!」
僕は、声にならない悲鳴を上げた。
全身の血が、耳に集まったみたいに熱い。
僕は目を開いて耳まで顔を真っ赤にし白川さんを見ながら口をパクパクとしていた。
あまりにも理解できない状況に言葉など無意味だった。
「ふふ、どうしたの? 顔、真っ赤だよ?」
白川さんがいたずらっぽく笑ってからかう様に言った。
……完璧だ。
完璧に白川さんは僕の心を掴んでいる。
こんなの……こんなこと自然にされたら……好きにならざるを得ないだろう。
完璧に自然であざとく、破壊力抜群の色仕掛けだった。
僕の心のドアはノックどころか鍵穴に直接何かを捩じ込まれたような感覚に陥った。
心を無理やり開かれそうになるこの感覚に、僕は思わず正面にいる黒羽さんの方を見た。
すると、いつの間にか黒羽さんは僕たちの方を見ていて目が合ってしまった。
「…………」
僕は先日のこともあり今この状況をどう解釈していいのかわからなかった。
「……飯田くん」
黒羽さんは呟くように僕の名前を呼んだ。
「え? な、なに?」
思考停止している僕は縋るように黒羽さんの言葉を聞いた。
「この一文の意味がわからないんだけど」
そう言って本のページを見せてくる。
「この『死のうと思った』っていうのは……えっちなことができなかった事に対する絶望の比喩表現?」
「……いや、なんの本かわからないし……皆そんなことばっかり考えてるわけじゃないと思うよ」
僕はいつもの調子の黒羽さんに少し安堵した。
「……そっか」
黒羽さんはそれだけを僕に聞くと、本を戻して普通に本を読み直した。
……え、本当に聞いただけ? 助け船とかじゃないの?
「…………えっと」
僕はまた一人にされ、ゆっくりと白川さんの方を見る。
白川さんは黒羽さんの方を見て驚いたようなをしていた。
「…………え?」
白川さんは一瞬遅れて声を漏らすと、僕の方を見て、小さな声で耳打ちしてくる。
「……飯田くんと凛ちゃんって付き合ってるの?」
……多分、今の当たり前のようにえっちな事について言い合う僕たちの会話で何か間違った印象を与えたのかもしれない。
いや……間違ってもないのか? しかし、僕たちは決して付き合ってはいない。
「いえ……付き合ってないです……多分、黒羽さんはナチュラルにそう言うことをいうのかと」
「……そっか。そうなんだ~。あ、ごめんね。本読む邪魔しちゃって。私もこれ読んでるね」
そういって、白川さんは何かを切り替えるように、僕が貸した本に目を落とした。
「……あ、はい」
散々振り回された後、僕は急に一人にされたが、その後本を読もうとしても、全く集中できなかった。
ひとしきり時間が過ぎ、日も傾いて夕方になっていた。
その後は以外にも白川さんは笑い声こそ出していたが、わりと真剣に漫画を呼んでいた。
「……そろそろ帰る」
黒羽さんは徐に本を閉じて言う。
「そうですね。あ、戸締りしておくのでお先にどうぞ」
「ん。それじゃ、お先に」
黒羽さんは鞄を手に取るとそそくさと帰っていく。
これはいつもの光景だ。一緒に帰ったことは今までない。
「……黒羽さん帰っちゃったね」
「いつもそうですよ。何か用事があるんですかね?」
「……ホントに付き合ってないんだ」
呟く白川さんの声が聞こえた。何を言ったのかはわからない。
「何か言いましたか?」
「何でもないよ? じゃ、私達も帰ろっか」
「そうですね。鍵は僕が閉めておくので、白川さんも気にせずどうぞ」
「? 一緒に帰らないの?」
当たり前のような顔で白川さんは言った。
「…………え?」
僕はまたもやその発言に思考が停止した。
部室の鍵を返すと、僕と白川さんは、夕暮れの帰路を歩いていた。
……なんだ? なんでこんな事になった? 僕は何故学園のアイドルと一緒に帰り道を歩いてるんだ!?
ずっと理解が追いつかない。部室での一連の出来事も訳がわからない。
「飯田くんってお家はどこなの?」
「え!? えっと……駅を超えて大体10分ぐらい歩いた所ですかね」
「飯田くん、家近いんだね。じゃあ私は電車だから駅でお別れだ」
「そ、そうだね……」
彼女の言葉の一つ一つが意味深に聞こえてしまう……。僕はまともに会話など出来ようもない。
「……飯田くんの読んでる本面白かったな〜」
「そう? 気に入ったなら貸しますよ?」
「ホント? じゃあ、せっかくなら借りておこうかな」
「どうぞどうぞ」
「飯田くん、面白い本たくさん知ってそうだね」
「まぁ、それなりには読んでますけど」
「あ、じゃあ! また今度面白そうな本教えてよ!」
白川さんはパァッと明るく、そんな提案をしてきた。
「いいですよ。どんなジャンルが好きですか?」
「ホラー以外ならなんでも好きだよ。怖いのはあんまり得意じゃないの」
「わかりました。何か用意しておきます」
「楽しみに待ってるね! それじゃ!」
気がつくと駅の乗り場まできていて、白川さんは去り際に最高の笑顔と可愛い手の振り方を残し、足早に改札の中へと去っていった。
「………また明日」
僕はその通り過ぎた嵐のような出来事に、ただ呆然とすることしか出来なかった。
◇
就寝前、僕は自室の本棚の前で座りながらおすすめの本を考えると同時に今日の出来事を振り返っていた。
黒羽さんとの一件は一旦落ち着いた。しかし何故かそこに白川さんが突如顔を覗かせた。
学園のアイドルと言われる白川さん、学園の美少女と呼ばれる黒羽さんが、何故かあの場所に集まっている。
……やっぱり、どう考えても白川さんの行動は不自然だ。
いや、凄い自然な会話をしてくれるから楽しかったけど……でも何してるかも知らない部活に体験入部なんてする?
……それにやたらと僕に絡んで来たような気もするけど……何故だ?
凄い、僕を意識させるような行動が多かったような気もする。
「……かわいかったなぁ」
間近で見る白川さんのアイドルのような笑顔。あれは誰もが虜にされる事だろう。
……それに加えて僕は黒羽さんにえっちなお誘いを受けている。
……モテ期か? 極端すぎないか?
学園のトップ二人に好かれるとか、そんなことある? 終わったらどんな不幸が待っているんだ。
……なんて考えても仕方ない。
とりあえず、今はまだ何も状況がわからない。
なら、今この状況を楽しめばそれでいっか。
と、僕は楽観的な考えで思考を終え、おすすめする本を手に取り、そう結論づけ眠りについた。




