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第7話 歪んだ企み 5

 抱えきれない僕の気持ちに、皆が耳を傾けてくれる。

 僕は掻い摘んで事の顛末を語った。

 もちろん、えっちなことの詳細は全力でオブラートに包んで隠したけれど。

 僕が話を終える頃には、みんな昼ごはんを食べ終えていた。

「……凛ちゃんヤバくない?」

 話を聞き終えると、天沢さんは聞く前とは違い渋い顔をしていた。

「静かだと思ってたけど、そんな子だったんだ……」

 美波さんは意外そうに目を丸くしている。

「感情を知りたいって何! おいしい楽しい嬉しい幸せ~でいいじゃん! それがわかんないってこと!?」

 感情で生きている天沢さんには感情が分からないことが分からないようだ。

「でも確かに、その感情を論理的に理解しようとすると、拗らせちゃうかもしれないね」

 美波さんが冷静にそう分析する。

「てか恋の悩みじゃないし! 完全に恋バナだと思って楽しみにしてたのに! 哲学の話なんてわかんないから!」

 残念そうに天沢さんは頭を掻きむしった。

「お前、哲学って言葉知ってたんだ」

 玲央くんがにやにやしながら茶化す。

「はぁ!? 馬鹿にすんなし!」

「さっきのお返しだ」

皆の雰囲気は別に不穏でもなく、いつも通りだった。

「あはは……なんかごめん、期待してた内容じゃなくて」

 天沢さんの素直すぎる感想に、僕は思わず笑って謝った。

「それはいいけど……にしても、君はいっつも悩んでるね」

 少し呆れたように笑って、美波さんは言った。

 これはきっと、公園であったあの時の事を言っているのだろう。

「ま、まぁ……その節はどうも」

 僕は苦笑いしながら会釈をした。

「……え、エマちゃん、飯田君と二人で会ったの!?」

 その様子を見た白川さんが驚いた様子で聞いた。

「会ったっていうか、歩いてたら公園に見知った姿があったから声かけただけよ。そしたらその時も、一人でベンチで項垂れて悩んでたのよ」

 淡々と美波さんが説明する。

 白川さんは驚いた顔でこちらを見てくるので、

「うん。話聞いてくれたんだ」

 そう答えた。

「……そうなんだ」

 意外な出来事に、白川さんは驚きつつも、少し安堵したような表情を見せた。

「……え、でもちょっとまって」

 何か考えていた天沢さんが声を上げた。

「凛ちゃんは、飯田くんと普通の友達なのが嫌なんでしょ? それってつまり……好きってことじゃない!?」

 閃いたように言った。

「でも、部室に来るなって言われてんだろ? 拒絶するなら好きじゃなくね?」

 玲央君が冷静に返す。

「え~でも~好きな人に友達になりたいって言われたら、イヤっしょ? 友達止まりかよ! って怒るのも無理なくない?」

 きららちゃんの意見は感情論としては的を射ている気がする。

「でも、感情を知りたいだけっていう淡白な理由だったら、友達として興味を持たれていないって考え方も出来るよね」

 エマちゃんも考察に加わる。

「なにそれ、わたしわかんな~い」

 みんなが、ああでもないこうでもないと、各々の考察を言い合う。

 隼人は、あまりこの会話に参加したくないのか、窓の外を見たりして傍観を貫いている。白川さんも、みんなの考察に曖昧に相槌を打つだけで、積極的に話そうとはしない。

「……結局、飯田くんはどうしたいの?」

 不意に、美波さんからそんな疑問が飛んできた。

 場が静まる。

「…………え?」

「その特別な関係としてなら、黒羽さんは飯田くんと仲良くなりたいんでしょ? それじゃダメなの?」

 まっすぐな、純粋な疑問だった。

「…………」

 僕は言葉に詰まった。

 どうしたい?

 黒羽さんの求める特別な関係を受け入れる? それとも拒絶する?

 一瞬、僕は思わず白川さんの方を見た。

 白川さんと目が合う。

 白川さんは少し緊張した様子で、不安げに僕の方をじっと見ていた。

 僕はすぐに視線を落として考える。

 ……僕は確実に、白川さんに影響を受けている。

 彼女の笑顔に、優しさに、弱さに。僕は間違いなく、白川さんに好意を抱いている。

 それと同時に、めちゃくちゃで、不器用で、えっちな事ばかりしてしまった黒羽さんに対しても、無視できない好意を抱いている。

 好きかどうかわからない。それを知るために、僕は友達から始めるつもりだったはずだ。

 そして……順番としては、白川さんには憧れのような好意を抱いていたけれど、身近にいた黒羽さんを意識して、黒羽さんと決別してから、白川さんを好きになろうとした結果の……今だ。

 どっちつかず。優柔不断。

 でも、それが今の僕の、偽らざる本心だ。

「……まだ、わからない」

 僕は、正直にそう答えるしか出来なかった。

 それを聞いた美波さんは、

「ふーん、そっか。答えを出すのは難しいよね」

 とだけ言って、サラダの残りを口にした。

「……考えるのも、大事だけどさ」

 ポツリと、それまで沈黙していた隼人がつぶやいた。

「気持ちを決めるのは、他の誰でもない、お前だよ」

 いつもの調子のいい声とは違い、隼人は真面目な声色で、僕の目を見て言った。

「ちゃんと決めて、答えを出さないと……全てを失うかもな」

 隼人の、真面目で、どこか冷徹な響きを含んだ言葉に、場が少しピリついた。

「……こっわ」

 きららちゃんがそうツッコむと同時に、昼休みを終えるチャイムが鳴った。



 ◇



 放課後、

 ……あれ、これって僕がハッキリしないといけないのか?

 ベットで横になり冷静になるとそう思った。

 みんなの意見を聞いた後と言うのはあるかも知れないけれど、僕がしっかりと黒羽さんの答えに答えなければ話は進まないのではないだろうか。

「…おかしい、僕はハッキリと決別したはず……」

 僕はあの時はっきりさせたはずだ。もうお別れであると。

 そしてあわよくば普通のクラスメイトである事を望んだ僕を完璧に拒絶したのは黒羽さんだ。

 じゃあ何が今問題を深刻にしている?

 僕は何故吹っ切れない?


 ……本当はわかってるんじゃないのか?


 ……一つ一つ紐解いていこう。

 まずは一ノ瀬さんだ。

 彼女は僕に殴り掛かるぐらい僕を恨んでいる。

 それは僕が黒羽さんを悲しませたからだ。

 つまり黒羽さんは、僕との関わりが絶たれて少なくとも悲しんでいると言う事だ。

 そして…水族館での発言を聞いた限り、やはり僕とは普通の友達にはなれないと言った。つまり気持ちは変わっていないってこと。

 ……僕は何か思い違いをしているんじゃないか?

 黒羽さんは感情がないと言った。それを知るために探究していると。

 しかし、彼女はこうも言った。

 少しは感情があると。

 僕は元々何故友達になろうと言い始めたんだ?

 ……そうだ、白川さんが僕を取られるからとパニックになって黒羽さんと喧嘩になったから。

 ……なったからどうして? 何故友達になる必要がある?

 ……僕は白川さんを助けるために何かを決断したはず。

 ……そうだ。

 僕は曖昧だった。

 曖昧な関係がダメだと思ったんだ。

 僕が曖昧だと白川さんが傷付くから。

 だから黒羽さんとの関係をちゃんとしなくちゃダメだと決めたんだ。

「……そもそもさ」

 どうして僕と黒羽さんが仲良くなると白川さんが困るんだ?

「……あれ?」

 今の僕は些か冷静だ。卑屈でもなければ興奮してもいない。

 仮に僕が黒羽さんとえっちな事をして困るのは……白川さんが、僕を好きであると言う事になる。

 それなら納得だ。

「……え、そんなことある?」

 ないとは言えない。だって、あの日のデート、凄く楽しかったよ?

 公園でだって、あんなに親身になって僕を支えてくれた。脈があると思うのは変だろうか?

「いやでも……」

 僕はどうだ? 白川さんの様子がおかしい時、親身になって話を聞いたような気がする。

 その時…僕はまだ白川さんを好きになっていなかった気がする。

 ……でも美少女で明るい白川さんへの好感度は最初からかなり高かった。僕はあからさまに好意を抱いていたと言えるだろう。

 ……だが、僕だったら、急に目の前に知らない人が重苦しい感じで悩んでいたら誰でも相談に乗る気もする。

 ……考え方はそうじゃない。逆で考えよう。

 まだ好きかどうかわからないけど好意を抱いている仲のいい女子が、男子と性的な事をしているとしたら……想像してみよう。


『……隼人くん、飯田くんが全然えっちな事してくれないから……私とえっちな事しよ』

『君みたいな麗しい女性となら喜んで』

『あっ……すごい……激しい……』

『俺はあいつと違って容赦しないぜ?』

『人と深く触れあえるのがこんなにも幸せだなんて……ねぇ……もっともっと触って……?』



「だあああああああ!!」

 現実に戻ってくる。非常に嫌だ! なんか実際ありそうだし!

「あ〜なんで航平と仲良さそうなんだよ〜……」

 そしてなんで僕はそれを気にしてんだ。別にいいはずなのに。

「…………」

 どうしたいのか、気持ちを決めるのは僕自身。

 ……自惚がすぎると思う。

 僕は自分を卑下してきた人間だ。

 僕という人間が人に好かれるなんて、想像できない。

 でも、事実は違うと思わされる。

 ……黒羽さんは何度も言っていた。

 理由はどうあれ僕は選ばれたのだと。

 彼女はちゃんと僕を見てくれていた。

 彼女は感情を知ると言う名目で僕と接触を測った。

 ……けれど、僕はそれを拒んだ。

 拒んだ理由は……嫌だからじゃない。むしろ喜んでしたいぐらいだ。

 ……でも、やっぱり僕はもっとちゃんとした形で黒羽さんと仲良くなりたかった。

「……答えは出てるんじゃないか?」

 僕は依存関係になりたくなかった。

 ちゃんとお互いを大事にしあう関係がいい。

 だから今のままじゃいけないと思った。

 だからまずは友達からちゃんと互いを知って、関係を深めていきたかった。

 なのに……落とし所を探らず、受け入れられない物を突っぱねて、僕は白川さんと仲良くなろうとした。

「…………」

 ……僕はスマホに目を向けた。



 ◇



「……はぁ」

 私はシャワーを浴びながら溜息をついた。

 黒羽さんに謝る事は出来た。

 煽ってみたけど、彼女は思ったより心にダメージを受けているかも知れない。

 仲のいい一ノ瀬さんと喧嘩をするほど殻に閉じこもってしまっている。

 ……ここまでくると、彼女からの行動には期待できない。

「…………」

 飯田くんの中にはずっと黒羽さんがいる。

 しかも、彼女の親友が彼の心に深く傷をつけている。

 それが厄介だ。

 その傷は彼が黒羽さんに執着する理由にもなってしまう。

 ……正直、飯田くんと黒羽さんの接触は嫌だ。

 もし関係が戻って、二人の間に恋心が芽生えれば、すぐにでも好き同士になるだろう。

 そうしたら……私の入る余地はない。

 ……けど、今のままじゃ飯田くんは私に気持ちを向けてはくれない。

「……どうにかしないと」

 二人の関係に何かしらの決着を着けないと。

 風呂から上がり、脱衣所で身体を拭いていると、置いてあったスマホが音を立てる。

 拭いてる途中でその着信をみると、飯田くんからだった。

 始めての飯田くんからの電話に驚きと嬉しさを感じながら、服も着ずに電話に出る。

「も、もしもし? 飯田くん?」

『あ、白川さん。ごめんね、今忙しい?』

 スピーカーから聞こえる彼の声は、少し上ずっていた。

「……ううん、大丈夫だよ。お風呂上がりだけど」

「え!?」

 裏返った声が聞こえる。動揺しているみたい。

「脱衣所にいるの」

『だ、脱衣所!?』

彼の慌てる反応は面白い。少しからかってみよう。

「……ふふ、今服きてると思う? それとも……裸だと思う?」

「いやそんな……見えないからわかんないよ」

「……そう、じゃあ……」

 バスタオルを体に巻いてスマホをスピーカーにしてカメラを自分に向けた。

「……画面、見てみて?」

「え? ……えっ!?」

 画面通話がつながると、彼は私の姿を見て、顔を真っ赤にして慌てている様子が映った。

『な、ななな何してんの!?」』

「ん? どうしたの?」

 私はわざとらしく小首を傾げた。

『どうしたのって……ふ、服……!』

 そう慌てていうと、彼は慌ててビデオ通話を終わらせ、音声通話に戻った。

「なんのことかな? それより、何か用事?」

 私は何事もなかったかのように、聞いた。

『それよりって……僕のことからかってる?』

「そんなことないよ〜? 飯田くんから電話してくるなんて、珍しいね」

 私はどこまでも惚けて話を続ける。

 やけになっていたとはいえ、大胆なことをしすぎた。心臓が破裂しそうなぐらいドキドキしている。

 バスタオルを外し、下着を身につける。衣擦れの音が、静かな脱衣所に響く。

『……どうしても聞きたいことがあって』

 飯田君の声がスピーカーから流れてくる。真剣なトーンだ。

 私はボディクリームを塗りながら答えた。

「何かな?」

『……いきなりこんな事を聞くのもどうかなと思うんだけど…』

「……なに?」

『……あの日、黒羽さんと白川さんが喧嘩したあの日……気になる事があって』

 ドキリとする。

 クリームを塗る手が止まる。

 あの日のこと。私が、黒羽さんを叩いてしまった日のこと。

『……白川さんが怒ってた理由としては……僕が……友達が嫌な事をされているのが嫌だって言ってたと思うけど』

「…………」

『……それって、言葉の通り?』

「…………」

 非常に難しい問いだった。

 パジャマのズボンに足を通しながら、陽毬は考えた。

 自分としては、正直あんなにも心が乱されるとは思っていなかった。特別な、私の弱みを知っていながら受け入れてくれる特別な友達だと思っていたから。

 けど、黒羽さんのペースでされるがままの彼に、私は思わず取り乱した。

 あの時は、嫌がっている飯田君の事を助ける為だと、口から出まかせのように言った。

 しかし、あの時本当に嫌だったのは……。

 飯田くんが……私じゃない女の子と、エッチな事をしているのが嫌だったから。

 あの瞬間は感情的で必死だったから分からなかったけど、今ならはっきりとそう言える。

 そして、絶望の末に、彼はまだ私のことを見捨てはしなかった。

 だから……私はそれだけで……たったそれだけのことで、彼を好きであると自覚してしまった。

「……ごめんね」

 私は、上のパジャマのボタンを留めながら、静かに謝った。

『え?』

「公園で、あとは任せてなんて言ったけど、結局全然役に立ててないね」

『そんなことないよ! 話を聞いてくれたお陰で僕は塞ぎ込まなくて済んだんだから!』

「……そう言ってくれるのは嬉しい。けど……私はやっぱり、本当に飯田君を助けるために頑張りたかったんだ」

『……僕なんかのため――』

 そう言い掛けたところで、彼が言葉を飲み込む気配がした。

『……ありがとう』

 彼は、すぐさま卑屈を捨てて感謝を述べてくれた。

「……私、先週黒羽さんに会いに文芸部に行ったんだ」

『え?』

「色々話したよ。叩いた事謝って、飯田君と喧嘩してる事とか、色々聞いたの」

『……なんて言ってた?』

 興味津々な彼の声。

 ……ここで嘘から出まかせを言って、黒羽さんとの関係を悪くすることもできる。

 正直、そうしたい気分。

 だけど……それは悪い結果しか生まない事を、私は知っている。

「……私は正直、黒羽さんの言ってる事がわからないんだ」

『え?』

「感情がわからないとか、それを知りたいからってえっちな事をしようとするのも、本当だなんて思えない。私は、感情が先に動く人だから」

「…………」

「本当は飯田君の事を好きで、感情が無いって口実で、えっちな事をしたいだけかも知れないよ?」

『…そんなことは……』

 ないとは言い切れないと感じたかのように彼の声に迷いが混じる。

「……もしそうだとしたら、飯田君は嬉しい?」

『え? そ、それは……』

「例え話なんだから、遠慮しないでいいよ」

『……そ、そりゃ嬉しいよ。……女子と仲良くなった事なんて、小学生以来ないんだから……』

 聞いておいてなんだが、分かっていた答えに少しだけグサッと来る。

「……じゃあ、本当に黒羽さんの言葉通り、自分の感情のために飯田くんを求めているとしたら、どう思う?」

「…………」

 沈黙が返ってくる。

 ……それでも彼はすぐに否定はしない。やっぱり、そういうことなんだ。

「……飯田君も男の子だね」

『い、いや! 今のは違くて!』

「本当に違う? 優しいのは飯田君のいい所だけど、自分の気持ちを偽ってるんだとしたら……私嫌だなぁ」

「…………」

 再びの沈黙。

 私は、洗面台の鏡に向かって、小さく微笑んだ。

 髪をタオルで拭きながら、語りかける。

「ねぇ飯田くん、飯田くんはきっと人の気持ちを考えてから喋ってくれてるよね。でも、自分のことになると、思ってる事はすぐ出てくるのに、心にもない事を言う時は黙っちゃうの」

「…………」

「嘘つくなら、それすらも気付かれないぐらいにしないと、答えてるみたいなものだよ」

『……ごめんなさい』

彼は深く傷ついたように謝ってきた。

「……ご、ごめんね! そんな事が言いたいんじゃなかった! ……だから、つまり、今の沈黙が、飯田くんがどうするべきかの答えだよ」

『……え?』

 私は、深呼吸をした。

 ドライヤーを手に取り、コンセントに差す。まだスイッチは入れない。

 ここからが、私の覚悟だ。

「黒羽さん、思ったより心が弱ってる。一ノ瀬さんとも喧嘩しちゃうぐらいだし……今、とっても孤独で傷ついてると思うの」

『…………』

「だから……黒羽さんを助けてあげて」

『……助ける?』

「うん。私を救ってくれたみたいに、彼女を助けてあげて。そうすれば……きっと飯田くんの心も救われるはずだよ」

 言ってしまった。

 ライバルの背中を押すなんて、馬鹿げてる。

 でも、中途半端なまま私のところに来られても、私はきっと満足できない。

 彼には、ちゃんと向き合って、自分で選んでほしい。

『……うん』

 彼の声に、迷いが消えた気がした。

「……そうしたら、さっきの質問の答えは聞かせてあげるね」

『え……あ』

「……それじゃ、バイバイ。また明日」

『え、あ、ちょっ――』

 飯田くんは何かを言いたそうにしていたけれど、これ以上は耐えられず私は通話を切った。

「……大丈夫……私は大丈夫……」

 私はもう、私が満足出来ればいいとは思わない。

 好きな人が、幸せにならないと……私はきっと満足できない。

「……つらいなぁ」

 私は目に涙を溜め、それを拭いながら天井を見上げた。

 ドライヤーのスイッチを入れる。

 ゴオオオオという音が、私の小さな嗚咽をかき消してくれた。


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