第7話 歪んだ企み 4
水族館を出ると、空は茜色に染まりかけていた。
偽りだらけの、でも少しだけ本音が混じったダブルデートは終わりを迎えた。
「今日はこれで解散するか」
雰囲気を壊さない隼人の言葉に僕達は駅前で解散した。
一ノ瀬さんと黒羽さんとは別れ、家の方向が一緒の僕と隼人は、並んで歩いて帰ることになった。
夕暮れの帰り道、二つの影が長く伸びる。
「……楽しかったな~」
「……そうだね」
いつもの様子を崩さない隼人に、僕は少しだけ怪しみながら相槌を打つ。
「やっぱり凛って面白いな。色々と反応が新鮮でさ」
「……二人は、付き合ってるの?」
僕は、ずっと聞きたかったことを口にした。
「……気になるのか?」
「そりゃね。……友達の、交友関係だし」
「俺のこと言ってる?」
隼人がニヤリと笑う。
「ほかに友達はいないよ」
僕が拗ねたように言うと、隼人は声を上げて笑った。
「……まだ付き合ってはないな。まぁ、多少仲良くはなったと思うけど」
「そう、なんだ」
「……でも、仲良くなれて、好きになったら、付き合うのも悪くないな」
隼人の言葉は軽いが、嘘ではない響きがあった。
僕は、足元の石ころを蹴りながら聞いた。
「……ねぇ、隼人にとって、恋人ってどういう存在?」
「ん? ん~……」
隼人は少し考え空を見上げた。
「側にいたいとか、この子のために何かしてあげたいとか、一緒に楽しみたいとか。……まぁ、後は普通に異性として意識するかしないか? だな」
「それは……その……女性として意識するかしないかってこと?」
「エロいことしたいかどうかってことだ。触りたいとか、女性として魅力があるとかな」
……直球だ。
「そ、そんなはっきり言わなくても……」
「男同士で隠すことでもないだろ」
隼人はあっけらかんと言った。
「男子と女子で恋愛観は違う。もちろん全員が同じとは思わない。あくまで傾向の話だけどさ。男にとって女子はエロい存在だし、魅力的だ。でも側にいて、一緒にいて、大切にしたいとか、いろんな感情が一緒くたになるだろ」
「……」
「時たま、エロい事が悪いみたいな言い方をする表現があるけど、それも恋や愛の一つだし、その結果として俺達は生まれてるんだ。それを否定するのは、自分を否定してるようなもんだと思うぜ」
隼人のはっきりとした言葉は僕の胸に深く刺さった。
……僕は恋とエロを切り離そうとしていた。
黒羽さんの探究を不純なものとして、自分の純粋さを守ろうとしていた。
でも、それはただの潔癖で自分勝手な線引きだったのかもしれない。
黒羽さんの求めていた、お互いを求め合うということ。
それは、隼人の言う一緒くたの感情の、一番素直な形だったのかもしれない。
「そんな色々、ハッキリ言わなくても……」
「お前がハッキリしないからだろ」
隼人が、僕の背中をバシッと叩いた。
「まぁ、それがお前の良い所でもあるけどさ。……きっぱりと自分の気持ちに向き合わないと、いつか後悔するぜ」
「……何を?」
「さぁ? お前がずっとハッキリしないでつらそうな顔してるから、アドバイスしてるだけ」
「……それはどうも」
「……ま、俺は最近は部活とか色々あるから昔みたいに一緒にいられるわけじゃないけど、困ってるなら相談してくれよ。俺は唯一のお前の友達みたいだからな」
「……頼もしいね」
昔みたいな、何でもないやり取り。
だけど、昔ほど純粋でもなく、色々裏に感情が犇めき合っている。
そして、僕達はいつもの分かれ道にやってくる。
「じゃあな。また明日学校で」
「うん、また学校で」
ごく自然に僕達は別れた。
「…………大丈夫、僕の悩みはついさっき終わったから」
歩き去る隼人の背中に、僕はそう呟いて帰路についた。
答えは出なかったけれど、隼人の言葉が、僕の中で燻っていた迷いを少しだけ晴らしてくれた気がした。
◇
翌日。
教室に入ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「いい加減にしなよ! なんでそんな自分の気持ちに嘘つくわけ!?」
教室の隅で、一ノ瀬さんの怒鳴り声が響き渡っていた。
その矛先は、親友であるはずの黒羽凛に向けられていた。
クラス中の視線が集まる中、黒羽さんは無表情のまま、しかし毅然と言い返す。
「嘘ついてない。私は思ったことを言っただけ」
「それが嘘だっていってんの! 素直にならないと、あんた何もかも失うかもしれないんだよ!?」
「そんなこと言われても……私はずっと自分の気持ちに素直に行動してるだけ。それに……」
黒羽さんは冷たく言い放った。
「これは私の問題。睦月ちゃんには関係ない」
「! ……ふ、ふざけんな!!」
パァン!!
乾いた音が、教室の空気を引き裂いた。
一ノ瀬さんが、怒りのままに黒羽さんの頬を平手打ちしたのだ。
それは以前、白川さんが黒羽さんを叩いた時の比ではなかった。
全力の、感情の爆発。
「…………何するの!?」
ビンタをされた黒羽さんは、痛そうに頬を押さえ、揺れる瞳で一ノ瀬さんを見た。
初めて見る、彼女の感情的な表情。
「……っこのバカ! もう知らない!」
一ノ瀬さんは、涙目でそう吐き捨てると、カバンを掴んで教室を飛び出していった。
出口付近にいた僕は、一瞬一ノ瀬さんと目が合った。
彼女は僕を睨みつけた。
――あんたのせいだ。そう言われた気がした。
……一体、何があったんだ?
呆然とする教室の中で、取り残された黒羽さんだけが立ち尽くしている。
「大丈夫か!?」
真っ先に駆け寄り、声を掛けたのは隼人だった。
僕も、思わず声を掛けようと足を踏み出したが……躊躇してしまった。
今、僕が声を掛けていいのか? 彼女を傷つけた僕が?
「……痛い」
黒羽さんは、その場に立ち尽くして、顔を伏せて呟いた。
「痛い……痛い……痛い痛い痛い痛い……すごく……痛いよ……」
それは叩かれた頬の痛みなのか、それとも、親友に拒絶された心の痛みなのか。
彼女の様子は普通とは言い難かった。
「……保健室行くぞ」
隼人は心配そうに黒羽さんの背中を支え教室を出て行った。
僕はその背中を見送ることしかできなかった。
……隼人の言葉が、頭の中で反芻する。
『後悔するぜ』
僕は拳を強く握りしめた。
◇
その後の昼休み。
一ノ瀬さんと黒羽さんは、教室に帰ってこなかった。
隼人から聞いた話では、黒羽さんはかなり憔悴していたためそのまま親に迎えに来てもらい早退したらしい。
一ノ瀬さんに関しては、誰も見ていないからわからない。ただ、彼女もまた、一人でどこかへ消えてしまったようだった。
そして翌日。昼休み。
教室の前方、陽だまりグループが集まる一角に僕も座っていた。
机をくっつけて、昼食を食べる。
数ヶ月前の僕なら、緊張の余り逃げ出していたであろうシチュエーションだ。
でも、今の僕には、だいぶ慣れてきた光景だった。
「……どうしちゃったんだろうね、睦月ちゃんと凛ちゃん」
口火を切ったのは、天沢さんだった。
彼女は購買のメロンパンをかじりながら心配そうに眉を下げた。
「私、中学一緒だから知ってるけど……二人があんな風に感情的になってるの、初めて見たよ」
美波さんが弁当のサラダをつつきながら意外そうな表情で言った。
「あの二人っていつから一緒にいるの?」
天沢さんが美波さんに問いかける。
「詳しくはわかんないけど……中学1年の頃、ある日から急に二人で話すようになってたかな。それまでは、二人とも一人でいることが多かったけど」
少し思い出すように首を傾げながら美波さんは答えた。
「ふ~ん。ずっと一緒にいると、良い所も嫌な所も見えてくるから大変そうだね」
そう言って、きららちゃんは興味を失ったようにメロンパンを頬張り始めた。
「その言い方だと、きららは私達と仲良くないみたいに聞こえるけど?」
美波さんがジト目できららちゃんを見る。
「え~! そんなこと言ってないよ~! 私はみんなが大好き~!」
きららちゃんが、大げさに抱きつくフリをする。
そんないつも通りの彼女たちのやり取り。
しかし、その一方で、全く会話に参加せず、沈黙を守っている三人がいた。
僕と、隼人と、そして白川さんだ。
「……なぁ」
一人、黙々と巨大な弁当を平らげていた玲央君が、箸を止めて僕らを見た。
「なんでお前ら、ずっと黙ってんの?」
玲央君の視線が僕と隼人と白川さんを行き来する。
「俺はいつもこんな感じだろ」
隼人はさらっと言葉を受け流し、購買でかった飲み物を飲みながらスマホをいじり始めた。
「…………」
しかし、白川さんは違った。
いつもなら、誰よりも饒舌に場を盛り上げるように喋る彼女が、今日はやけに静かだ。弁当箱の端をつつくだけで、ほとんど箸が進んでいない。
「……あ、あはは。実は、昨日夜更かししちゃって……あんまり寝てないから、眠いんだ~」
視線を集められ、白川さんは慌てて笑って見せた。
でも、その笑顔にはいつもの輝きがない。少し無理をしているように見えた。
実際どうなのかはわからない。けど、僕はどうしても白川さんも黒羽さんと一ノ瀬さんのことが、気になっているように感じた。
あの一件の原因の一端は、間違いなく彼女にもあるからだ。
隼人も、何でもないフリをしているけど、間違いなく二人のことが気になっているはずだ。黒羽さんを保健室まで送っていったのは彼なのだから。
……そして、僕。
僕はもう、関係ないはずなのに。
黒羽さんに拒絶され、一ノ瀬さんに罵倒され、部外者になったはずなのに。
気がかりで仕方ない。
いや、関係がないわけはない。黒羽さんに関する最近のいざこざは、元を辿れば僕が原因だ。
僕がしっかりしていないから、僕が手順に固執して、彼女と向き合うことから逃げたから、こんなことになったんだ。
……僕のせいだ。
自己嫌悪が再び顔を出す。
……でも、
『……任せなさい!』
公園での白川さんの言葉が蘇る。
悪いのは、僕だけじゃない。
こうなったことは、皆の責任だ。
僕一人が背負い込んで潰れても、幸せにならない。
他責でも自責でもない、両方の全責の気持ちを持たないと、僕はまた動けなくなってしまう。
「航平?」
考えにふけっていると、突然僕の名前が呼ばれた。
「え?」
顔を上げると、玲央君が真剣な眼差しで僕を見ていた。
「な、なに?」
「……お前、いっつも何か考えてるよな」
「えっ」
不意打ちの指摘に、動揺する。
「遠慮して言葉選んでるのか? 考えないと行動できないのか? それとも、俺らの話聞いてないのか?」
「……そ、そんなことはないけど……」
「だったらそんなに考えてんなよ。会話なんて感情でするもんだろ。言いたいことなら、勝手に出てくるもんだろ」
「……」
玲央君の言葉は単純だが核心を突いていた。
僕はいつも感情を置き去りにしている。何を喋ったら皆が不快にならないかばかり考えている。
「レオの頭は単純だもんね〜」
天沢さんが茶化すように言う。
「うるせぇ、複雑ならいいってわけじゃねぇだろ」
玲央君は箸を置いて腕を組んだ。
「俺だったら、彼女と喧嘩したら、納得するまで問い詰めるぞ。中途半端にするの嫌だからな」
「うわ、なにそれ……追い込むとかさいって~」
天沢さんが顔をしかめる。
「時間が解決することもあるんだから、待つことも大事だよ」
美波さんももそれに同意する。
「言ってろ。……その代わり」
玲央君は、真っ直ぐに言った。
「彼女が落ち込んでたら、ずっとそばにいてやるし、ずっと話聞いてやるよ。好きなやつなんだから、それぐらいするのは当たり前だろ」
その言葉に、場が一瞬、静まり返った。
あまりにもストレートな、彼なりの愛情表現。
「……狙いすぎてキモ、おっも」
「一人になりたいときもあるから、そっとしといてあげることも必要だと思うな」
女子二人から、容赦ないヤジが飛んでくる。
「お前ら……なんだったらいいんだよ!」
玲央君が吠える。
「……ふふっ」
そのやり取りを見て、白川さんが、小さく吹き出した。
「……そうだね。玲央くんはそういう奴だもんね」
「……とにかく!」
玲央君はコホンと咳払いをして再び僕に向き直った。
「普段静かなのは気にしねぇけど、そうやって、一人で全部抱え込んで落ち込んだ顔してると、こっちまで楽しくねぇからやめろってことだ」
「……」
「ちょっと、そんな言い方しなくてもよくない?」
天沢さんがそう怒るが、
「まぁ同意だけど」
怒っておきながら同意した。……自由な意見だ。
「……そうだね、ごめん」
僕は素直に謝った。
「おうおう反省しろ。……んで、何があったんだ?」
「……え?」
「黒羽と喧嘩したって話だろ? 今ここで言えばいいじゃん」
玲央君はあっさりと僕の悩みを言い当てた。
「え、そうなの?」
きららちゃんが、意外そうな目で僕を見る。
「……いや、え、なんで分かったの?」
「見てりゃわかんだろ。黒羽のこと明らかに避けてるし」
「えっ」
そんなつもりはなかった。ただ、僕はいつも通りにしてただけなのに。
「だからずっと暗い顔してんだろ? だったら、さっさと解決して元に戻れよ」
「いや、でも、個人的なことを皆に相談するのもどうかと……」
「……何言ってんだ?」
本気でわからないといった顔で玲央君は言った。
「こいつらみんな、自分の事好き勝手喋ってんだぞ。お前だけが語ったらいけない理由なんてないだろ」
その言葉に僕はハッとした。
僕はまだ、どこかで自分を部外者だと思っていた。
陽だまりに入れてもらっているだけの異物だと。
でも、彼らは違った。僕を対等な人として見てくれている。
「ひっど! 私たちの大事なコミニケーションの時間なのに~!」
きららちゃんが、涙目でわざとらしく傷ついたフリをする。
「でもずっと気になってたんだよね~、飯田君と黒羽さんのかんけ~」
すぐ様素に戻り、きららちゃんは興味深そうな目で僕を見た。
その言葉を皮切りに、皆の目が僕の方を見る。
集まる視線に、僕は戸惑った。
「……話したいなら、話してもいいと思うよ」
僕が戸惑っていると、隣の白川さんが静かに言った。
「皆、ちゃんと話聞いてくれるよ」
彼女の瞳には、強い信頼の色があった。
彼女自身が、彼らに救われた経験があるからこその言葉。
「そ~そ~、色恋の悩みなら、このきららちゃんに任せなさ~い!」
天沢さんがが胸を叩く。
「……じゃあ」
僕は、観念して口を開いた。




