第7話 歪んだ企み 3
僕と一ノ瀬さんはベンチに並んで座ったまま固まっていた。
尾行がバレた。
この事実がもたらす社会的信用の失墜は計り知れない。
心配だったからなんて言い訳は、気持ち悪いという感想の前では無力だ。
どうする? どう誤魔化す? 思考が空回りし口からは、
「え、えっと……こ、これはその……えっと……」
と、壊れたラジオのような音しか出てこない。
チラリと黒羽さんを見る。
彼女は僕と一ノ瀬さんの顔を交互に見比べ、小首を傾げている。
その表情は怒りというよりは純粋な困惑だった。
それが余計に僕の罪悪感を煽る。
「……何って、見てわからない?」
その時だった。
隣から信じられないほど落ち着いた声が聞こえた。
一ノ瀬さんはさっきまでパニックで喚いていたのが嘘のように、冷ややかな瞳で隼人を見上げていた。
そして、あろうことか、僕の腕に自分の腕を絡ませてきたのだ。
「デートよ、デート」
「「え!?」」
僕と黒羽さんの声が重なった。隼人もさすがに目を丸くしている。
「……デート? あんな揉めてたのに?」
隼人の鋭いツッコミに、一ノ瀬さんの頬が一瞬だけ赤らむ。
「うっ……」
しかし彼女は引き下がらなかった。絡めた腕にぎゅうっと力が込められる。
「た、たまには喧嘩ぐらいするわよ、デートする間柄なんだから。痴話喧嘩」
無理がある。あまりにも無理がある設定だ。
だが、この場を切り抜けるには、この嘘に乗っかるしかない。
僕は冷や汗を流しながら、必死に頷いた。
「そ、そう! そうなんだよ! 偶然だなぁ!」
「……ふ~ん」
隼人は、ニヤニヤと僕たちを観察し、それから黒羽さんの方を向いた。
「そっか。それじゃあ奇遇だな。……俺たちもデートしてたんだ」
その言葉に、僕の心臓が嫌な音を立てる。
黒羽さんは、困惑した顔のまま、しかし否定することなく小さく頷いた。
「……う、うん」
肯定した。
隼人と黒羽さんのデート。その事実は、僕の胸に黒いモヤを広げる。
「へぇ〜そうなの〜。偶然ね〜」
一ノ瀬さんが目が全く笑っていない満面の笑みで返した。声のトーンが低い。
「そうか……へぇ……なるほど……」
隼人は、顎に手を当てて何かを考えていたが、ポンと手を叩いた。
「凛と一ノ瀬って、仲良かったよな」
「そうだけど文句ある?」
「じゃあさ、この後、ダブルデートしないか?」
「「はぁ!?」」
僕と一ノ瀬さんの声がハモった。
ダブルデート? この地獄のような状況で?
「お前ら、さっきからリアクションいいな」
隼人は楽しそうだ。
「……どうしてダブルデートなんてしなくちゃいけないの? 別にあなたと親しくないんだけど」
一ノ瀬さんが正論で拒絶する。
当然だ。これ以上隼人と黒羽さんのデートを見せつけられるなんて拷問以外の何物でもない。
「なら、親しくなればいいだろ? 友達の友達なんだから。俺たち皆、少なくとも顔見知りだしさ」
隼人はそう言うと、一歩、一ノ瀬さんに近づいた。
そして、彼女の耳元に顔を寄せ何かを囁いた。
「……え?」
一ノ瀬さんの目が、見開かれる。
彼女は、驚いたように隼人を見つめ、それからチラリと黒羽さんを、そして僕を見た。
数秒の沈黙。
一ノ瀬さんは、深いため息をつくと、観念したように言った。
「……そう。なるほど……仕方ないわね、じゃあダブルデートしましょう!」
「ええっ!? 何を話したの!?」
僕は思わず聞いた。
「うるさいわね。デートは女子が行きたいところに行く物だから、飯田君に拒否権はないの!」
「横暴だよそんなの!」
「隼人くん、この後どこ行こうとしてたの?」
「この辺りに水族館あるんだけど、そこに行こうと思ってる」
「いいね、行きましょう!」
僕の抗議は無視された。
こうして、僕たちの偽りのダブルデートは唐突に幕を開けた。
◇
水族館への道。
前を隼人と黒羽さんが並んで歩き、その後ろを僕と一ノ瀬さんが歩く。
前の二人は楽しそうに会話をしている。隼人が何かを話し、黒羽さんが頷く。
時折、黒羽さんが何かを問いかけ、隼人が身振り手振りで答える。
その距離感は、僕が黒羽さんと過ごしたどの時間よりも、自然で、軽やかに見えた。
「……飯田君」
隣を歩く一ノ瀬さんが小声で囁いた。
「……これは、チャンスよ」
「え?」
「今から行く水族館で、リンと喋りなさい」
一ノ瀬さんは、前を見据えたまま言う。
「なんで?」
「なんでって、友達になりたいんでしょ? なら、もう一度話し合うべきよ」
「いや……でも……」
僕は言葉を濁した。
黒羽さんに来ないでと言われた。
その拒絶は僕の心に深く刺さっている。今更何を話せばいいのかわからない。
「でもも何もない!」
一ノ瀬さんが僕の脇腹をつねった。痛い。
「いまだに未練抱えてこんなとこまで尾行してくるくらいなんでしょ? だったら……もう一回ちゃんとリンと向き合いなさいよ」
彼女の言葉は乱暴だが、核心を突いていた。
「……わかんないんだけどさ、一ノ瀬さんは結局僕をどうしたいの? 罵倒したり、応援したり」
「あなたをどうしたいかなんて、思ってないわよ」
彼女は冷たく言い放った。
「リンの……リンの言葉の端々にまだあなたがいるから。それをなんとかしたいだけ。勘違いしないで」
「……どういう意味? 黒羽さんの中に僕がいる?」
「鈍いわね……リンもあなたみたいに後悔してるってことよ」
心臓が跳ねた。
「……そうなの?」
「たぶんね。……こんだけヒントをあげたんだから、そんなに聞いてこないでよ。私はリンじゃないんだから」
一ノ瀬さんは顔を背けた。
……彼女も後悔している。
もしそれが本当なら、あの普通の関係にはなれないという言葉は、拒絶ではなく彼女なりの苦悩だったのだろうか。
前の二人の背中を見る。
黒羽さんの心まではわからない。でも、彼女を一番近くで見てきた親友がそう言うのであれば……。
もう一度、話してみる。それにはこの水族館デートは絶好のチャンスかもしれない。
僕は自分の心の蟠りを飲み込み、少しだけ勇気を振り絞ろうと思えた。
水族館に入ると、青い光と水音が僕たちを包み込んだ。
「ほら、デートっぽくするわよ」
一ノ瀬さんが、僕の腕に自分の腕を絡ませてくる。
「うわっ、ちょ、一ノ瀬さん!?」
「静かにして。演出だから」
彼女の柔らかな感触が腕に当たり、僕は全く集中できない。
しかし、一ノ瀬さんは顔色一つ変えずに前を歩く隼人たちを見ている。
それを見た隼人がニヤリと笑った。
「お、じゃあ俺たちも手ぐらい繋いでみるか」
隼人が黒羽さんに手を差し出した。
僕は息を止めた。
黒羽さんは僕との探究以外で、男性と触れ合うことを良しとするのだろうか。
「…………」
黒羽さんは僕たちの方をちらりと見た。腕を組んでいる僕たちを。
そして、少しの間を空けた後、
「……うん」
彼女は、ゆっくりと隼人の手を握った。
………心がモヤァっとした。
焼けるような、冷えるような、嫌な感覚。
僕に見せつけるため? それとも、隼人ならいいの?
いや……僕に何かを思う権利はない。わかっているけど、辛い。
「んじゃ行くか!」
隼人はいつもと変わらない様子で歩き出す。黒羽さんと手を繋いで動揺もしないその精神力には羨ましさすら感じる。
館内を見て回る間も、隼人は場を盛り上げた。
魚の豆知識を披露したり、面白い動きをする魚にツッコミを入れたり。黒羽さんもそれに小さく反応を返している。
僕はほとんど喋れなかった。
腕を組んでくる一ノ瀬さんの体温と、目の前で繋がれた手と、黒羽さんの横顔。情報量が多すぎて、魚なんて頭に入ってこない。
しばらくして、隼人がイルカショーの案内を見つける。
「お、ちょうどイルカショーやるらしいぞ。せっかくなら見ようぜ」
「そうしましょ!」
水族館に来てから、異様に隼人と一ノ瀬さんの息が合う。
僕と黒羽さんは完全に二人に主導権を握られ、引っ張られている状態だ。
ショーの会場に行くと、座席は家族連れやカップルで埋め尽くされていた。
唯一空いていたのは、最前列に近い水濡れ必至のエリアにあるちょうど4人分のベンチ席だけだった。
「面白そうな所空いてるな」
隼人が悪戯っぽく笑う。
「じゃあ、私と隼人くんでカッパ買ってくるから、二人は席取っといて!」
一ノ瀬さんが有無を言わさぬ勢いで宣言した。
「え、あ、うん」
僕は曖昧に答えると、
「いこ、隼人くん」
「おう」
二人は意気揚々と僕と黒羽さんを残して足早に売店の方へ去っていった。
……完全に、僕と黒羽さんを二人きりにしようとしてるな。
残された僕と黒羽さんの間に、とんでもなく気まずい空気が流れる。
周りの喧騒が遠い。
……二人がせっかくくれたチャンスだ。生かすしかないだろう。
「……せ、席、取ろうか」
僕は勇気を振り絞って声をかけた。
「…………」
黒羽さんは僕を見ることなく、すごく小さく頷いた。
空いてるベンチに行き、席の端に僕が座る。黒羽さんは当然一つ席を空けて座るだろうと思った。
しかし、黒羽さんは迷うことなく僕のすぐ隣に腰を下ろした。
「……え?」
思わず声が出る。
「……そっち、壁だから」
彼女は前を向いたまま、小さく呟いた。
ベンチの反対側は通路ではなく壁になっている。
後から来る二人が座りやすいように詰めただけだ。
……なるほど、合理的だ。
でも、彼女の肩が触れそうな距離にある。
嫌われているわけじゃないのかも。
少しだけそう思えた。
「…………」
「…………」
沈黙。
イルカプールの水面がキラキラと光っている。
一ノ瀬さんが言った言葉が、頭をよぎる。
『もう一回ちゃんとリンと向き合いなさいよ』
……勇気を出すしかない。
「……二人になるの、久しぶりだね」
「…………」
返事はない。でも、拒絶されている感じでもない。
……気にするな、彼女はいつもこんな感じだ。
「隼人と仲良くなってるなんて、全く知らなかったよ。いつから?」
「……私も、睦月ちゃんと飯田くんが仲良くなってるとは、思わなかった」
彼女がようやく口を開いた。
「僕達は……今日、初めて学校の外で会ったよ」
正確にはカフェで喋ったり本屋で殴られたりしたけど……それはノーカウントだ。
「……初デート?」
黒羽さんが、ポツリと聞いた。
「初デートっていうか……まぁ……デートってわけでもないけど……そんなようなもの、かな」
尾行してました、なんて口が裂けても言えない。
かと言ってデートじゃないと否定すると、一ノ瀬さんの顔を潰すことになる。
曖昧に誤魔化すしかなかった。
「……そう」
黒羽さんの声が少しだけ沈んだ気がした。
「うん……」
……会話が途切れる。
二人とも、早く帰ってきてくれ。
僕はこの沈黙に耐えきれず、自分の胸の内を語り始めた。
「……僕はさ……ずっと、寂しかったよ」
黒羽さんの肩がピクリと動いた。
「……楽しかったんだ。黒羽さんといる時間。……あの、無茶苦茶な探究も、今思えば楽しかった。だから……今、すごい寂しい」
本当の事だ。
独り言のように喋る。
彼女は僕の方を見ることはなく、ただずっと人形のように正面の水面を見つめている。
「……黒羽さんは、普通の友達は嫌だって言ったけど。僕は……いつでも友達になりたいと思ってるよ」
「…………」
彼女は反応しない。
それでもいい。僕は伝えたかったことを伝えた。
それでも彼女が僕を拒むというなら、僕にはもう待つことしかできない。
……長い沈黙の後。
ショーの開始を告げるアナウンスが流れる中、黒羽さんが呟くように言った。
「私だって……」
小さな、消え入りそうな声で何かを言いかけ言い淀む。
……そして、もう一度口を開いた。
「……もう……答えは伝えたよ。……飯田くんとは、普通の関係には……なりたくない……」
……やっぱり、彼女の答えは変わらなかった。
特別じゃなきゃ意味がない。0か、100か。
「……そっか」
不思議とそこまで傷つきはしなかった。
むしろ、そこまで頑なに自分の意志を貫く彼女が、黒羽凛らしくて少しだけ安心すらした。 これ以上、僕から何か言うことはない、平行線だ。
「カッパ買ってきたぜ!」
「おまたせ~!」
そこへ、隼人と一ノ瀬さんが白い半透明のビニールガッパを持って戻ってきた。
絶妙なタイミングだ。
「遅かったね、二人とも」
僕はすごく自然な様子を装って声をかけた。
「二人で座って、何か話してた?」
隼人がニヤけた様子で聞いてくる。
「ううん、特に何も? ……それより、もうショー始まっちゃうよ? 早く座りなよ」
僕の吹っ切れたような妙にサバサバした喋り方は逆に不自然だったようで、隼人と一ノ瀬さんは顔を見合わせ、少し変な反応をした。
その後、僕達はイルカショーを楽しんだ。
水しぶきが飛んでくるたびに、隼人が大げさに騒ぎ、一ノ瀬さんが悲鳴を上げる。
僕も、なんだか吹っ切れて、純粋にショーを楽しんだ。
一ノ瀬さんも、隼人と結託して場を盛り上げていたが、時折、僕と黒羽さんの様子を伺い、元気のない黒羽さんと、空元気を演じる僕を見て、何かを察しているようだった。




