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第7話 歪んだ企み 2

 やっぱり、どうにかこうにかして黒羽さんとの関係を……少なくとも、絶縁状態から普通のクラスメイトレベルにまで修復しないと、僕の精神は落ち着かないらしい。


 ……それとも、これはいわゆる、失恋の痛みなのだろうか。


 告白する前にフラれた、というやつ。

 ……僕は黒羽さんを好きだったのだろうか。

 天井のシミを見つめながら自問自答する。

 ……そりゃあ、確かにさ。

 あんな美少女に、パンツを見せられ、太ももを撫でさせられ、目の前で頭を撫でられたり、膝の上に座られたりすれば……異性として意識しない方が無理だ。 男として機能不全を疑うレベルだ。

 けど、それは全部彼女自身が感情を知りたいという、純粋な欲求の結果であり、僕という一個人に対する執着や好意ではない。

 ……少なくとも、彼女にとってはそうだったはずだ。


 ……じゃあ、僕はどうだ?


 僕はあんなにプライバシーの領域に土足で踏み込まれて、振り回されて、ドキドキして、ただ迷惑なだけだったか? 何も思わなかったか?

「……いや」

 僕は、頭を横に振った。

 嘘はやめよう。

 自分にだけは、正直になろう。

 どこまで本気かは分からない。

 でも、少なくとも間違いなく、僕は黒羽さんに惹かれていた。

 彼女の不器用な探究を、愛おしいと感じていた。

 だから……拒まれて落ち込んで、隼人が彼女に近づいただけで、あんなに醜く嫉妬したんだ。

「……はぁ」

 認めたくなかった事実を認めてしまい、余計に自己嫌悪が募る。

 もう終わった事なのに。向こうから来ないでと言われたのに。

 こんな未練がましいことを考えている自分が嫌になる。

 世の中の恋する人達は、どうやってこんなやり場のない気持ちと向き合ってるんだろうか。

「……白川さん」

 ふと、彼女の顔が浮かんだ。

 かつてホテルで震えていた彼女。狼狽して黒羽さんを叩いてしまった彼女。

 でも、この間は僕を助けるために、あんなに強く、優しく、励ましてくれた。

 彼女は自分の感情に素直だ。

 怒ったり、泣いたり、振り回されたりしながら、それでも笑って、喜んで、前に進んで行く。

「すごいなぁ……」

 ……強い人だ。こんな辛い気持ちも耐えて、前に進むことができるなんて。

 素直にそう思った。尊敬の念が湧く。

 そして同時に……認めるべき事実がもう一つある。

 僕は今、間違いなく、白川さんにも惹かれている。

 だって、実質彼女の下着姿も見ちゃってるし、誰にも見せない弱いところも共有している。

 加えて素顔の彼女とのデートは本当に楽しかった。

 あんな風に信頼を寄せられて、好きにならない方がおかしい。

「…………僕は、浮気者か?」

 思わず口に出して、自分で自分にドン引きした。

 黒羽さんには失恋して嫉妬して、白川さんには惹かれて信頼を感じている。

 僕は一途なロマンある恋愛を求めていたはずだ。

 誠実さを何より大事にしていたはずだ。

 浮気なんて一番軽蔑する行為だ。

 それなのに……なんだか今、二人の間でフラフラしている甲斐性のないクズ男みたいになっていないか!?

 正式に付き合っていないとはいえ……自分の心の節操のなさが嫌になる。

「……ううぅ」

 考えれば考えるほど、泥沼に沈んでいく。

 思考を遮るように、枕元でスマホが震えた。

 ブブブッ、ブブブッ。

 メッセージの通知じゃない。着信だ。こんな休日に誰だろう?

 僕は気だるげに画面を覗き込み……そして飛び起きた。

『着信:一ノ瀬 睦月さん』

「えっ」

 変な声が出た。

 一ノ瀬さん? なぜ?

 夏合宿の連絡用にグループチャットで連絡先は交換したけど、個別に連絡が来たことなんて一度もない。

 しかも、メッセージじゃなくいきなり電話?

 この間一悶着あったのに?

 どんな内容だとしても……嫌な予感しかしない。

 でも、何か緊急事態の可能性もある。

 僕は、恐る恐る通話ボタンをスライドさせた。

「……も、もしもし?」

『い、飯田君!? ちょ、ど、どういうこと!?』

 スピーカーから飛び出してきたのは、いつもの気だるげなトーンとは程遠い、パニックを起こした一ノ瀬さんの声だった。

「え、ど、どうしたの? 落ち着いて」

『落ち着いてらんないよ! リンだよ! な、なななんで……どうして!?』

「黒羽さんが? 何かあったの!?」

 その慌てようは、まるで黒羽さんが事故にでも遭ったかのような切迫感だった。

 僕の背筋が凍る。

 まさか、僕との関係に悩んで、極端な行動に……?

「落ち着いて状況を説明して?」

 内心バクバクしながらも、僕は努めて冷静に言った。

 一ノ瀬さんは、荒い息を整えながら、信じられない言葉を告げた。

『……り、リンが……』

「うん」

『リンが……一条隼人とデートしてるんだけど!?』

「…………は?」

 思考が停止した。 デート? 黒羽さんが? 隼人と?

「……え……えぇえええ!?」

 遅れて僕の絶叫が、狭い部屋に虚しく木霊した。



 ◇



 詳しく話を聞くと、最近様子がおかしい黒羽さんが一人で出かけるというので、心配になって尾行したところ、黒羽さんは駅前で隼人と待ち合わせをしそのまま二人でデートを始めたというのだ。

 その事実があまりにも衝撃的で、パニックになった彼女は、思わず僕に連絡をしてきたらしい。

 ……なんで僕に?

 正直、殴られたあの一件以来、彼女とは絶望的に気まずい。

 はっきり言えば会いたくない。

 だが、電話口の彼女はあまりにも動転していて、気まずさを気にしている余裕すらないようだった。


 そして何より……僕自身その現場を確認せずにはいられなかった。


 僕は着替えて電車に飛び乗り、一ノ瀬さんのメッセージを頼りに、普段全く行かないようなお洒落な街へとやってきた。

 駅の改札を出ると、柱の陰に隠れるようにして立っているパーカー姿の一ノ瀬さんを見つけた。

「……一ノ瀬さん」

「来た!」

 彼女は僕を見ると、安堵と焦燥が入り混じった複雑な顔をした。

「……二人は?」

「……あっち。今、カフェのテラス席にいる」

 彼女が指差した先。

 オープンカフェのテラス席に、見慣れた二つの影があった。隼人と黒羽さんだ。

 黒羽さんは、僕とのデートの時のような勝負服ではなく、もう少しラフだけど、洗練されたワンピースを着ている。隼人はいつものしゃれた私服で、二人は向かい合って、何か楽しそうに話している。

「……マジだ」

「でしょ? さっきまで、服屋行ったり雑貨屋巡ったり……完全にデートコースだった」

 一ノ瀬さんが爪を噛みながら言う。

 僕はその光景を見ながら、胸の奥が冷えていくのを感じた。

「……なんで、僕を呼んだの?」

 僕は視線を二人に固定したまま聞いた。

「……一人じゃ、抱えきれなかったから」

「何が?」

「……現実が」

 一ノ瀬さんは、悔しそうに唇を噛んだ。

「……なんで来たのよ」

 逆に聞き返される。

「呼んだのそっちでしょ……それに、気になったから」

「そう思って呼んであげたんじゃない」

 ……見透かされている。

 僕たちは二人から見えない少し離れたベンチに並んで座り、遠巻きに二人を監視することにした。

 側から見れば僕たちもデート中のカップルに見えなくもないが、漂う空気は張り込み中の刑事より殺伐としている。

「……いつから、あんなに仲良くなったんだろう」

 僕が独り言のように呟くと、一ノ瀬さんは膝を抱えて答えた。

「わかんないけど……ちょっと前から、リンが急にちょっと元気になって……その頃から、時々教室でも隼人君がリンに声かけてきてたんだよね」

 …それはよく覚えてる。隼人が急に黒羽さんに声をかけ始めた日のことだろう。

「……そうなんだ」

「……私にも、何も言ってくれなかった」

 一ノ瀬さんは寂しそうに言った。

 親友だと思っていたのに、何も知らされていなかった疎外感。

 彼女が僕を呼んだ理由を少しだけ察した。

 彼女は、ただ状況を共有したかっただけじゃない。

 不安だったんだ。

 そして、過去に彼女が言った言葉を思い出す。

『リンを泣かせたら許さない』

 彼女の視線は、黒羽さんではなく隼人の方を睨みつけている。

「……一条隼人……リンに変なことしたら……殺す」

 ……ボソリと漏れた言葉が怖すぎる。

 でも、それは彼女なりの愛情の裏返しなのかもしれない。

「……よっぽど黒羽さんが大事なんだね」

「え?」

「黒羽さんが変な男に捕まらないか、心配で仕方なんでしょ?」

「当たり前よ」

 彼女は僕の方を見ずに、ふん、と鼻を鳴らした。

「親友なんだから」

 恥ずかしげもなく断言するその横顔は、少しだけかっこよかった。

「……てか、君さぁ」

 突然一ノ瀬さんが睨みを利かせていた目を隼人から僕に向けた。

 矛先が変わった。

「え?」

「何でリンと喧嘩別れみたいなことするかな? 何がそんなに気に入らなかったの?」

「……は?」

 また……その話か。

「気に入らないって……僕は友達になろうとしたのに、それを断ったのは黒羽さんの方だよ?」

「だから! 何で友達になろうとするわけ?」

 一ノ瀬さんは、苛立ったように小声で声を荒らげた。

「いいじゃん、エロいことする関係だったんでしょ? 君だって男なんだから、満更でもなかったんでしょ? ならそのまま続けてればよかったじゃん。リンがそれを望んでたんだから」

「そうも行かないよ。僕の気持ちだってあるんだから」

「……白川陽毬が好きだから?」

「……え」

 ズバリと。核心を突く名前を出され僕は息を飲んだ。

「図星?」

 一ノ瀬さんは、軽蔑したような目で僕を見る。

「リンと一緒にいると、白川さんと親しくなれないから? リンと一緒だと不都合だから、切り捨てたの?」

「それは……」

「やっぱり。だったらなんで、最初からリンの探究なんて受け入れたの? 好きな人がいるなら、最初から断るべきでしょ」

「…………」

 彼女の言葉は正論だ。

 結果だけを見れば、僕は白川さんと仲良くなるために黒羽さんを邪魔者扱いして切り捨てたように見える。

「……最低。そう言う人が、浮気とかするんだ」

 彼女は吐き捨てるように言った。

「違う!」

 僕は、思わず大きな声で否定していた。

「!」

 僕の剣幕に一ノ瀬さんがビクリと肩を震わせた。

 でも、頭に血が上っていた僕は、彼女の怯えに気づく余裕もなかった。

「確かに黒羽さんと関係を持つ前に、白川さんの事は気になってたよ……! その気持ちは好きもあったかもしれないけど、あのキラキラした人達に憧れていた部分だってあったんだ!」

「…………」

「そんな時に黒羽さんと……あんな関係になったんだ。友達とも言えない、恋人でもない歪な関係に……。その後に僕は白川さんと仲良くなったんだ! 順序が逆なんだよ!」

 僕は一気にまくし立てた。

「それなのに……はじめっから僕がどっちも好きだったみたいに決めつけて……! 僕の話を聞こうともしないで、好き勝手言ってくるのはあんまりじゃないか!?」

 ハァ、ハァ、と息が切れる。溜め込んでいた言葉を全部吐き出して、僕はようやく一ノ瀬さんの顔をちゃんと見た。

 彼女は目を見開き顔を強張らせていた。パーカーの袖をぎゅっと握りしめ、少し怯えているようにも見えた。

「……あ」

 やってしまった。

 イラっとはしたけど、女の子をこんな顔にさせたかったわけじゃない。

 彼女はただ、親友のために怒っていただけなのに。

「……ご、ごめん」

 僕は慌てて声を落として謝った。

「……言い過ぎた。……大声出してごめん」

「……ふ、ふん」

 一ノ瀬さんは、少し動揺しながらも、すぐにいつもの不機嫌な仮面を被り直した。 「く、口で何言ったって……信用なかったら意味ないのよ」

 彼女は視線を逸らして、持っていたペットボトルをぎこちなく口にした。

「……そうだね。確かに、信用されない行動はしてるかも」

 僕は否定しなかった。

 彼女から見れば、僕は不誠実な男以外の何物でもないのだから。

「…………」

 その言葉を皮切りに、一ノ瀬さんは静かになってしまった。

 隼人と黒羽さんの方をじっと見て、一切こっちに話しかけてこようとはしない。

 視線の先では、隼人と黒羽さんが、一つのスマホを覗き込んで、何か楽しそうに笑っている。

 僕達の間には、どこか気まずい、でも、さっきまでのトゲトゲしさとは少し違う空気が流れていた。

 沈黙に耐えきれず、僕はポツリと言った。

「……勝手に話すけどさ」

「…………」

「突然目の前にやってきた美少女と、えっちな事が出来るかもしれない状況で……本能だけでそのまましちゃう男と、ちゃんと意図を理解しようする男なら、親友の観点から見てどっちがマシ?」

 一ノ瀬さんは、こっちを見ようともしない。

 でも、耳だけはこっちに向いている気がした。つづけた話す。

「一ノ瀬さんはいいの? 親友がえっちな事をするだけの関係で……本当に心から人を好きになる気持ちを学べると思う?」

「…………」

「僕は、それじゃダメだと思った。ちゃんと向き合ってからそう言うことはしないとダメだって。……だから、ちゃんと黒羽さんと向き合おうと思ったんだ。まずは普通に友達になろうって。そうしないと、僕達はお互いの事をちゃんと知ろうともできないと思ったから」

 僕は自分の膝を見つめながら言葉を紡いだ。

「……でも、黒羽さんがそれを拒んだんだ。普通の友達は嫌だって。だったら、僕には手を引くことしかできない。……これ以上踏み込んだら、お互い傷つくだけだから。だから――」

「うっさいな」

 一ノ瀬さんが、低く呟いた。

 彼女はこちらを向きはしなかったが、ようやく口を開いた。

「何一人でずっと喋ってんのよ」

相変わらず、彼女の言葉は冷たかった。

「…………」

「弁明なんか、聞きたくない……。私はただ、あんたがリンを泣かせたことが、許せないだけ……それだけ」

 一ノ瀬さんは、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 その顔は、怒ってはいなかった。

 ただ、ひどく寂しげで、悲しそうな顔をしていた。

 そんな顔をされては、僕の胸の内を理解してもらうなんておこがましいと思えた。

 彼女にとっての正義は、黒羽さんが笑っていること。それだけなのだ。

 そんな大事な人を泣かせた相手だとしたら、僕の誠実さなんて、彼女にとっては言

い訳にすらならない。

「…………ごめん」

「……ふん」

 彼女は小さくそう言うと、再び二人の方を見た。

 もう、会話は終わりかと思った。

 ……けれど、

「……決めつけたのは、ごめん」

 蚊の鳴くような、小さな声が聞こえた。

「え?」

「だ、だから! 勝手に決めつけて、浮気とか言ったことは、ごめんって言ってるの!」

  一ノ瀬さんはこっちを見る様子もなく、背中を向けたまま早口で言った。

 その耳が、少し赤くなっているのが見えた。

「……ありがとう」

 全く素直ではないけど、謝ってくれた彼女に、少しだけ気持ちが楽になった。

 彼女もまた、不器用な人なんだ。

「……けど、謝るなら人の目を見た方がいいよ」

 僕が茶化すように言うと、

「っ! う、うっるさいなぁ! 謝ったんだからいいでしょ!?」

 一ノ瀬さんは痺れを切らしたのか、顔を真っ赤にして、怒った顔でこちらを振り返った。

「もしかして、照れてるの?」

「は、はぁ!? 照れてないから! 適当な事言わないでよ!」

「あはは、ごめんごめん。……なんか、可愛かったから、つい」

 本音が漏れた。

 いつも不機嫌な彼女が、顔を赤くしてムキになっている姿は、年相応の女の子らしくて、少し可愛かった。

「っ!? バ、バカにしないでくれる!?」

「バカにはしてないよ。本当に思った事を言っただけで――」

 なんて、二人で少しだけ盛り上がっている、その時だった。

「――航平?」

 すぐ近くから声がした。

 背筋が凍る。

 恐る恐る顔を上げると、いつの間にか、カフェのテラス席にいたはずの二人が、僕たちのベンチの目の前に立っていた。

「「あ」」

 僕と一ノ瀬さんは同時に声を上げ、しまったという顔を見合わせた。

「……何してんだ? 二人して」

 隼人が、ニヤニヤした顔で楽しそうに言った。


 …………最悪だ。

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