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第5話 優柔不断の代償 6

「……はぁ……はぁ」

 僕は人気の少ない公園のベンチに息を切らしながら座り込んでいた。

 膝に顔を埋め塞ぎ込む。

 ……くそっ、むしゃくしゃする。

 悔しい。

 ……僕は間違ってない。

 頭の中で何度も繰り返す。

 僕は黒羽さんに対して誠実であろうとした。

 えっちなことだけの関係じゃなく、人としてちゃんとした手順を踏もうとした。

 それが普通の、幸せになれる最善のはずだ。


 …………なのに、


 ……なんであんな言われ方されなきゃいけないんだ。

 ……黒羽さんとの話はもう済んでるんだ。友達だからってとやかく言われる筋合いはない。

 そうやって、自分を正当化しようとすればするほど、一ノ瀬さんの、度胸がない、いいご身分だね、という言葉が呪いのように頭に響く。

 …………悔しい。

 正しい罵倒に僕は何も言い返せない。

 愚かなことをしていることを自覚させられ、恥ずかしさもこみあげてくる。


 ……わかってても、それをはっきり言われると嫌になるな……。


「あれ? 飯田君じゃん」

 不意に頭上から声が降ってきた。

 顔を上げるとそこには美波さんが立っていた。

「……え、美波さん?」

 制服ではなく、大人っぽいミニ丈シャツのワンピース姿だった。

「こんなところで塞ぎ込んでどうかしたの?」

 いつもの様子で、彼女は明るい雰囲気を醸し出しながら、落ち着いた様子で優しく声をかけてくれた。

「え、あ、いや……美波さんこそ、こんなところでどうしたの?」

 陽だまりのみんなと一緒に行動したことはあるけど、二人きりで喋ったことはない。少し緊張する。

「私はバイトに向かう途中だよ。いつもここらへん散歩してから向かうんだ」

 美波さんはその場でステップをしたり、くるくると回ったり、いつもより少し自由な雰囲気を感じた。

「そうなんですか……僕が落ち込んでるって、よく、わかりましたね……」

「はは、そりゃ休日の公園のベンチで男子高校生が一人で顔うずめてたらねぇ」

 彼女はけらけらと笑うと、

「昨日まで普通だったのに。どしたん?」

 美波さんは全く気にする様子もなく、僕の隣にストンと座った。

 距離感が近い。皆といる時となんだか雰囲気が違う気がした。

 ……相談するのもどうなのかな。

 ほとんど喋ったことないし、いきなりそんな重い話をするのはどうなんだろう……。

 でも……僕は、誰かに聞いてほしくてたまらなくて、つい言葉が漏れるように話し始めていた。

「……正しさって何ですかね」

「……へ?」

 彼女は、きょとんとした顔をした。

「僕が正しいと思ってやったことを……ふざけんなって否定されたんです。でも、それは僕にとって正しい事で……彼女にとっては確かに間違ってるんです」

「…………難しいこと考えるね、君」

 美波さんははそう言って苦笑いした。

「哲学的な悩みは、私の守備範囲外なんだけど……もう少し時間あるし、 聞かせてよ」

 そう言われて、僕は少し言葉を濁し名前も伏せて、さっきあった一ノ瀬さんとのやり取りを話した。

 関係をはっきりさせるために人と距離を置いたこと。

 それを度胸がない、逃げたと責められたこと。



「……ふーん」

 美波さんは僕の話を聞き終えると、空を見上げながら脚を組んだ。

「……まあ、よくはわかんないけどさ」

 彼女は独り言のようにさらっと言った。

「……そんなにはっきりさせることが重要なのかな?」

「え?」

 僕は彼女を見た。

「そもそも人と人との関係って曖昧なもんでしょ? だって……じゃあ例えば、飯田くん、私と飯田くんは友達だよね?」

「え!? えぇっと……」

 突然の質問に戸惑ってしまった。

「ね、はっきりさせられても困るでしょ? まだ私と飯田くんとの関係は薄いし、今後もっと仲良くなって二人で遊ぶ可能性だってあるし、何かキッカケがあって私達が恋人になる可能性だってあるでしょ?」

「え!?」

「逆に言えば、どうしようもく許せないことをしちゃって絶交する可能性だってある。そんな未来ある関係に無理矢理区切りをつける必要ってあるかな?」

「…………」

「飯田君の気持ち、まだはっきりしてないんでしょ?」

「………はい」

「じゃあ、やっぱりまだ気持ちを決める必要なんてないかもしれないよ」

「……そういうもんですか……?」

「そそ」

 彼女は僕の方を向いて笑った。

「……曖昧な気持ちが愛を育むんだよ。知らんけど」

「……しらないんですか」

「あはは! まぁね! ……でもさ」

 彼女は勢いよく立ち上がった。

「……悩むのは後悔してるってことじゃない? ……だったら、もし選択肢を間違えたと思って、まだ仲直りできそうなら、それも一つの手じゃない?」

「…………」

「考えるのはいいことだけどね。答えなんてすぐに出さなくていいじゃん。今のそのわかんないって状態をもっと楽しめば?」

 彼女はそう言うと時間を確認し、

「あ、じゃ、私バイトあるから。じゃね~。また学校で」

 と、手をひらひらさせながら、颯爽と去っていこうとした。

「あ、あの!」

 僕は、背中に声をかけた。

「……ありがとう、美波さん!」

 彼女は振り返り、親指を上に立てると、足早に街角へと消えていった。


 ……曖昧な気持ちが愛を育む。

 ……悩むのは後悔してるってこと。

 僕はベンチに座ったまま彼女の言葉を反芻した。

 僕は白黒つけたがりすぎていたのだろうか。

 えっちか恋か、

 付き合うか友達か。

 正しいか間違いか。

 人の心はそんなに割り切れるものじゃないのかな。

 黒羽さんへの気持ちだってそうだ。

 好きとは言えないけど、他人に戻るのは寂しい。

 エッチなことは困るけど、彼女との友達のような時間は楽しかった。

 ……僕は、あんなことを言ったことを後悔してるのかな。

 黒羽さんの探求を拒絶したことを。

 友達という枠に彼女を押し込もうとしたことを。

 ……答えなんて、すぐに出さなくていい……か。

 ……仲直りできるなら、早い方がいい。


 ……わからない。僕は自分の気持ちにけじめをつけたつもりだった。

 今、僕の周りを取り巻く関係は、もはや僕と黒羽さんと、白川さんだけではないのかもしれない。

 僕がどちらかを選べば、その周りの人は僕を軽蔑することになるだろう。

 ……今日の一ノ瀬さんのように、どちらかを選べば、誰かが僕の敵になる。

「……なんだそれ……難しすぎないか……」


 ……どうしたらいいんだろう。

 ……誰の敵にもなりたくない。

 ……嫌われる勇気……目の前に迫った恐ろしさに身慄いした。

 …………僕は、空を見上げた。

 そして、逃げ出したい思いを抱きながら、歩み出した足はもう止められない事を強く悟った。





「ただいま……」

 家に帰った僕は、あからさまに落ち込んでいた。

 リビングの扉を開けると、中からやかましい声が帰ってくる。

「おー、おかえり航平。……なんだそのシケた面は」

「うわ暗っ!  青春ゾンビかよ。ご飯できてってよ」


 珍しく大学生の兄と姉が、同時に家にいた。

 二人とも普段はバイトや遊びで帰りが遅いのに今日は夕食時に揃っている。

「別になんでもないよ……」

 うっとおしそうに僕が答えると、兄が必要以上に絡んでくる。

「なんだよ、言ってみろって。振られたか?」

「彼女もいないのに、振られるわけないじゃん」

「じゃあ、友達と喧嘩でもした?」

「…………」

 僕が黙り込むと、二人はニヤニヤと顔を見合わせた。

「はぁ……そうだよ。喧嘩した人と、どうしたら仲直りできるかなって、ちょっと思っただけ」

 僕は諦め半分でそう答えると、

「そんなの、殴り合いだろ」

 兄が、夕食の準備ができる前の、揚げたての唐揚げをつまみ食いながら即答する。

「バカじゃないの。……分かり合うまで、とことん言い合うしかないでしょ」

 姉が呆れたように言う。

「……殴り合いなんてできないよ。相手女子だし」

「「は!?」」

 二人が箸を止めて僕を凝視した。

「お前、女子の友達いたのかよ!?」

「……うるさいな。いるよ、それくらい」

「マジかー。航平にも春が来たか~」

「航平……成長したね」

 イラっとするが、いちいち突っ込む気力もない。

 母が夕食を並べ終え、家族四人での食事が始まる。

 兄と姉は、勝手気ままに、それっぽいアドバイスを投げかけてくる。

「女なんてな、押せばなんとかなるもんだよ」

「逆だよ。引く時は引かないと嫌われるよ」

「プレゼント攻撃だろ」

「話を聞いてあげるのが一番」

 好き勝手交互に僕にそれっぽいアドバイスをしてくる。

 僕は、ため息をつきながら、最後に一つだけ、聞いてみた。

「……はっきりさせるのと、曖昧にさせるの、どっちがいいと思う?」


「はっきりさせるに決まってんだろ!」

「曖昧なままがいい時もあるでしょ!」

 兄と姉の声が見事に重なり真逆の答えが出た。

「はぁ? 何言ってんだよ、男なら白黒つけろよ」

「デリカシーないなぁ。グレーゾーンを楽しむのが大人の恋愛でしょ」

「恋愛じゃねーよ、喧嘩だろ?」

「一緒だって!」

 二人は、僕の悩みなどそっちのけで言い合いを始めた。

 もう! 航平が困ってるでしょ! 静かに食べなさい!

 母が怒る。

 …… いつもの、騒がしい我が家の食卓だ。



 その夜。 僕は自室のベッドに入り天井を見つめていた。

 ……なんだかんだ、僕は幸せ者なのかもしれない

 騒がしいけれど、嫌いではない家族がいる。

 不便のない、逃げ場所のある日々。

 親が嫌いな白川さん。

 感情がないと言う黒羽さん。

 彼女たちはもっと切実な悩みを抱えている。


 ……僕の悩みなんてちっぽけだ。


 二人とどう折り合いをつければいいのか、 それだけのことでうじうじしている。

 誰に聞いたって、明確な答えなんて返ってこない。

 兄と姉のように、人によって言うことは違う。

 隼人も、一ノ瀬さんも、美波さんも、天沢さんも、みんなきっと違う。

 ……じゃあ、正解は何なんだ……。

 ……いや……そんなことわかってる。

 答えなどない。

 それが、人間関係だ。正解なんて、どこにも落ちてない。


 ……だからこそ僕は、拳を握りしめた。

 ……答えは僕が出さなきゃいけない。


 あの日決めたじゃないか。自分から動くと。

 一ノ瀬さんが怒ったのは、僕に何かを期待していたからじゃないのか、逃げるなと、言いたかったんじゃないのか。

 僕はそれをただ怒られたと塞ぎ込んで終わりにしてしまうのか?

 ……いや、ちゃんと考えよう。僕はこの間失敗したんだ。白川さんを傷つけ、黒羽さんを拒絶した。その事実を認めよう。

 ……僕が幸せになるだけじゃ、僕は幸せになれない。

 周りのみんなが、笑っていてほしい。

 黒羽さんとゲームセンターで遊んだ時のように。

 白川さんと屋上で話した時のように。


 だったら……どうしたって、ちゃんと考えないと。


 僕は目を閉じた。明日また学校に行こう。気まずくても逃げずに。僕なりの答えを見つけるために。


 ベッドの中で、僕は一人静かに決意を固めた。



 ◇



 翌日の放課後。

 僕は、文芸部室のドアを開けた。

「……お疲れ様、黒羽さん」

「……」

 彼女はいた。

 いつもの席でいつものように本を読んでいる。 でも、僕の声には反応しない。

 ページをめくる手が一瞬止まっただけだ。

 僕は自分の席に着いた。


 ……重い沈黙。


 以前のような心地よい静寂じゃない。

 息が詰まるような拒絶の沈黙だ。

 ……話さなきゃ。仲直りするなら、まずは会話からだ。

 まずは、少しでも、様子をうかがって……たわいのない会話から始めよう。

「……ねえ、黒羽さん」

 僕は震える声で話しかけた。

「……」

 反応がない。

 彼女は本で顔を隠すようにして僕から視線を逸らしている。

「……無視しないでよ」

「……」

「……黒羽さんと、話がしたいんだ」

「……」

「屋上でああ言ったけど……僕は黒羽さんのこと嫌いになったわけじゃない。だから…無視されたりするのは普通に傷つくっていうか……普通のクラスメイトや部員どうしだとしたら、もう少し普通に軽い会話ぐらいしてもいいと思うんだけど……」

「……」

「……黒羽さんが、今の僕のこと、どう思ってるのかも、聞きたいんだ。無視するってことは…嫌いになったってこと?」

「……無理」

 小さな、でもはっきりとした声が本の後ろから聞こえた。

「え……?」

「……無理って言ったの」

 黒羽さんは本を下ろさないまま言った。

「……あの時、私の気持ちはちゃんと答えた。……飯田君とは普通の関係には

 なれないって」

「……っ」

 屋上での会話が蘇る。

「……そうだけど!」

 僕は食い下がった。

「じゃあ、どうして! どうして、同じ部室に来るの!?」

「…………」

「……同じ部員として、同じクラスメイトとして普通の関係になれればいいって思った……だからこうして僕は文芸部に来てる……だったら……本当に嫌いになったのなら……僕にここに来ないでって言ってよ」

「…………」

「僕は……僕はもう、この空気に、耐えられない!」

 僕はついついそう弱音を吐いてしまった。

 ……情けない。自分から距離を置いたくせに、相手の態度に耐えられないなんて。

 わがままだ。 でも、この窒息しそうな空気の中で、僕は、もう限界だった。

 無視されるなら……拒絶された方がマシだと思うほどに。

「……」

 黒羽さんは僕の言葉を聞いて黙り込んだ。


 …………長い、長い沈黙。


 時計の秒針の音だけが、部室に響く。

 やがて、 彼女はゆっくりと本を閉じた。

 そして、 顔を上げた。

「…………」

 僕を見るその瞳は静かだった。

 怒りも、悲しみも、何も映っていないように見えた。

 ただ、深く、暗い、絶望のような色だけがそこにあった。

「……わかった」

 彼女は静かに言った。

「――あなたとの関係は終わった。もう、ここには来ないで」

「…………」

 ドクン、と、心臓が嫌な音を立てた。 頭を鈍器で殴られたような衝撃。

 僕は言われるまでは我慢しようとした。

 彼女が僕を拒絶しない限り、僕はここにいようと思った。でも、そうはっきりと言われてしまえば。

 僕は、それに、逆らうことはできない。

 この空気を作ったのは僕だ。

 僕が彼女の探究を拒み、彼女の特別を拒んだからこうなった。

 なのにその空気に耐えられないと自分から言い出したのだ。

 来ないでと言われて嫌だと言う権利なんて僕にはない。

 わがままを言うには、あまりにも、都合がよすぎる。

「…………」

 僕は拳を握りしめた。 爪が掌に食い込む。

 ……これで、終わりか。

 僕たちの短い奇妙な、でも、確かに特別だった時間は。

 こんなあっけない言葉で終わってしまうのか。

「……そっか」

 僕は絞り出すように言った。 喉が熱い。

 涙が出そうになるのを必死で堪える。

「……色々ごめん、黒羽さん」

 僕はギリギリでそれだけを言うと、カバンを掴みふらふらした足取りで逃げるように部室を後にした。


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