第5話 優柔不断の代償 5
白川さんと手紙のやり取りをしてから数日が経った。
彼女はあれ以来学校には来ていない。
隼人に聞くと、
「まだ体調が優れないみたいだ」
とのこと。
僕もスマホでメッセージを送るが、既読は着いたが返事はない。
……焦らなくていい。
僕はそう自分に言い聞かせながら日々を過ごしていた。
学校生活は普通に戻った。
授業を受け休み時間には一人で弁当を食べる。
食べ終えたら、一人で本を読む時間。
栞には、白川さんからもらった物を使っている。
当たり前のように、ただ過ぎていく時間。
……静かすぎる。
心のどこかに、ぽっかりと穴が開いたような、どうしようもない寂しさを感じていた。
黒羽さんの探究に振り回されることも、白川さんに連れられ陽だまりのみんなと喋ることもない。
前と同じ平穏な日々。
なのに、そこには、非情なまでの虚しさだけがあった。
白川さんのことも考えなくちゃ、と思うけれど、そんなことを考えられないくらい、僕の心は、穏やかじゃなかった。
放課後。
僕は、重い足取りで、文芸部室のドアを開けた。
「お疲れ様、黒羽さん」
「……お疲れ」
そこには、すでに黒羽さんがいた。
僕らは挨拶もそこそこにそれぞれの席に着き無言で本を開く。
ページをめくる音だけが、静かな部室に響く。
……正直、気まずい。
息が詰まりそうだ。
でも、今更僕はこの場所に来るのをやめられない。
それをしたら彼女を避けていることになる。
……僕は、黒羽さんが嫌いになったわけじゃない。
だから、嫌われたと彼女に思われるのだけは避けたかった。
たとえもっと嫌われたとしても彼女から来ないでと否定されない限り、僕から距離を置くつもりはない。
……でも
ただ気まずさを感じるだけの関係じゃなく、せめて普通の関係値にはなりたい。
それが、僕の本心だった。
「……あのさ、黒羽さん」
僕は、思い切って声をかけた。
「……ん?」
彼女は、本から目を離さずに答える。
「……その本、面白い?」
「……うん」
「……どんな話?」
「…………」
彼女は、少しの間沈黙した。
そして、
「今、集中してるから……」
と、僕の言葉を静かに、しかし明確に突っぱねた。
「……ごめん」
僕はそれ以上、何も言えなかった。
そっけないのはいつものことだ。
でも、今の言葉はぐさりと胸に刺さった。
……拒絶、された。
僕は本を読み直すフリをし、思考を巡らせた。
黒羽さんはどういう気持ちなんだろう。
僕との探究が終わって、もう僕に興味がないんだろうか。
それとも怒っているんだろうか。
……わからない。
考えれば考えるほど、わからなくなる。
僕は不貞腐れたように、机に突っ伏した。
……なんで、みんな、こんな大変な人間関係を、維持できるんだ。
答えの出ない問いが、頭の中をぐるぐると回り、いつしか、僕は深い眠りへと落ちていった。
……夢を見た。
とても悲しい夢だった。
僕は、どこかの教室にいた。
夕焼けが差し込む教室。
そこには、クラスのみんなが笑い合っていた。
その中心には白川さんがいた。
彼女はあの完璧な笑顔ではなく、屋上で見せてくれた素顔で心から楽しそうに笑っていた。
その隣には黒羽さんもいた。
無表情だけど、太った猫のぬいぐるみを抱いて、穏やかな目で、みんなの話を聞いている。
一ノ瀬さんも、玲央くんも、天沢さんも、美波さんも、隼人も、皆が楽しそうに笑っている。
……ああ、よかった
僕は心から安堵した。
みんな仲良くできてるんだ。
白川さんも元気になったんだ。
……僕も混ぜてもらおう。
僕は彼女たちの方へ歩み寄った。
「白川さん!」
僕は声をかけた。でも、白川さんは気づかない。
皆と楽しそうに話し続けている。
「……黒羽さん?」
黒羽さんに手を伸ばした。
でも、僕の手は彼女の肩をすり抜けた。
「……え?」
僕は、愕然として自分の手を見た。
透けていた。
僕の体は輪郭が曖昧で向こう側の景色が透けて見えた。
「……あれ?」
声を出そうとした。
「僕はここにいるよ」
でも声にならない。 空気の振動すら起こせない。
ふと、白川さんが何か思い当たるような顔をした。
『……誰か忘れてるような気がするんだけど』
彼女はぽつりと呟いた。
『……誰だっけ?』
黒羽さんが首を傾げる。
『……わからない。でも、もう必要ない人なんじゃない?』
黒羽さんがそう白川さんに言った。
「!」
違う。
僕は……黒羽さんの探究のパートナーだろ?
叫ぼうとしても音が出ない。
『……そうだね』
白川さんが寂しそうに、でも納得したように笑った。
『……いなくても平気だよね』
……そんなことない! 僕は特別な友達だ!
お互いの弱いところをさらけ出した…特別な友達だって言ったじゃないか!
みんなが笑う、幸せそうな黄金色の夕暮れ。
その完璧な世界に、僕の居場所だけが最初から用意されていなかった。
…………そうか、僕は傍観者だ。
物語の外側にいるただの観客。
干渉できず、認識されず、ただ見ているだけの存在。
それが、僕が望んだ平穏の正体。
……いやだ。
……置いていかないで。
僕は必死に手を伸ばした。
でも、その手は誰にも届かない。
世界がどんどん遠ざかっていく。
彼女たちの笑い声が、遠い音のように聞こえる。
僕だけが、暗い、冷たい、無音の闇の中に、取り残されていく。
……寂しい。
……悲しい。
……誰か……僕を……見つけて。
溢れ出した感情が……涙となって透明な僕の頬を伝った。
「いやだ!!」
僕は勢いよく起きた。
汗をかいていた。
……あたりを見てみれば、そこは部室だった。
……そういえば寝たんだったな。
すでに日が傾いていて、あたりは暗くなりかけている。
部室を見渡すと、そこに黒羽さんの姿はなく、鞄も置いていなかった。
……帰ったか。
僕は何をしてるのか自分でも意味がわからないと思いながら、嫌な夢を見た気怠さと虚しさに打ちひしがれながら、部室を後にした。
◇
休日。
全くもって休まらない気持ちで部屋にいると、
僕のスマホに突如、一件のメッセージが届いた。
差出人は、初めての連絡を取り合う相手、一ノ瀬さんだった。
……みんなで夏の合宿に行く話をしたときに連絡先を交換したな、そういえば。
『今から会える? 話がある』
……嫌な予感しかしなかった。間違いなく黒羽さんに関することだろう。
無視するわけにもいかず、僕は指定された場所へと向かった。
そこは駅前ではなく、少し離れた街の方にあるおしゃれなカフェだった。
普段の僕なら絶対に入らないようなレンガ造りの落ち着いた店。
その奥の席に彼女はいた。
「……遅い」
一ノ瀬さんは、不機嫌そうにそう言うと、バスケットに入ったフライドポテトを無言で口に運んだ。
彼女の私服を見るのは初めてだ。
白キャミソールの上にかろやかなグレーのオーバーシャツを肩を出す形で羽織り、黒のハイウェストのフリルパンツに膝下まである厚底のラバーブーツを履いている。
……僕は意外性を感じつつもそれには触れずに、
「……ごめん。話って?」
僕は向かいの席に座り適当にアイスコーヒーを頼んでから、恐る恐る要件を聞いた。
一ノ瀬さんは僕を冷ややかな白けた目で見つめた。
「……君ってさ」
彼女はポテトを摘んだまま言った。
「リンのことどう思ってるわけ?」
「……え?」
唐突な質問に僕は言葉に詰まる。
「どうって……それは、その……クラスメイトだし部活の仲間だし……」
「……は?」
一ノ瀬さんの眉が、ピクリと動いた。
「好きなの? 嫌いなの? はっきり答えてよ」
彼女の圧に僕は思わず身を引く。
「き、嫌いじゃ、ないよ。……でも、あのままの曖昧な関係はダメだと思ったから……僕は黒羽さんと距離を置いたんだ」
「彼女でもできた?」
「い、いないよ! 違うから!」
「……だったら」
一ノ瀬さんは持っていたポテトを皿に放り投げた。
「距離を置く必要なんてないでしょうが」
そう言って、一ノ瀬さんは僕を睨んだ。
「あの子の誘惑に乗って……あ~んなエロいことしてたくせに」
「!」
「リンに散々あんなことさせて、それを受け入れてたくせに。……なんで今更逃げるわけ?」
「そ、それは……だから、ちゃんとしようと……」
「リンを泣かせたら許さないって言ったよね?」
彼女の僕を見る目が据わっている。
「いい目にあっておいて、まずいことになったらポイするとか……ふざけんじゃないわよ」
「ち、違う! そんなつもりじゃ……!」
僕は必死に否定しようとした。
けれど、一ノ瀬さんは僕の言葉を遮るように冷たく言い放った。
「どうせ、断れなかったんでしょ?」
「え?」
「リンのあの容姿で。あんな風に迫られて。……男なら断れないよね」
彼女は鼻で笑った。
「好きでもなんでもないけど、言い寄ってくる美少女を拒めず、かといって責任取って受け入れられもせず。……いい目にだけあって、白川さんが絡んできて、仲良くなって、そっちの方がよくなったからって、気まずくなったらハイさようなら」
「……っ」
「いいご身分だね。……最低だよ、きみ」
図星だった。
彼女の言葉のすべてが、僕の心の一番痛いところを突き刺した。
「……飯田君、どうせモテないんでしょ?」
彼女はさらに畳み掛ける。
「だったら、素直にリンの言葉に乗ってリンが恋するまで待てばよかったのに……白川さんに靡いて……なんでそんなに優柔不断なの?」
彼女は汚いものを見るような目で僕を見た。
「……大事にできないなら、最初から関わらないでくれる?」
……僕は言われっぱなしの、正論に何も言い返せなかった。
……でも、僕は、すべてを分かったように言う彼女の言葉に……我慢できなかった。
「仕方ないだろ!!」
僕は思わず、大声を出してていた。
店内の視線が一斉に集まる。
一ノ瀬さんが少しだけ目を丸くした。
「……僕だって! 拒みたくて拒んだんじゃない!」
僕は震える声で叫んだ。
「……僕の気持ちをはっきりさせるために……! そうするしかなかったんだよ!」
「…………」
「一ノ瀬さんに僕の何がわかるんだ! 僕だって……自分なり考えて…それで行動したんだ! とやかく言われる筋合いない!」
彼女は一度目を閉じると、呆れたような顔で言うのだった。
「君の気持ちはどうでもいい。リンが悲しむことを君がした。だから怒ってる。それだけ」
「…………」
「はっきりさせるって、それは君だけの気持ちでしょ? 結果それはただリンを悲しませる選択をしただけ。リンのことを何も考えていないじゃない。だったら、曖昧な関係のまま、最初にリンとした約束を果たすべきだったんじゃないの?」
僕は何も言えなかった。彼女の言葉はどこまでも正しくて、僕の葛藤など、無意味だったと言われているようだった。
「………最低。クズ。キモイ。そんな性格なのに粋がって……みっともな」
一ノ瀬さんは、可能な限りの馬頭を僕に浴びせてきた。
「…………っ!」
僕はそれ以上そこにいられなかった。
伝票も持たず、僕は敵わない敵から逃げるように、店を飛び出し走り去った。
「……さらには意気地なしか」
一ノ瀬はポテトフライを食べながら、走り去った飯田を呆れた顔で見ていた。




